【第10話①】餞別は送る側が渡すもの
その夜、俺の部屋の台所には、女が二人立っていた。
みかんさんが手際よく包丁を振るい、その隣で、りんごがぎこちない手つきで野菜を切っている。
「み、みかん師匠っ! こ、これで、いいですか!?」
「はい。上手ですよ。……りんご、火加減。あと、ああああさんの好みは、薄味です」
「は、はいっ! しっかり、覚えますっ!」
なぜ俺の宿で、料理の師弟修行が始まっているのか。
聞けば、先日の帰り際、りんごがみかんさんに深々と頭を下げたらしい。「ご指名第一号のお客様に、いつか、おいしいものを作れるようになりたいんです」と。みかんさんは頬を染めて、二つ返事で弟子入りを受け入れた。かくして、休みの日の台所は、二人になった。
そして食卓の椅子には。
「ひひっ。今日は弟子まで増えてんのか。賑やかでいいな。――おい、アタシの分も忘れんなよ」
緑髪のメイドエルフが、当然の顔で足を組んで座っていた。
「……いつの間にいたんだ?」
「彼女(仮)だからに決まってんだろ。彼氏の宿に女が二人も通い始めたとなりゃ、目を光らせるのが筋ってもんだ。アタシは筆頭彼女(仮)、序列一位サマだぜ」
「筆頭彼女(仮)。序列一位。……いつの間に、そんなものまで決まってるんだ」
「ああああさーんっ! できましたよー! 今日はわたしも、ちょっとだけ作ったんですよっ!」
りんごが、得意げにお盆を運んでくる。その後ろで、みかんさんが、ほんの少しだけ不安そうに見守っている。
ひと口、すする。
「……甘い」
「えっ」
「味噌汁が……甘い」
「ああああっ、塩と、砂糖……!」
りんごが頭を抱え、みかんさんが「だから、味見をしてからって、言ったのに……」と猫耳を伏せ、メロンが腹を抱えて、げらげら笑った。
◇
翌朝は、癪なくらい、いい天気だった。
窓の隙間から差し込む光が、床板に細い白の筋を引いて、埃をきらきらと照らしている。事件を抱えた男の部屋に差し込んでいい光量ではない。
昨夜の賑やかさは、まだ部屋のどこかに、湯気みたいに残っていた。
……平和だった。平和すぎて、逆に落ち着かないくらいに。
「よー、ああああ」
ほら来た。
ノックの文化がない緑頭が、扉の隙間から、ひょこりと顔を出す。
「朝から人の部屋に、何の用だ」
「決まってんだろ。モーニングタイムだ。話はそれからだ」
「宿の朝食プラン、もう平らげてきた顔してるだろうが」
「食った。食ったが、別腹だ」
「話の前に飯を要求するやつが、話を持ってきた試しがあるか」
「ひひっ」
笑ってごまかすな。
追い返す理由も特にないので、俺は鍋に残っていた昨日の味噌汁を火にかけ直した。弱火。焦がすと、作った本人よりみかんさんが悲しむ。
ひと口すすって、メロンが、ぴたりと止まる。
「……甘っ」
「昨日の、りんご作だ」
「ぶはっ」
二日連続で同じネタで笑えるやつは、ある意味、幸せ者だと思う。
しばらくは、他愛のない飯だった。パンをちぎり、甘い味噌汁で流し込む。行儀もへったくれもない。窓の外では、市場へ向かう荷車の音が、のんびりと転がっていく。
その途中で、俺は箸を置いた。
昨日から、聞こうと思っていたことがある。
「なあ、メロン。お前――」
「あー、それとな」
人の質問に、話をかぶせるな。
「野暮用だ。しばらく留守にする」
「……は?」
「だから――留守。留守にすんだよ」
「聞こえてる。どこへ行くんだ」
「野暮用っつってんだろ」
「期間は」
「しばらく」
「理由は」
「彼女(仮)が彼氏に全部報告する義理はねぇんだよ」
都合のいいときだけ(仮)を外すな。……いや、外してないな。ついてたな、(仮)。ついてるのに堂々と彼女面をするのが、逆にこいつの強さだと思う。
メロンは残りの味噌汁を一気に飲み干すと、俺のパンの残りを、当然のようにかっさらった。
「おい、それは俺の」
「餞別だ。ありがたく受け取っといてやる」
「餞別は送る側が渡すものだが!?」
止める間もなかった。緑の頭が、ひらりと身をひるがえして、扉へ向かう。
その扉が閉まる、半歩手前。
メロンは振り向かずに、ぽつりと言った。
「……戻るまでに、答えへもう一歩くらい進んどきな」
ぱたん。
扉が閉まって、部屋が、静かになった。
卓の上には、空になった椀がひとつ。飲み干し方だけは、いつも見事に綺麗だ。
結局、聞きたいことは、ひとつも聞けなかった。
ただ、ほんの少しだけ。喉の奥に、小骨みたいな引っかかりが残った。
――答えへ、もう一歩。
あいつはそれを、知っている側の言い方をした。
それに、時期だ。
俺が頭巾の話をしたのが、昨日。野暮用とやらが決まったのが、今朝。……順番として、できすぎている。
偶然かもしれない。偶然じゃないかもしれない。どちらとも決められないものは、決めずに、棚へ載せる。
この棚も、ずいぶん重くなってきた。
空の椀を、俺は黙って洗った。




