【第6話①】普通の力で、普通に運ぶ
今度こそ、いこい亭へ。
――そう意気込んで、宿屋を出て十歩。俺は立ち止まった。
財布を開く。見る。閉じる。もう一度、開く。
中身は、石ころが一個。
「……おい、メロン」
「なんだよ」
「昨日の記念パーティーで、俺の金、ほとんど使い切ったよな」
「使い切ったんじゃねぇ。幸せな形に変換したんだ」
「財布の死体を美談にするな!」
素寒貧で神様公認の店に乗り込めないことは、先日、のれんの前で身に染みて確認済みである。
「……まず、日銭だな」
「ん。彼氏が働き者なのは、いいことだぜ」
「誰のせいだと思ってるんだ。お前は手伝うんだよな?」
「あん? アタシは広場担当警備員だぞ。持ち場を離れるわけにはいかねぇだろ」
「都合のいい時だけ職務に忠実になるな」
「ひひっ。飯時には呼べよ」
「呼ばなくても来るだろ、お前は」
メロンはひらひらと手を振って、広場のほうへ戻っていった。
手伝う気は、一ミリもないらしい。
◇
午前は、市場の荷運びだった。
「今日は荷馬車ごと持つなよ。運ぶのは中身だけだ」
「……分かってます」
顔を合わせるなり、親方に釘を刺された。前回の一件は、まだ忘れてもらえていないらしい。
言われたとおり、酒樽や穀物袋を、一つずつ抱えて往復する。これはこれで、案外難しい。力を入れすぎれば樽の箍が軋むし、抜きすぎれば指先で樽が踊る。
「普通の力で、普通に運ぶ」という、ただそれだけのことに、俺は午前中いっぱいの神経を使った。
勇者スペックというのは、便利なようでいて、日常にはまるで向いていない。
昼は、井戸さらい。ついでに頼まれて、柵から逃げた豚を一匹、捕まえた。
そして、井戸端というのは、この街でいちばん噂の集まる場所でもある。
衰弱事件の情報収集依頼を、俺は忘れたわけではない。財布の都合でいこい亭には踏み込めないが、耳だけなら、タダで使える。
「そういえば、また倒れたんだってねぇ。若い男が」
「今度は東の路地だろう? 前は市場の裏だったのに」
「傷ひとつなかったって話じゃないか。財布も、手つかずだったって。怖いねぇ」
泥をさらう俺の頭上で、おばちゃんたちが勝手に情報を交換してくれた。
もはや聞き込みというより、浴び込みである。
だが、拾えたのは、親父から聞いた話の裏づけだけだった。
倒れる。傷はない。財布も無事。
それ以上へ進む糸が、一本もない。




