【第2話①】道に落ちていたワイバーンの鱗
そういえば、この白ヒゲと太鼓腹には、初めて会った時から妙な既視感があった。
元のゲームの名前入力画面。酒場のカウンターで、キーボードへ向かっていたドット絵のおっさん。
似ているといえば、似ている。
だが、粗いドット絵だ。白ヒゲ、鎧、出た腹。冒険者ギルドの親父を描けば、だいたいそんな姿になるのだろう。
そう思って、深く考えないことにした。
「カタカタカタカタ……ッターン!」
「……」
薄暗い、木造りの酒場。
壁には紋章入りの旗と、交差した剣。掲示板には羊皮紙の依頼書がびっしりと貼られ、昼間からエールを呷る冒険者たちがいる。
どこからどう見ても、冒険者ギルド。
そこに、場違いな高速タイピング音が響いていた。
「おい、親父。この世界、剣と魔法のファンタジーだよな」
「そうだな」
「なんでパソコンのキーボード叩いてんだよ」
カウンター越しに、今日で百回目のツッコミを入れる。
同じ問答を百回やっている時点で、おかしいのはたぶん俺のほうだ。
「あぁ? 冒険者のデータ管理に決まってんだろ」
「データ管理」
「受注履歴、討伐数、報酬、ランク。全部クラウドにバックアップしてんだよ」
「クラウド」
「うりゃ、会心のッターン!」
人差し指を高々と振り上げ、エンターキーに全力で叩きつける。
バァンッ!
カウンターが震え、ジョッキが跳ね、隣の席の冒険者が肩をびくつかせた。
キーボードは、無傷である。
ミスリル製だからだ。
伝説の鉱石の使い道として、あまりにも間違っている。
だが、もう驚かない。
教会の懺悔室には、なぜか「録音中」の札まで貼られている。
この世界は剣と魔法の王道ファンタジーの顔をして、ところどころに現代文明めいた何かが混ざっている。
ツッコめば負け。
飲み込んで、日々を回す。
数か月の経験が、俺にその処世術を叩き込んだ。
ギルドマスターがキーボードを叩いているあいだ、俺は自分の財布を開いた。
銅貨が数枚。
以上。
……以上、である。
寂しすぎる中身の隅で、先日、川辺で拾ったまんまるい石ころが、ころりと音を立てた。
手のひらに収まるくらいの、妙にすべすべした石だ。値打ちなんてなさそうだが、握ると、なぜか少しだけ手になじむ。
石ころを拾ったあたりから、システム表示が前より読みやすい。
気のせいだ。
そういうことにしておく。
深く考えると、だいたい面倒事として確定するのが、この世界の仕様だ。
財布が銅貨数枚なのには、事情がある。請けているのが、荷運びに水汲み、たまにゴブリン三匹程度の、安い雑用ばかりだからだ。
安いが、それでいい。
この世界の「勇者」は、希望の星であると同時に、極上の獲物だ。王国は外交カードに、教会は広告塔に、貴族は派閥の旗印にしたがる。組織に担がれて笑顔で手を振る人生など、想像しただけで蕁麻疹が出る。
だから、力は使わない。逃げ道を一本だけ残して追い込み、講習で習ったとおりに処理する。段取りさえ組めば、危ないことは何もない。
……戦略としては、完璧なのだ。
問題は、規格外のスペックというやつが、派手な戦場より地味な日常でこそボロを出す、ということくらいで。
「で、今日の納品はそれだけか?」
ギルドマスターの声で、意識が戻る。
「あぁ、隣町からの護衛帰りに片づけた、ゴブリン三体ぶんの討伐証明と――」
俺は使い古した革袋を、カウンターの上で逆さにした。
討伐の証であるゴブリンの耳が、ぽとぽとと転がり出る。
その最後に。
こつん、と。
青灰色の大きな鱗が、硬い音を立てて落ちた。
「…………」
「…………」
……なぜ、それが出てくる。
慌てて袋の中を覗き込み、原因を見つけた。
内側に縫いつけてあった隠し袋。
その底が、ぱっくりと裂けている。
鱗を入れたのは、俺だ。
あの崖の一件で、爆風に剥がれた一枚を拾った。出所を説明できない以上、この街では換金できない。それでも本当に食う金が尽きたときの、最後の保険として持ち歩いていた。宿に置いて盗まれ、勝手に流通すれば、辿られるのは俺のほうだからだ。
その最後の保険が、破れた縫い目から討伐証明の側へ滑り落ちていたらしい。
石橋を叩く男が、足元の袋の穴だけ見落としていた格好である。
白ヒゲをたくわえた鎧姿の男が、鱗をつまみ上げた。
腹の肉は鎧の隙間から堂々とはみ出しているが、その肩と腕は、現役のそれだ。
ランプの灯りに透かすと、ぎらり、と青灰の光が走る。
「ああああ。これは、ワイバーンの鱗だな」




