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25.(閑話)シェリスとトラヴィス

長いです、そして本編とは関係ないので読まなくても全く問題はありません。

ヒュートマスターに女性が就任したのは過去も含めてシェリスが初めてで、そこには予想しえない様々な事態があった。彼女への、高位貴族による愛妾の提案もそのひとつといえよう。

王弟ラウルは貴族の間に根強く残るヒュートへの偏見を払拭したいと考えていた。そこで王族主催の夜会の中で、マスターへの褒章授与式を執り行うことにした。

伯爵令息であるレイナートは顔が知られていたが、その頃はまだ貴族でなかったウォルト、今も平民であるトラヴィスとシェリスはそれが初の顔見せとなった。

式典用の隊服に身を包んだ男性陣は貴族女性の目を大いに楽しませた。シェリスにはドレスが用意された、式典用の隊服とはいえ、男性の装いをした彼女が陛下の御前に出るのは失礼だろうという判断からだった。

その夜会でのシェリスは、王族という立場上、見目麗しい女性を見慣れているラウルでさえ言葉を失うほどの美しさであった。

シェリスの姿を見たレイナートは眉をひそめた。ダンスの申し込みは男性からが通例で、男どもはシェリスの手を取ろうと列をなすであろう。

「シェリス、ダンスは踊れるのか?」

レイナートの問いにシェリスは、簡単なものなら、と返事をした。運動神経と動体視力に優れているシェリスは、一度見ただけでだいたいのステップを把握している。

「シェリスは私が相手をしよう。レイナート、おまえもだな。そのあとは退場していい」

「ですが、貴族の方々との交流はよろしいのですか?」

「それは男どもにやらせるからいい」

ラウルの宣言にウォルトは心底嫌な顔をしたがそれが通じる王弟ではない。

彼のシナリオ通り、シェリスはまずラウルとのダンスを披露した。その手をレイナートに引き渡すつもりが、彼はダンスを申し込まれたい女性陣に囲まれて身動きが取れない状態に陥っていた。

王弟がいつまでもひとりの女性にかまっていることはできない、貴族は勝手な推測であらぬ噂を立てるのが大好物だ。初の女性マスターは王弟のお手付きだなどと言われては、自分の名誉も彼女の誇りも傷つけることになる。

そこで仕方なく親しい間柄の侯爵令息にシェリスを預けたが、それがまずかった。彼女のダンスパートナーはヒュート関係者でなくともかまわないと印象付けてしまったようで、レイナートの危惧した通り、シェリスが彼とのダンスを終えてホールから退くと令息が群がった。

「シェリス嬢、次はわたしと踊ってください」

「ぜひわたしと」

さすがのシェリスも差し出される多くの手をどう捌けばいいのかわからない。相手は貴族だ、気分を害されては困る。かと言って全員と踊るわけにもいかないし、踊るにしてもまずは高位貴族を選ばなければならない。しかしシェリスには誰が高位で誰か下位かすらわからない。

「そのように鼻息を荒くしては無粋というものだよ」

困惑するシェリスを救ったのは公爵当主だった。彼はヒュートに理解を示している数少ない貴族の一人で、シェリスも本部で顔をみたことがある人物であった。

「年の功でまずはわたしが躍らせてもらおう」

そう言って彼はシェリスをダンスフロアへと導いた。

「驚かせてすまなかったね」

ダンスをしながら彼は言う。

「いえ、そのようなことは」

「御覧なさい。お嬢さんの美しさに皆、釘付けだよ」

そう言われてそっと周囲を見渡すと、男女問わずシェリスを見ている者が多く、こんな視線に気づかぬほどに余裕がなかったのだと今更ながらに気づいた。

「このまま端に寄って、ダンスの輪を外れよう」

彼は小声でそう言った。

「最後まで踊らなくていいのですか?」

「抜け出したいときはこうするのさ」

公爵は片目をつぶってみせ、大勢が躍るフロアの中、シェリスを上手くリードし、曲の終わりを待つことなく彼女をホールの外へと連れ出した。

そのままテラスへと彼女を導き、落ち着いたところで公爵はシェリスに飲み物を渡した。

いつの間に用意したのかと驚きながらも、のどが渇いていたシェリスは有難く受け取ることにした。

「女性がマスターになったと殿下から伺っていたのだが、こんなに可憐なお嬢さんだとは知らなかったよ」

「男性と競うつもりはございませんが、劣っているとも思っていません」

シェリスの言葉に公爵は目を細めた。

「あのレイナートをも凌ぐ実力だと聞いている。と、噂をすれば、だ」

そこでレイナートが姿を現した。男性が女性と二人きりになるのは、相手を口説きたいときの常套手段だ。公爵の人となりはレイナートも知っていたが、今夜のシェリスは誰よりも美しい。

誰もがこの華を手折ることに躍起になっており、公爵もその例外ではないのかもしれない、とレイナートは急いで駆け付けたのだ。

「シェリスがお世話になりました」

硬い表情のレイナートに公爵は遠慮なく笑った。

「ははは。わたしがそこまで節操なしに見えるかね?」

「いえ、そのようなことは」

目を伏せるレイナートを面白そうに見ながら公爵はシェリスに言った。

「だが、必要ならお嬢さんをわたしの愛妾にしてもかまわんよ?」

「どういう意味ですか?」

その言葉にシェリスは気色ばんだが、公爵は何でもないことのように話を続けた。

「爵位というのはなかなかに便利でね。わたしはいくつかの爵位を所持しているから、そのうちのひとつをお嬢さんにあげてもいい。愛妾に爵位を譲渡するというのはよくあることだからね」

シェリスは公爵の顔色を窺ったが高位貴族である彼が、考えを読ませるような表情をするわけがない。本気でシェリスを抱きたいのか、単にヒュート支援の一環なのか。

確かに爵位があれは貴族の一員になれる。ダンスを誘ってきた男性の多くに、あわよくばベッドに連れ込んでやろうという下心が見えた。それは少なからずシェリスが平民であることに起因しているのだろう。

貴族令嬢相手であれば、あそこまであからさまな態度はとれない。下位であろうとも貴族でありさえすれば、貴族院の定める規定に守られており、万一、合意なく暴かれたとしても慰謝料の取り立てはできるのだ。

しかし平民にその権限はなく、彼らはそれを承知の上で今夜の相手として面倒ごとのないシェリスに群がったのだ。ラウルがシェリスに早々に退場を促したのもそういうわけがあった。

「必要なら声をかけてくれ」

と言って公爵はその場を立ち去った。彼の後ろ姿が見えなくなってすぐ、レイナートはシェリスに謝罪した。

「すまない、シェリス。俺が迎えに行けなかったせいで」

「いえ、レイナートさんが来たとしても結果は同じだったと思います。社交界がどういうところか、充分に理解していなかったわたしの落ち度です」

シェリスの言葉にレイナートはため息をついてから、

「君はもう帰ったほうがいい、馬車に送ろう」

とエスコートのためにシェリスに手を差し出した。しかし彼女がその手を取るより早く、いつの間に来たのかトラヴィスがシェリスの手をつかんだ。

「トラヴィスさん」

「俺が送る」

彼は驚くシェリスを引きずるようにしてテラスから連れ出し、レイナートはそれを苦笑して見送った。


トラヴィスの歩調は速い、いつもと違ってドレスを着たシェリスは動きづらく、ついていけない。

「トラヴィスさんっ」

シェリスの大声でトラヴィスはやっと足を止めた。

「今はドレスなんですから、そんなに速くは歩けませんよ」

シェリスの小言にトラヴィスは、

「俺はシェリスのことが好きだ」

と言った。

彼が発したなんの脈絡もない突然の告白にシェリスは驚いたが、彼はいつもと変わらない顔でシェリスを見つめている。

それでシェリスは深い意味のないそのままの言葉だと解釈し、わたしも好きですよ、と応じた。彼は、そうか、とだけ言った為、初心な小娘のように顔を赤らめていたら恥をかくところだった、とシェリスは思った。

ラウルの用意した馬車に乗り込んだシェリスはトラヴィスの見送りで下城した。徐々に遠くなっていく王城の明かりを見ながら、シェリスは公爵の提案について、考えていた。


とにもかくにも、その式典以降、ヒュートの活動に賛同する貴族が増え、彼らは本部を訪れることがあった。

応対は基本的にスマイソン侯爵が当たるが、本部にマスターがいるタイミングであれば同席するようにと指示が出ていた。寄付金や支援物資を申し出る貴族が多く、どんな理由があれパトロンは大切にしなければならない。

さすがに、隊服姿のシェリスに誘いをかけてくるような命知らずの貴族はいなかったが、それでも不躾な視線を浴びせられることは多かった。

そういう諸々に神経をすり減らしていた頃に、シェリスは公爵が来ていると知らせが入った。彼は半年に一度ほど本部を訪れ、多額の寄付をしていく。その日も寄付のために訪れたようだった。

シェリスはスマイソン侯爵の指示通り、来賓への挨拶のため客間を訪れた。

「やぁ、お嬢さん。お邪魔しているよ」

「ご無沙汰しております」

シェリスは何事もなかったように挨拶をした。しかし、公爵のほうがその均衡を破った。

「わざわざわたしに会いに来たということは、いよいよ爵位が必要になったのかな?」

それは彼の愛妾になるということと同義だ。シェリスが口を開くより早く、誰かが部屋に入ってきてシェリスの横に立った。

「申し訳ありませんがシェリスと俺は恋仲です、公爵様の愛妾にはさせない」

それはトラヴィスだった。彼の言葉に公爵は驚いた顔をしている、見ればスマイソン侯爵も開いた口が塞がっていない。それはそうだろう、シェリスも驚いている。

この発言にシェリスは面食らったものの、その嘘に乗っかることにした。

「ご報告が遅くなり申し訳ございません」

「いや、報告の義務などないからな」

と侯爵が言い、公爵も、

「知らなかったとはいえ失礼なことを言った、申し訳ない」

と謝罪した。そして、

「愛妾の件なしでも、必要ならば爵位は譲ろう」

と言う。それにトラヴィスはシェリスをぐっと抱き寄せ、

「お気持ちだけで充分です」

と言い、そのままシェリスを連れて部屋から出た。

今日もトラヴィスの歩調は速い、しかし今日のシェリスは隊服で動きづらいドレスではない。

と、トラヴィスは突然足を止めた。

「すまない、速かったな」

「今日はドレスではありませんから」

シェリスの笑顔にトラヴィスも少し微笑んで、そうか、と言った。

「助けて頂いてありがとうございました」

「助ける?」

「恋仲ということにしてくださったおかげで愛妾にならずにすみました」

「俺たちは恋仲ではないのか?」

え?と言いかけ口を閉じた自分はえらいと思う。

「俺はお前が好きだと言ったし、お前も俺が好きだと言ってくれた。それならば恋仲ではないのか?」

まさかあれがそういう意味の告白だとは思わなかった。でも彼の想いを拒む理由もないとも思う。

違う、『拒む』ではない、これは自分にとって嬉しいことだ。

先日、彼に好きだと言われて赤面しなかった自分を褒めた。逆を言えばシェリスは恥じらいたかったのだ、この見目の良い朴念仁に好きだと言われて嬉しかったのだ。

「いいえ、違いません」

シェリスはトラヴィスの手を握り返し、

「わたしたちは恋仲です」

シェリスの肯定に彼はまた、そうか、とだけ言った。

今までと違ったのは、彼が少し顔を赤らめていたことと、短い返答の後に口づけを交わしたことだろうか。


トラヴィスの分かりやすい言葉の分かりにくい愛情表現は今も続いている。

「俺はシェリスのことが好きだ」

シェリスが自らの思考に溺れそうなとき、彼はいつもそう言ってシェリスに存在意義を与える。

「お前はお前のままでいい、俺はそのままのシェリスを好いている」

いつも口数少ない朴念仁のくせに、シェリスを抱くときだけは能弁になる。繰り返し囁かれる愛はシェリスにとって極上の甘味。

「ありのままのお前でいいんだ」

彼はそう言って自らの愛をシェリスの体に刻み付け、シェリスはその愛を胸にまた厳しい現実へと戻っていくのだ。

シェリスもレシアも立ち位置は似たようなものだ、シェリスは唯一の女性マスターであり、彼女は稀有な魔法使い。

彼女たちを取り巻く様々な思惑に頭を悩ますことも多い。それでも傍らに侍らせた唯一からの惜しみない愛は、彼女らを励まし、護り、勇気づけているのだ。

お読みいただきありがとうございます

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