27.離別
ブリジットは今、ヒュートの業務にかかわるようになってから初めて、侯爵の娘であるという立場を利用して職員に圧力をかけている。
「レイナート様はどちらの任務についていらっしゃるの?」
ヒュートマスターの動向は基本的に開示されていない、マスターが動くということは大型の魔物の出現が疑われ、その地方が危険だという噂が立ってしまうと、産業に影響を及ぼすからだ。
ブリジットの質問に職員は笑顔で、
「申し訳ございませんが、お教えすることはできません」
と応じた。彼の対応はすこぶる正しい、ただし今のブリジットにとっては正しくない。
「わたくし、スマイソン侯爵令嬢ですけれども?」
それを言われた職員は困った顔をしながらも、渋々、彼女の欲する情報を提供した。
「レイナート様はただいまウォーム領の魔物討伐に行かれております」
「そう、ありがとう」
ブリジットはいくらかの金貨を職員に握らせ、優雅に部屋を後にした。が、内心は恐ろしさのあまり心臓が壊れそうなほどである。
ブリジッドが強硬手段に出たのはもちろん親友であるレシアと彼女の恋人であるレイナートを合わせる為だ。
ふたりは不可能だとあきらめていたブリジットの恋を後押ししてくれた。ブリジットがウォルトの恋人になれたのは、他でもないふたりのおかげなのだ。親友の恋が危機にさらされている今、侯爵令嬢の権力にモノを言わせて職員に嫌な顔をされるなど些末なこと。
ブリジットは管理部の扉を閉めると貴族令嬢であることも忘れて、急いでウォルトの部屋に駆け戻った。レシアに新たな婚約者を紹介したのはブリジットの父であるスマイソン侯爵だ、あの職員はきっと侯爵に今しがたのやり取りを報告するだろう。
ブリジットがレイナートの情報を得たと知ったら侯爵はレシアがそこに向かうことを良しとしない。レシアとレイナートの共同任務を無くしたのも侯爵の判断だろうから。
侯爵に伝わる前になんとしてもレシアとレイナートを合わせなければならない。
「レシア様!」
ブリジットはウォルトの部屋に飛び込んだ。
「ブリジット、そんなに慌ててどうした?」
部屋にはウォルトが戻ってきていた。
「ウォルト様、今はそれどころではありません」
抱きつこうとするウォルトをかわしてブリジットはレシアに駆け寄った。
「レイナート様はウォーム領だそうです、わたくしはここで父を止めねばなりません。申し訳ございませんがおひとりで向かっていただけますか?」
「護衛なら俺がするよ」
「いいえ、いけません」
ブリジットは厳しい声でウォルトの申し出を退けた。
「わたくしたちは今から父の意向、ひいては陛下の意向に背く行為をするのです。ウォルト様は手を出してはなりませんわ」
「ブリジットの為なら俺はかまわない」
「ウォルト様はヒュートマスターでいらっしゃいます。マスターが陛下に背くなどあってはならないのです、ヒュート隊そのものが揺らぐことになりかねません」
二人のやり取りを黙って聞いていたレシアは口を開いた。
「ブリジット様、レイナート様の任務地をお調べくださっただけで充分です、あとはひとりでやれます」
ウォルト様はブリジット様を見張っていてください、と笑いながら付け加えた。
「レシア様」
「大丈夫です。わたし、本当に魔法が使える魔法使いですから」
レシアに声をかけるブリジットに言い、窓を開け、浮遊魔法を使った。
「レイナート様に会いに行ってきますね」
いうが早いがあっという間にその姿は肉眼では見えないほど小さくなった。
ウォーム領はそれほど広い領地ではなく、ヒュートが拠点を置くなら領主の屋敷しかない。レシアはそうあたりをつけて屋敷へと向かった。
予想通りヒュートは拠点を屋敷に置いていて、レイナートもそこにいた。
「レシア」
半月ぶりに会う彼は少し痩せていて、元気がないように見える。
「レイナート様とお話をしたくてまいりました」
その声が震えているのはレシア自身にもわかるほどであった。レイナートは眉をひそめ、それから近くにいたメンバーズに告げる。
「すまないが、会議の時間を少し遅らせてくれ」
突然、空から現れたレシアにメンバーズは驚きながらも了承を伝え、その場を離れていった。
「おいで、レシア。俺の部屋で話をしよう」
差し出されたその手に縋りつくように駆け寄ったレシアをレイナートは躊躇なく抱き留めた。
部屋に入るとレイナートが飲み物を用意しようとする。
「レイナート様、わたしがやります」
「そうか、ありがとう」
少し迷ってからレイナートはその場をレシアに譲り、でもレシアのそばに立って彼女のやることを、彼特有の穏やかな視線で黙って眺めていた。
静寂の中、レイナートが口を開く。
「陛下からお言葉を賜った」
レイナートがポツリとこぼした言葉にレシアは顔を向けた。
「陛下はなんと?」
長い沈黙の後、レシアはカラカラに乾いた口でなんとか言葉を紡ぎだす。
「君の伴侶には、魔法使いが相応しい、と」
レイナートの言葉にレシアは持っていた茶器を乱暴に置いた。
「嫌です、わたしはレイナート様と」
「それ以上、言ってはいけない」
間髪入れず発せられたレイナートの強い口調にレシアは息を飲む。
常に笑顔を絶やさない明朗闊達な彼とは思えない暗い表情で、レイナートはレシアに言った。
「レシア、君の幸せを祈ってる」
レイナートはそう言ってレシアの額に口づけをし、部屋から出て行った。
しんとした室内にひとり残されたレシアはへなへなとその場に座り込んだ。
部屋の扉を閉め、ひとり廊下に出たレイナートは部屋から聞こえるレシアのすすり泣きに固くこぶしを握っていた。
本当は陛下に言われたあの日、レシアに話をしようと思っていた。しかしレイナートほどの男でも愛する女性との別れは辛く、女々しく逃げ回った結果、慰める友もいないこの場所で彼女をひとり泣かせることになってしまった。
レイナートはレシアに思いを告げてすぐ、彼女の純潔を散らしてしまえばよかったのだろうか。そうすればこんな風に彼女を奪われることはなかったのだろうか。
ふたりは閨を共にしていたが、最後の一線は越えていなかった。その結果、幸か不幸か、レシアはレイナートではない別の男性との縁談もスムーズに決まってしまった。
純血主義が取り込んでいる貴族の中には社交界での発言権を持つ人物も多い。レイナートの父、ルキルス伯爵も表舞台に立ち対抗してきたが、他国まで駆り出してくるとは完全に予想外だった。
そもそも本当に魔法が使える魔法使いが減少したのは純血主義を推し進めた結果だ。純血を追求すると近親婚は避けられない。それを繰り返した結果、生まれた子は血が濃くなりすぎて成人まで生きられなくなった。
それに魔法そのものが衰退してきている。これには諸説あるが、その役割を終えつつあるというのが一般的な解釈だ。
数百年前に比べると大型の魔物は減っており、それに対応すべく磨かれてきた魔法という存在も不要なものになりつつある、という考えだ。現に、賢者の学院で研究されている魔法は対魔物ではなく、人々の生活を豊かにする方向に向かっており、魔力を持たないものでもその恩恵にあずかれるように、というのが、現オグリアスの考えである。
それでも強い魔力はいまだ出没する魔物に対抗できる有益な手段であることは間違いなく、それに期待し、次代にも同等の力を望む気持ちはわからないではない。しかしレシアの子が必ずしもそと同等の魔力を持って生まれるとは限らないのだ。
そう思うとやはりレシアを魔法使いと結婚させてはならないと思う。もし魔法を持たずに生まれてきたらその子の不幸は目に見えている。しかし、今の自分になにができるというのか。
「レイナート様、会議を始めてもよろしいでしょうか」
いつの間にかやってきた側近に声を掛けられ、レイナートははっと顔を上げた。
「すまない、待たせたな」
レイナートは側近と歩きながら、途中すれ違ったメイドにレシアの世話を命じた。
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