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3.再会

レシアの母はヤルナガスという地方出身で、ヤルナガスの治癒師という通称を持っていた。

治癒魔法というと万能に思われがちだが、実際には病を治すことはできないし、失われた体の一部を取り戻すこともできない。もちろん死者を蘇らせるなど論外だ。

それでも、どんなに重症な怪我でも完治させられるし、痛みならば、病が原因だとしても、和らげることはできる。

レシアの物心がついたころには、各地を旅し、人々を癒して回る。母子はそういう生活をしていたのだった。


レシアは母と一度だけ、父の話をしたことがある。母は父のことを立派な人だと言っていた。

『本当に立派な人なら、なぜ母さんの手助けをしてくれないの?』

治癒師として働きづめの母を心配したレシアはそう言ったが、当の本人は困った顔をしながら、

『遠いところからだけど、助けてくれてるのよ』

と言って、笑顔を見せた。


ある村に滞在していた時、突然、多くの魔物が襲ってきた。母は眠っていたレシアをたたき起こすと宿のクローゼットに押し込めた。

『レシアはここに隠れていなさい』

そう言い残して足早に部屋を出て行った母の変わり果てた姿と対面したのは、夜も明け切ったころだった。

母は体の一部を失っていて、もう助からないことは一目でわかった。それでもレシアはそのときの自分に扱える精一杯の力で母を癒した。

『レシア、どうか普通の暮らしを』

母は消え入るような小さな声でそう言って、息を引き取った。


ヤルナガスの働きで村人たちに死者はなかった。彼らは感謝を込めて手厚く葬ってくれたが、レシアはすぐに村を出た。

また魔物が襲ってきたら。そう考えたとき、レシアは自分の思い付きに恐ろしくなったのだ。

レシアは母と同じく魔法が扱え、治癒魔法に特化していた母とは違い、攻撃魔法も使える。もちろんまだ未熟であり、魔物を駆逐することはできないが、それでも逃げる時間を稼ぐくらいはできるだろう。

でも村人を逃がす為の魔法をレシアが振るうことができるのか。

魔物の襲撃が母子ふたりだけのときなら逃げ切ることはできたと思う。そもそも、もっと大きな、それこそ騎士が守っているような街に滞在していたなら、魔物に襲われることなどなかったはずだ。

仮説を唱えたところで母はかえってこない、それは充分わかっている。それでもレシアは考えずにはいられず、その想いは澱のように心の奥底に溜まっていく。

魔法とは不思議なもので術者のコンディションが大きく作用する、この村にいなければ母は死ななかったかもしれない、というレシアの思いが魔法にどう作用するのか。

少なくともそれが良いほうでないことは明らかで、だからレシアはいち早くこの村を離れたのだ、自らの心のうちに巣くう想いが(つまび)らかにされる前に。


レシアの保護者であった山岳地帯の村長は、このとき、村に商売にきていた行商人だった。

行商人である以上、魔物の対応は村人よりは慣れていたが、それでも少なからずヤルナガスの恩恵を受けたことは確かである。

ひとりで旅に出るというまだ幼いレシアを案じた彼は、彼女の母への感謝も込めてその旅に同行し、やがてあの山岳地帯の村に落ち着いた、というわけだ。

レシアが村で暮らしている間、彼女が魔法使いであることは誰にも知られることはなかった。

もちろん怪我をする村人はいたが、幸いにも命にかかわるようなものではなく、レシアは少しばかりの魔法をこっそりとかけ、あとは自然治癒で解決できたのだ。

あのヒュートマスターが初めての大きな魔法だった。彼は重傷ではあったが、母を亡くしたあのころのレシアとは違い、母ほどではなくとも強い治癒魔法を扱えるようになっていた。

彼を癒しながら結局、自分も母と同じだとレシアは思った。目の前の、助かるであろう命を見捨てることは、やはり自分にはできなかったのだ。

村を守って死んでいった母の気持ちが、少しわかったような気がした。


村の集合墓地は小高い丘の上にあり、眼下には(くだん)の村が見えた。たくさんある墓のひとつが母のそれであり、葬儀以来、初めて訪れたそこは綺麗に清掃されていた。

供えられた真新しい季節の花が風に揺れている。あの村の人たちが今でも世話をしてくれているのだろう。

墓に刻まれた文字をレシアは指でそっとなぞる。

『ヤルナガスの治癒師、ここに眠る』

魔法使いは死してなお本当の名を明かさない。それはネクロマンサーという死者を利用する者たちを警戒してのことである。

魔法を扱う者にとって、名は最も大きな(しゅ)とされている。

万物は名前から逃れることはできない。例えるなら、犬は犬と命名された時点で、犬として振舞わねばならぬ呪いにかけられたことになる。

極端なことを言うならば、魔法使いが名を奪われ、お前は犬である、と宣言されたら、その人物は犬としての生涯を強いられることになるのだ。

レシアにも本当の名前はある。しかしそれを知る唯一のひとは亡くなっており、自分を本当の名で呼んでくれる者はもういない。

そしてそれはヤルナガスも同じかもしれない。

信頼できる者にならそれを明かすが、それはたいてい家族だけだ。

レシアが物心ついたころには自分たちは母子ふたりで生きていた。レシアは父に会ったことはなく、それがどこの誰なのかすら知らされていない。

父は母が亡くなったことすら知らないのかもしれない。そんなひとが母の本当の名を知っているとは思えない。

レシアは母の墓標を前にして、改めて自分たち親子は母ひとり子ひとりであったのだと痛感していた。そして、その母も亡くなった今、自分は本当に天涯孤独な身なのだと思い知らされる。

思いがけず感傷的になってしまい、慌てて考えを打ち消す。レシアはこれからどうするべきか考えねばならず、センチメンタリズムな気分になっている場合ではないのだ。


溜息をついて立ち上がると、声をかけられた。

「ようやく見つけた」

そこにいたのはあの美しい金髪に黄金色の瞳を持ったヒュートマスターだった。

「君の母君の墓だそうだな」

彼はそう言ってレシアの隣に跪き、祈りを捧げた。彼はどうやってここにたどり着いたのかと思ったが、レシアはすぐに考えるのをやめた。

レシアが彼に使ったのは治癒魔法であり、それはヤルナガスの代名詞とも言える魔法だ。

ヒュートはれっきとした国の組織だ、ヤルナガスに娘がいたことなど簡単に調べることができるし、その娘の行方を追うなど赤子の手をひねるより容易いことだろう。

「さて」

祈りを終えた彼は立ち上がり、レシアに向き合った。

「君が謝礼として希望していた忘却だが、残念ながら術を破ってしまった。改めて用意したいのだが、なにか希望はあるだろうか」

彼に問いにレシアは少し目を伏せ、

「では、わたしのことはどうぞ捨て置きください」

と言った。それに対し彼は即答する。

「無理だな」

それはレシアも予測していた反応だった。それでもこうも間髪入れずに返されると腹が立つ。あからさまにムッとした顔を向けるレシアに彼は困ったような顔をした。

「君はもう見出されてしまった、噂は広まり始めているだろう。現に水面下では多くの貴族が君を探し回っているようだ。君が俺の手元にいるうちは守れるが、少なくとも山奥のあの村では不可能だ」

「わたしを探し出してどうするつもりなんですか?」

レシアの問いにマスターは少し瞑目してから言った。

「本当に魔法が使える魔法使いはもうほとんどいないということを、君は知っているか?」

レシアの頷きにマスターは、そういうことだ、と言った。彼の言葉の意味が分からず、レシアは訝しげな顔をすると、彼は言いにくそうに言葉を続けた。

「貴族というのは不思議な生き物で、希少価値のあるものを好むんだ」

「わたしは珍獣ですか?」

「珍獣というより愛妾かな」

君は美しいからな、と彼は笑うがレシアは笑えない。絶句するレシアにマスターは幾分声を和らげて言った。

「俺がもっと強ければ君に魔法を使わせることはなかった。すべては俺の未熟さが招いたこと、申し訳なく思っている」

彼の言葉にレシアは首を振った。

「わたしは自分のなすべきことをしたまでです。魔法とわたしの進退とは無関係だと思っています」

「ありがとう。だが、ヒュートに関わればどういうことになるか、わからない君ではなかったはずだ。君に魔法を使わせたのは明らかに俺のミスだ」

そう言って再度、すまなかった、と謝罪した。

このマスターはその派手な見た目とは違い、ずいぶんと穏やかな物言をする。

いずれにせよ、レシアひとりでふらふらしていたら、いずれどこかの貴族に捕まって妾にされるのがオチだ。

この男がそれと同類でないという証拠はないが、今は村長の手紙に信頼できる人物だと書いてあったことを信じたい。

「それで、わたしはどうすれば?」

レシアの問いに彼はにっこりと微笑み、

「うむ、まずは食事にしよう」

と言った。まさかこのタイミングで食事の提案をされるとは思っていなかったレシアは思わず笑ってしまう。

「ふふ、そうですね。言われてみればお腹がすきました」

「俺も腹ペコだ」

そう言って彼はレシアを促し、村へと向かって歩き出した。

「君、名前は?」

「レシアと申します」

「俺はレイナートだ」

彼の差し出した手をレシアが握り、ふたりは握手を交わした。

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