【第9話④】頭巾の人物
朝食の皿を片付けるりんごさんに向き直り、俺はようやく、本来の目的に立ち返った。
女将に聞けば、逸らされる。二晩かけて、それだけは学んだ。
なら――逸らし方を、まだ知らない相手に聞くしかない。
「……なあ、りんごさん。ひとつ、聞きたいことがあるんだ。最近、このあたりで、何か妙なことはなかったか? たとえば、若い男が、急に倒れたとか」
駄目もとだった。入ったばかりの新人だ。期待はしていなかった。
ところが――りんごさんは、「うーん」と可愛らしく唸ってから、ぽつりと言った。
「……でしたら。ひとつだけ、心当たり、あります」
「!」
りんごさんは、ふいに声をひそめた。
「数日前の夜、ゴミ出しに出た裏口で……若い男の人が、倒れてたんです。そのすぐそばに、頭巾をかぶった人が、じっと立ってて」
「……顔は」
「暗くて、ぜんぜん見えませんでした。わたし、びっくりして、その場から『大丈夫ですかー!』って叫んだんです。そしたら、その人、なにかひとことだけ、ぽつりと言って……」
「何て言ったか、覚えてるか」
「それが……声が小さくて、聞き取れなくて。ただ、たぶん、男の人の声でした。わたし、怖くなって、お店へ助けを呼びに戻ったんです」
「……それで」
「戻ってきた時には、頭巾の人が、ちょうど路地の角へ消えるところで……その時、横顔がちらっとだけ見えて」
りんごさんは、こつん、と自分のこめかみを拳で小さく叩いた。
「立ち姿が……すごく、綺麗だったんです。背筋が、ぴんと伸びてて。それに、あの横顔……この人、どこかで見たことある……って思ったんです。でも、どこでだったか、どうしても思い出せなくて」
「倒れていた男は?」
「お店のみんなで、中へ運びました。女将さんがすぐに治療院へ連絡してくれて……。でも、その後のことは、わたしには分からないんです」
背筋が、ひやりとした。
いこい亭の裏口で、倒れていた若い男。そのそばに、じっと立っていた――頭巾で顔を隠した、正体不明の誰か。声は男。綺麗な佇まい。そして、見覚えのある気がする横顔。
その頭巾の人物が、男を倒した犯人なのか。それとも、たまたま行き会わせただけなのか。決めつけるには、まだ早い。点と点は、まだ線にならない。
だが――確かに、何かが繋がりかけている。
そして、もうひとつ。
この目撃談は、いこい亭の裏口で起きた話だ。キリカが俺の質問を二度とも逸らした、その店の裏で。
つまり、この店は、裏口で男が倒れたことを知っている。女将自身が、治療院への手配までしていた。
知っていて、キリカは俺の質問を二度とも逸らした。
「もし、また見かけたら、すぐ、ああああさんにお知らせしますね! わたし、お役に立ちたいので……!」
りんごさんは、ぐっと拳を握って、小さな胸を精いっぱい張った。
天然で危なっかしいだけかと思っていたが――夜のゴミ出しの最中でさえ、人のことをよく見ている。嘘のつけない素直な目が、見たままを、見たままの形で覚えていた。看板娘は、伊達じゃないらしい。
「ああ。助かるよ。……ありがとう、りんごさん」
「あっ、あのっ」
りんごさんは、もじもじと指先を合わせてから、思い切ったように顔を上げた。
「わたしのこと、『りんご』って、呼び捨てで呼んでほしいです……っ。ご指名第一号の、お客様ですから!」
「……分かった。ありがとう、りんご」
「は、はいっ! りんご、ですっ! ……えへへ。うれしい、です。ああああさん」
◇
帳場で会計を済ませて外に出ると、財布はまた軽くなっていた。
ただ、今日は初めて、財布以外のものを持って帰る。
奥では、女将が口元だけで笑っていた。……あれが何に対する笑みなのかは、考えないことにした。
その足で、俺は広場へ向かった。
噴水前のベンチには、案の定、緑髪が転がっている。
「よー。ずいぶんお楽しみだったようで」
「その挨拶、前も聞いた。……それより、事件のことで、ひとつ掴んだぞ」
「あん?」
「りんごが見てたんだ。数日前の夜、いこい亭の裏口で、若い男が倒れてた。そのすぐそばに、頭巾で顔を隠した正体不明の奴が立っていたそうだ」
メロンの、パンを持つ手が、ぴたり、と止まった。
ほんの一瞬。だが――確かに、止まった。
「……ふぅん」
「声は男らしくて、立ち姿はやけに綺麗だった。それに、横顔には見覚えがある気がしたとも言ってた。……なあ、メロン。お前、何か知ってるんじゃないのか」
噴水の水音だけが、しばらく続いた。
メロンは、手の中のパンをじっと見つめて――それから、いつものサメ歯で、にっと笑った。
「お前さ。たまには、鋭いじゃねぇか」
「茶化すな」
「茶化してねぇよ。……ま、いい線いってる。けど、まだ早ぇよ。その頭巾の御仁が何者なのか、知るには――お前はまだ、ちょいと足りねぇ」
「足りない?」
「でも、安心しな」
メロンは、こちらを見た。
「お前はもう、答えのすぐ手前まで来てる。あとは、自分の足で、たどり着きな」
答えの、すぐ手前。
まるで、答えがどこにあるのかを最初からぜんぶ知っていて、俺がたどり着くのを待っているような言い方だった。




