【第9話①】アカミの果実の照り焼き重
通い妻――もとい、何かと理由をつけては俺の宿に通って飯を作っていく猫耳料理人のみかんさんが、その朝、いつになくそわそわしていた。
「あの、ああああさん。今度の新作メニュー、いこい亭で出すことになったんです。それで、その……正式にお出しする最初のお客様は、ああああさんがいいなって」
頬を染めて、両手で品書きの紙を差し出してくる。
『新作・アカミの果実の照り焼き重 ~女将監修~』
「アカミの果実……」
「はい! この前、コガネの実と一緒にお見せしたアカミの果実を使ったんです。お肉との相性が、抜群なんです。ああああさん、アカミの果実も、お好きですか?」
好きだ。それも、かなりの好物だ。
アカミの果実――甘酸っぱい赤い果実で、俺の世界でいう、りんごだ。
……慎重にいけ、俺。
前回、俺は果物の名前を叫んで、一人の女性に告白する羽目になった。同じ轍は、二度と踏まない。今日の俺には、鉄の掟がある。
――店の中で、果物の名前を、口に出さない。
注文は品書きを指させば済む。感想は「うまい」で通す。完璧だ。
「……ありがとうございます。ぜひ、食べに行きます」
「ほんとですか! よかった……あ、でも」
みかんさんは、ぴく、と猫耳を伏せた。
「お店だと、その、女将さんもいますし……他の子も、いますし。あんまり……取られたく、は……あっ。な、なんでもないです!」
「……取られません。断言します」
飯を食って、聞き込みをして、まっすぐ帰る。それだけだ。
決意も新たに、俺はいこい亭ののれんをくぐった。
◇
「あら、いらっしゃい」
カウンターの奥、女将キリカが帳面を片手に微笑んだ。例によって、笑っているのは口元だけで、目の奥は読めない。
「みかんから聞いてるよ。新作、せいぜい楽しみにしておいで」
「その前に、女将さん。ひとつだけ。最近、街で若い男が倒れてる件で――」
「はいはい、その話は飯のあとだ。せっかくの新作が冷めちまうよ。――おーい、このお客さんを奥の座敷へお通しな」
……また、だ。
この店で衰弱事件を口にすると、必ず何かが割り込んでくる。前回は酒だった。今日は飯だ。二度あることは、たぶん偶然ではない。
だが、ここで粘れば前回の二の舞になる。「飯のあと」と女将は言った。言質は取った。まずは、食う。
通された畳の座敷に、ほどなく運ばれてきたのは、ほかほかと湯気を立てる重箱だった。
艶々と照りの乗った肉の上に、薄く切ったアカミの果実。タレの香ばしさと、果実のほのかな甘酸っぱさが、鼻先をくすぐる。
一口。
「……うまい」
また、それしか言えなくなった。みかんさんの料理は、本当にずるい。語彙を奪っていく。
だが、今日はそれでいい。感想は「うまい」で通す。掟のとおりだ。
完食。茶を含んで、俺は静かに勝利を噛みしめた。
言わなかった。果物の名前を、ただの一度も。
石橋を叩き、ヒビを確認し、無事に渡り終えた。あとは聞き込みだけだ――
「お口に、合いましたか?」
襖の向こうから、みかんさんが嬉しそうに顔を出した。仕事の合間に、わざわざ様子を見に来たらしい。期待に満ちた目で、こちらの言葉を待っている。
その顔を見た瞬間、張り詰めていた何かが、ふ、と緩んだ。
その時だった。脳内に、見慣れたウィンドウが浮かんだ。
【選択肢】
食後のお口直しは?
コガネの実を頼む
アカミの果実を頼む
茶でしめる
会計する
お口直しに、甘酸っぱいアカミの果実。この重箱のあとなら、最高だろう。
だが、待て。掟はどうする。果物の名前は口に出さない。ならば品書きを指させば――ない。デザートは品書きに載っていない。この選択肢は、俺の脳内にしか存在しない。
指させない選択肢は、口で言うしかない。
掟と食欲が、正面から衝突した。そこへ、目の前の嬉しそうな顔が、最後の一押しをした。うまかった。本当に、うまかった。作った人への賛辞も、ちゃんと伝えるべきだ――
賛辞と、食欲と、緩みきった警戒。三つが、俺の口の中で、最悪の形で合流した。
「みかんさん、最高でした。……みかんも、りんごも、両方ほしいくらいだ」
言い切ってから、全身が、すっと凍った。
橋は、渡り終えた三歩先が、いちばん危ない。
恐る恐る、みかんさんを見る。
「えっ……!? わ、わたしと……りんごさんを、ご指名……ですか……!?」
「ご指名ェ!?」




