31.レシアの幸せ
レシアがルキルス邸に戻り、レイナートも頻繁に帰宅するようになった。
レイナートがヒュート本部に詰めていたのは夫人の思った通り、レシアとの思い出を避けていたというだけではない。レシアを取り戻すチャンスに備えて、常に任務を最短で終わらせ、余暇のある状態にしておいたのだ。そのかいあって母からの注進の際、すぐに動くことができた。
「レシア、今、戻った」
「おかえりなさいませ、レイナート様」
屋敷に帰ると、いの一番にレシアの部屋を訪れるのは、最近のレイナートに加わった日課のひとつである。
レシアは未だベッドから離れられずにいたが、それでも起きて彼を出迎えられる日が少しずつ増えており、全快も時間の問題と言えた。
「今日は顔色がいいようだな」
レシアの頬に触れ、愛し気に見つめると、レシアは彼の手に触れ、冷たいですね、と微笑んだ。
「今日は少し冷える、暖かくして行こう」
「はい」
レシアはメイドの差し出した大判の厚手のショールを羽織り、レイナートはそのレシアを横抱きに部屋を出る。
「ほどほどにしてくださいませ」
屋敷に戻ってきたレシアには専属のメイドが付いた。それはレシアがいずれこのルキルス邸の女主人となることを見据えた人事であり、これは伯爵夫人の声掛りであった。
そのメイドから釘をさされたレイナートは首をすくめ、わかっている、と応じレシアを連れ出した。
レイナートがレシアを抱いて庭の散歩をする。これも新たな日課のひとつであった。
「寒くないか?」
「はい、大丈夫です」
レシアを抱いたレイナートはあれこれと話をしながら、ゆっくりと庭を回る。
「ブリジットから異国の珍しい菓子を預かってきた、彼女もシェリスも早く君に会いたいと言っている」
レイナートの言葉にレシアは微笑む。
「わたしもお会いしたいです、そのためには、せめてひとりでお庭を歩けるくらいにはなりませんとね」
レシアの言葉にレイナートは少し寂しそうな顔で眉尻を下げた。
「レシアは俺に抱かれて庭を巡るのは嫌か?」
「そんなことはありません!」
慌てて言うレシアの額に己のそれを近づけて、
「では好きか?」
とレイナートは言う。彼の言っているのは散歩のことだけではないとレシアにはわかっている。
レシアが顔を赤らめながらも、好きです、と小さく返事をすると、レイナートは彼女に触れるだけの口づけをした。
そして、俺も好きだ、と甘い囁きを与え見つめあい、再び口づけを交わした。
レイナートが惜しみなく彼女に注ぐ愛情と、ルキルス邸の使用人たちの真心こめた看病のおかげで、レシアは順調に回復していった。
レシアが長く寝付いていたことは社交界に知れ渡っており、それはレイナートとレシアという想い合うを引き裂いた結果であることは明白であった。
そしてなにより、現オグリアスの『魔法は繊細なものであり、愛は偉大なものである』というふたりを後押しする発言で、純血主義を主張する者たちはあきらめるしかなかった。
「ヒュートマスター、レイナート、並びに、宮廷魔術師、レシアの婚姻をここに認める」
貴族というのは本来、婚約期間を設けてからの結婚となるが、レイナートとレシアは婚約をせずに一足飛びに結婚することになった。
レシアの夫という立場を長く空席にしておくことは、国際的な政治混乱のもとになりかねないという陛下の判断があったからだ。
レシアはれっきとした宮廷魔術師であり、婚約も婚姻も陛下の許可なしですることはできない。逆を言えば陛下が命じればそうせざるを得ず、今回は陛下の命に従って婚姻した形となった。もっともレシアにもレイナートにも感謝の言葉しかなく、陛下の高らかな宣言の後、ふたりはそろって礼を述べた。
「ありがとう存じます」
まばゆいばかりの笑顔を見せるレシアとその彼女を愛しげに見つめるレイナートは幸せに満ち溢れており、祝いの席に駆け付けた人々はこの婚姻が最も正しい形であったのだと誰もが納得した。
ユイルスとレシアの婚約は白紙となり、王家はその賠償として、ユイルス家の使用人の件は不問とした。
レシアとの婚約は王家から持ち掛け、王家から破談にした。ユイルスとしては巻き込まれたに過ぎず、彼にとっては醜聞でしかない。とはいえ、国家の宝であるレシアをないがしろにしたことに対する処分としては手ぬるいようにも思える。が、ユイルスに同情を寄せる貴族もいる為、あまりに厳しい処分では反発を招きかねないという判断からこの対応に落ち着いた。
レイナートとしても、レシアを手放したことは己の判断ミスと受け取っているため不服はなく、もちろんレシアにも異論はなかった。
レシアとレイナートの結婚式にはユイルスも招待した。これについてはレイナートは最後まで反対したが、レイナートとユイルスの間にわだかまりがないことを社交界にアピールしなければ、醜聞を被ったユイルスの名誉は回復しない。
それにレシアとユイルスはひとつ屋根の下で暮らしたといっても、実際にはユイルスはほとんど屋敷にいなかった。というのも、レシアの夫として相応しい立場を整えるため、彼には王宮にてしかるべき職務に就かせたのだが、それは恐ろしく多忙な職務であった。
そしてそう仕向けたのはルキスル伯爵だというから驚きだ。伯爵は彼を王宮にしばりつけ、レシアに近づけさせないようにしていたのだ。表向きはユイルスを褒め、これだけ優秀ならばもっとできるだろうと文字通り、山のように仕事を回したという。
こういう立ち回りは若いレイナートにはまだ難しく、ルキルス伯は息子に得意げな顔をしてみせた。しかし、その結果が使用人たちのレシアへの冷遇につながったのだから、ルキルス伯爵夫人はおかんむりで、それでもユイルスをレシアに近づけさせなかった夫の手腕は認めざるをえなかった。
そのユイルスが挨拶のため、ふたりの前にやってきた。
「レイナート様、レシア様。ご成婚、おめでとうございます」
ユイルスの言葉にふたりは礼儀正しく、ありがとうございます、と応じた。
「妻のレシアが大変お世話になりました」
レイナートは伯爵令息らしく美しい笑顔を浮かべているが、言動はおかしい。この国では初夜を迎えて初めて妻と名乗ることができる。
今、式を挙げたばかりのふたりは今夜が初夜であり、レシアは正式にはまだ妻ではない。
「レイナート様、わたしはまだ妻ではありません」
レシアの小声の抗議にも彼はどこ吹く風、それどころか爆弾を投下する。
「なにを言っている。閨をともにしておきながら、君はまだ俺の妻でないと言うのか?」
レイナートは過去の反省を活かし、レシアを取り戻して間もなく、彼女を自分の妻にした。真っ赤になって絶句している新妻の頬にレイナートは触れるだけの軽い口づけを送り、レシアはますます硬直した。
そんなふたりの様子にユイルスは目を細めた。
「本当に仲がよろしいのですね、羨ましい限りだ」
その言葉にレイナートは眉をあげた。
「そうかな?貴殿にもそういう女性がおられると小耳にはさんだが?」
ユイルスにそんな相手がいたとは知らず、レシアは目を丸くするが、ユイルスは動じていなかった。
「さすがはヒュートマスター様、お調べになったので?」
「レシアを任せると決めたのだから当然だ。しかし使用人の機微までは読めなかった」
ユイルスは表情を曇らせ、
「彼らは早くに両親を亡くした僕を心配してくれたのでしょう、行き過ぎた行為があったことは本人たちも認め、反省しています」
すべては僕がしっかりしていなかったせいです、とうつむいた。
「ならば、頼りがいのある男になることです」
と、レイナートは言った。
「上に立つものは己の周囲の人間を守れる程度でなければならない。俺はずっとそうしてきたし、これからもそうしていく」
それはヒュートマスターであるレイナートだからこその言葉であり、重みのあるひとことであった。
彼はこれから先も多くの人たちを、その力の及ぶ限り助けていくのだろう。ならばレシアは彼を支えるだけだ。
かつて、父と母は離れていてもお互いを支えあっていた。自分は幸運にも愛する人のすぐそばにいられる。それならいつだって助け合える。
「わたしにもレイナート様のお手伝いをさせてください」
レシアの言葉にレイナートは甘く微笑み、
「頼りにしている」
の囁きとともに、今度は深くその唇を味わった。
それを見た参列者からは揶揄の声と笑い声があがる。
笑顔溢れるこのときがいつまでも続きますように、レシアは心の内で祈りを捧げた。
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