【第8話①】鉄の作戦
いこい亭への再挑戦には、また数日かかった。
所持金ゼロでは、のれんをくぐった瞬間に前回の二の舞である。俺は日雇いで最低限の資金を作り、その合間に聞き込みも続けた。
だが、街で拾える噂は、もう出がらしだった。新しい糸口は、あの藍色ののれんの内側にしかない。
かくして、どうにか財布を復活させた俺は、夕暮れの表通りに立っていた。
目の前には、藍色ののれん。『いこい亭』。
今回の俺には、前回の敗北から導き出した、鉄の作戦がある。
一、酒は飲まない。
二、女将と目を合わせない。
三、選択肢が出たら、考える前に正解を口に出す。
完璧だ。あの夜と同じ轍は踏まない。
……それはそれとして。
「そういえば俺、ここでまだ何も食べてないな」
前回は酒ばかりで、料理の記憶がほとんどない。だが、のれんの奥からふわりと漂ってくる出汁の香りは、空きっ腹に容赦なく突き刺さってくる。
調査は、腹ごしらえをしてからでも遅くない。
俺はのれんをくぐった。からん、と鈴が鳴る。
「あら、いらっしゃい」
カウンターの内側で、女将キリカが帳面を片手に微笑んだ。
「この前の坊や。よく来たね。てっきり、しばらく顔を見せないかと思ってたよ」
「……どうも」
目を合わせない。作戦その二である。俺はキリカの手元の帳面のあたりに視線を固定した。
「ふふ。警戒しちゃって。今日は何にするんだい?」
来た。
脳内に、運命の選択肢ウィンドウが浮かぶ。
【選択肢】どうする?
食事を頼む
情報を聞く
女の子を紹介してもらう
女将
今回は読まない。上から順に目で追ったりしない。下の二つなど、視界にも入れない。
作戦その三、考える前に正解を叫ぶ!
「食事を頼む!」
「はいよ。いい返事だ」
「酒は結構です」
「あら、つれないねぇ」
よし。言えた。事故らずに言えた。作戦一と三、同時達成である。
ウィンドウが、心なしか拍手でもするように、ぱたんと閉じた。俺は今、確実に成長している。
「なら、奥の座敷へどうぞ。……うちの自慢の料理人を、つけてあげるよ」
キリカはそう言って、障子で仕切られた座敷へと俺を案内した。
その口元に、何やら含みのある笑みが浮かんでいたことに、この時の俺は気づいていなかった。




