【第9話②】ご指名第一号
【システムメッセージ】
発言が、別の意味で受理されました。
※発言の意図については、今回も自己責任です。
みかんさんは、ぽっと頬を染めてから、しゅんと眉を下げた。
「あ、あの……今日のわたしは、お仕事中で……ご一緒、できなくて。ごめんなさい。……でも、りんごさんなら」
「りんご、さん」
「おもてで接客や配膳をしてる、新人の給仕さんなんです。入ったばかりなのに、もうお客さんに大人気で……いこい亭の新しい看板娘なんですよ」
『りんご』さん。
果物ではなかった。また、人間か。
……いや、うすうす覚悟はしていた。前回の一件のあと、俺は確かに考えたのだ。まさか、りんごという名前の従業員もいるのか、と。
覚悟していて、この様である。
「ち、違うんだ、みかんさん。俺がさっき言ったのは、本当に、果物のほうの――」
「ふふ。みかんが、世話になってるねえ」
涼やかな声に、俺は文字どおり飛び上がった。いつの間にか、座敷の入口に、女将キリカが立っていた。腕を組み、何もかも見透かしたような笑みを口元だけに浮かべて。
「へえ……。りんごを、ご指名かい。あんた、見る目だけは悪くないね」
「いや、だから、果物の――」
「ちょうどよかった。新人ってのはね、いい客に当てて、育てるものなんだよ。りんごには、ちょうどいい練習相手が必要だったところさ」
「練習相手。……待ってください、それより、さっきの話を」
「はいはい、その話はあとだ。まずは新人の顔を見てやっておくれ」
とりつく島も、ない。訂正しようとすればするほど、外堀が埋まっていく。前回、この女将に一切逆らえなかった記憶が、本能のレベルで囁いている。――抵抗は、無駄だ。
……気づけば、俺がこの店で口にした言葉は、まだ一度も「情報」に換わっていない。全部、酒や飯や、別の予約に換金されていく。この店は、そういう両替所なのかもしれなかった。
キリカが、帯の間から取り出した小さな鈴を、ちりん、と鳴らした。
とん、とん、と。弾むような足音。襖が、すぱっと勢いよく開いて――
現れたのは、燃えるような赤い髪の女性だった。
毛先のくるりと巻いた長い髪に、椿柄の着物。頬に片手を添えて、にこ、と人懐っこく笑う。見ているだけで毒気まで抜けていくような、不思議な愛嬌のある笑顔だった。
「お呼びですか、女将さんっ。……あれ? もしかして、こちらのお客様が……わたしの……?」
「りんご。この坊やが、お前をご指名でね」
「まあっ! うれしいですっ! わたし、まだ新人なのに、ご指名なんて……! が、頑張りますねっ! ああああさんが、第一号のお客様なんですっ! あの、失敗も多いんですけど……その分、心を込めて、おもてなし、しますっ」
潤んだ瞳で、まっすぐ見上げられて。
――言えない。
「君じゃなくて、果物のほうです」なんて。この混じりけのない笑顔に向かって、言えるわけがない。
ちらり、と、みかんさんを見る。
みかんさんは、ほんの少し複雑そうな顔をして、けれど、こくりと小さく頷いた。
「……りんごさんなら、安心です。わたしの、大事な後輩なので。……でも」
声が、ちょっとだけ低くなる。
「あんまり、仲良くしすぎちゃ……めっ、ですよ?」
最後のひと言だけ、少しだけ拗ねていた。
そして、その一部始終を、座敷の入口で、女将キリカが満足げに眺めていた。
「……あんた、まさか。全部――」
俺が小声で問うと、キリカは、ふふ、と笑っただけだった。
◇
りんごさんの「おもてなし」は、給仕としては、正直、ぼろぼろだった。
お茶を注げば、受け皿に半分ほどこぼれ、
「わわっ、ご、ごめんなさいっ!」
お口直しのアカミの果実を運んでくれば、お盆の上で、皿ごと果実がころころと踊っていた。
――そう。俺は、ついに果物のほうのりんごを手に入れた。人間のりんごさんの手で運ばれてくる、という最悪にややこしい形で。
だが、不思議と、悪い気はしなかった。
失敗するたび、りんごさんは、へこむより先に「つ、次こそはっ」と拳を握って、果実の皮を剥き直す。
「えへへっ。ご指名第一号のお客様に、はじめて、こぼさずにお茶を出せましたっ」
湯呑みを両手でそっと置いて、りんごさんは、世界を救ったかのような顔で胸を張った。
……給仕としては、そこが出発点なのでは。
――だが、忘れていた。ここは、神様公認の汚染値対策施設である。給仕だけで、すべてが終わる店ではなかった。
空いた重箱がいつの間にか下げられ、行灯の芯が短く落とされ、襖の外の賑わいがふっと遠のいて。りんごさんが、湯呑みを置いた手をそのままに、こちらを見上げていた。
「あの、ああああさん。……ここからは、その、給仕のお仕事じゃ、なくて」
頬を、りんごの実よりも赤くして。
「……えっと。しっかり、お世話させて、いただきますねっ」




