【第7話②】選択肢に、女将がいる
「キリカだ。この店を、仕切ってる」
女将――キリカは、帳面を胸に抱えるように持つと、こちらを眺めた。
近くで見ると、よく分かる。この女は、店の空気を、まるごと掌握している。客の杯の減り具合。誰が、誰と話しているか。扉の鈴が鳴るたびの、来客の気配。その全部を、笑顔の奥で数えている。
メロンとはまた別種の、底知れなさだった。
「で、何が欲しいんだい? 腹ごしらえか、耳寄りな情報か。……それとも、もっと別の『お楽しみ』かい? ふふっ」
キリカが、ほんの少し、首を傾げて笑う。
その瞬間――背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。甘いはずの誘い文句なのに、なぜか檻の前に立たされたような感覚。
俺は慌てて、本題を切り出そうとした。
「あの、実は、街で起きている――」
「その前に、一杯だけ付き合いな。話ってのは、喉が湿ってからのほうがいいのさ」
琥珀色の小瓶が、音もなくカウンターに置かれた。
……いきなり、逸らされた。
その時だった。
脳内に、選択肢ウィンドウが、浮かんだ。
【選択肢】
食事を頼む
▶情報を聞く
女の子を紹介してもらう
女将
待て。
最後。最後の選択肢、一つだけ遠く離れた、これは何だ。
食事、情報、女の子。そこまではいい。いこい亭の性質を考えれば、まだ理解の範疇だ。
だが、女将。
女将。
「……えっ、女将?」
声に、出ていた。選択肢に並んだ予想外の二文字に、脳が処理を放棄して、口だけが先に動いたのだ。
脳内で、ピロン、と軽い音が鳴る。
待て。今の、確定音じゃないよな。
ウィンドウのカーソルが、すっ、と最下段へ滑った。
動いた。今、確実に、動いた。
「おやおや。私を、ご指名かい?」
「ち、違――今のは、選択肢を、読んだだけで……!」
「ふふ。お客さん、面白いことを言うねぇ。……選択肢?」
しまった。ウィンドウは、俺にしか見えていないのだった。
これでは、女将を指名した挙句、意味不明な言い訳をする、ただの不審者である。
言葉に詰まった俺の前で、キリカが、ほんのわずかに、身を乗り出した。琥珀の瞳が、すっと細められる。行灯の灯りが、結い上げた髪の後れ毛を、白い首筋を、淡く照らした。
年上の女の、不意打ちの色香。
それは、ぼっち歴イコール年齢の元大学生には、ただの毒だった。
「悪いけど――私の相手は、ずいぶん高くつくよ」
とん、と。キリカが、帳面の角で、軽くカウンターを叩いた。
もう「注文は通った」と言わんばかりの仕草だった。
「……いろんな意味で、ね」
キリカは帳面を小脇に挟むと、棚から琥珀色の小瓶を二本、音もなく抜き取った。
「奥へおいで。ご指名の席は、カウンターじゃ味気ないからね」
……こうして俺は、事故で指名した女将と、差し向かいで卓を囲むことになった。
誤解を解く機会は、たぶん、もうない。
ならばせめて、この席を調査に使う。飲まされる前に、聞くべきことを聞く。
――そう決めて座った俺が、どういう夜を過ごしたか。
順を追って、話す。




