【第8話④】世界一遠回りなデザート
みかんさんは、ぱあっと顔を輝かせ――それから、「明日から、何を作ってあげましょう……うふふ」と、聞き捨てならない独り言を呟き始めた。
待て。明日から?
と、彼女は何かを思い出したように起き上がった。
「い、いけない。デザート、まだお出ししてませんでした」
部屋の隅の盆から、橙色の果実をひとつ取ってくる。白い指が、器用に皮を剥いていく。ふわり、と柑橘の香りが広がった。
ああ、この匂いだ。日本にいた頃の、冬の匂い。
「コガネの実です、どうぞ」
「……いただきます」
ひと房、口に入れる。甘酸っぱい果汁が、じゅわりと広がった。
結局、本来の注文の品が手元に届くまでに、俺は一人の女性に告白する羽目になった。世界一遠回りなデザートである。
「……うまい」
うますぎて、別の意味で泣きそうになった。
「ふふ。よかった」
みかんさんは、ほっとしたように微笑むと、自分用に淹れた茶を、ふー、ふー、と長いこと吹き冷ましてから、ちびり、と飲んだ。
「……猫舌なんですか」
「! な、なんで分かったんですか!」
「いや、今ので分からない人はいないです」
料理人なのに、猫舌。耳が、しゅん、と伏せられた。本人いわく「味見は舌先でちょっとずつやるので大丈夫です」とのこと。
……大丈夫なのか、それは。
――ピロリロリン――♪
【システムメッセージ】
みかんが『ハーレム枠(仮)』に追加されました!
胃袋が完全に掌握されました。
スキル『通い妻(飯)』が解放されます。
「待て。枠が増えている」
【みかんEND】
~湯気の向こうのやさしい時間~
天井のあたりに、金色の優しい飾り文字が、ふわりと浮かび上がった。
GAME OVERですらない。疑問符すらつかない、満場一致の大団円みたいな顔をしたエンディング表示である。
「ENDの題字だけ毎回いい話風なのはやめてくれ……」
俺はみかん(果物)を頼んだだけなんだ。
飾り文字は、湯気のようにゆっくりと溶けて消えた。
隣でみかんさんが「えんど……?」と首を傾げている。そうだった。これは俺にしか見えないのだった。
◇
――数日後。
宿屋のファミリールーム(朝食付き・俺の金)に、規則正しい包丁の音が響いていた。
とん、とん、とん。
台所に立っているのは、作務衣姿のみかんさんである。
この部屋、先日から台所付きにグレードアップしている。受付のユズさんが「お料理をされる方がいらっしゃるようですので」と、それはそれは良い笑顔で提案してきたからだ。差額は、もちろん俺の金である。
「もうすぐできますからね。今日は煮物と、焼き魚と、お味噌汁です」
「……ありがとうございます」
あの夜以来、みかんさんは「お客様の食生活が心配なので」という理由で、休みの日になると俺の宿に通い、手料理を振る舞ってくれるようになった。完全に、通い妻のそれである。
断る理由は――正直、なかった。うまいのだ。みかんさんの飯は、ほんとうに、うまいのだ。
みかんさんはいまだに、俺が自分を熱烈に求めた男だと信じている。誤解を解くタイミングは、みかんを剥いてもらったあの瞬間に、永遠に失われた。
……いや。失われた、ということにして、俺が棚に上げているだけだ。
果物の件も、「大好きです」の中身も、いつかは、ちゃんと言葉にしなければならない。それをしないままこの味噌汁を飲み続ける資格が俺にあるのかは――今は、考えないことにしている。棚の上が、また一つ増えた。
ただし、ひとつだけ。より目先の、重大な問題があった。
食卓の椅子に、緑髪のエルフが、偉そうに足を組んで座っているのである。
「へへっ。みかんの手料理か。今日はアタシが味見役だな」
言いながら、メロンは立ち上がって、当然のように俺の前髪をかき上げた。
「痛い。やめろ」
「点検だよ。……ふん、きれいなもんだ」
「そりゃそうだろう」
「そりゃそうだろうな」
含みしかない言い方をして、こいつはにやりと笑った。
「……そもそも、なんでお前がいるんだ」
「彼氏の部屋に新しい女が通ってるとなりゃ、視察に来るのが筋ってもんだろ」
「視察と言いつつ箸とお椀をスタンバイしてるのはなぜだ」
「視察は舌でするもんだ」
「しない」
修羅場を覚悟していた俺だったが、みかんさんはメロンを見るなり「メロン先輩!」と普通に懐いていて、拍子抜けした。
だが、なぜ「メロン先輩」なのかは分からない。いこい亭の中には入りたがらないくせに、どこで先輩をやっていたんだ。
「みかんー、アタシ大盛りな。あと魚は二匹つけろ」
「はーい、メロン先輩」
「人の家の飯に追加注文するな」
「彼氏の甲斐性ってやつだな。うむ、よきよき」
やがて、卓に並ぶ、湯気の立つ和定食。三人で囲む食卓は、悔しいことに、ひどく温かかった。
「「「いただきます」」」
味噌汁をひと口すすって、俺はふと我に返る。
いこい亭には、行った。行ったのだが、定食を食い、みかんを叫び、勘違いされ、ENDを迎え、通い妻ができた。店の中で増えた情報は、ゼロである。むしろ、抱えるものが増えた。
店に入るたび、調査以外の何かばかりが確定していくのは、どういうことなんだ。
……いや。
本当に「どういうことなんだ」で済ませていいのか、それは。
思い返せば、あの晩。女将は「自慢の料理人を、つけてあげるよ」と言った。料理だけの担当を、わざわざ、個室に。あの含み笑いは、なんだったのか。
俺は毎回、事故に遭っているつもりでいた。だが、事故の起きる場所と席を決めているのは、いつも、あの帳面を持った女だ。
それと、もうひとつ。
あの日、みかんさんが差し出した、もう片方の果実。
『アカミの果実』――りんご。
メロン。みかん。まさか、りんごという名前の従業員までいるのか? この店は、果物縛りなのか?
……知るのが、少し怖い。だが、次にのれんをくぐるときは、注文の前に、まず店を見る。
女将の帳面が、俺の何を書き込んでいるのか。それを確かめるまで、もう「お客様」ではいられない。
今度こそ。……たぶん。




