【第4話②】尊厳の値段は特上串十本
背中から、重石を降ろしたような軽さがあった。
朝の立ちくらみも、荷物の重さも、あれは全部これだったのだと、体のほうが先に納得している。
数日ぶんの鉛が、まとめて抜けていく感覚だった。
メロンは壁に背を預けたまま、まだ息を整えていた。
「……ふぅ。一週間も留守にするからだろ、お前なァ……溜めすぎなんだよ」
「……悪かったよ」
顔が熱い。
直視できない。
ふと思い出して、額に手をやる。指先には、何の感触もない。
【システムメッセージ】
ああああの汚染値が下がりました。
Mマークは消えました。
大切な『あれ』も、ぶじ守られたようです……よかったですね。
「……システムメッセージまで、俺をイジってくるのか」
脳の隅の半透明ウィンドウが、ほんの少しだけ、揺れた気がした。
返事のような、ただの錯覚のような。
……最近、こいつ、ただの幻覚じゃなくなってきてないか?
「……今、何か言ったか?」
返事は、ない。
閉じぎわのウィンドウが、つん、と取り澄ましてみせた気がしたのは――まあ、たぶん、気のせいだ。
メロンが、くすりと笑った。
俺の胸を、指先でつつく。
「へへっ。ちょっとは素直になってきたじゃん。……次があるなら、もうちょっとアタシのペースに合わせろよ?」
「……次って」
「なーんてな」
ぱんぱん、とエプロンドレスの埃を払う。
たったそれだけの仕草で、さっきまでの甘ったるい空気が、嘘みたいに消えた。
いつもの「がめついエルフ」の顔だ。
切り替えが、早すぎる。
「さてと。お前の大事なモン、ギリギリで守ってやったんだ。たっぷり感謝の気持ちってやつを、示してもらおうかね」
「……は?」
「お前の財布の中身、今日でカラにしてやんよ。ほら、ついてきな!」
「……おい、待て」
腕をガッチリ掴まれ、ずるずると表通りへ引きずり出された。
――こうなると、俺は、めっぽう弱い。
にこっと笑って腕に絡みつかれるだけで、脳みそが処理落ちして、気づけばほいほいついていってしまう。
……我ながら、安い。
メロンが足を止めたのは、広場に面した店のなかでも、ひときわ高級そうな食事処の前だった。
看板には、でかでかと『霜降り串焼き亭』。
その下には、『超絶特上・飛竜串』の文字が躍っている。
店先の黒板には、見てはいけない桁数が並んでいた。
……ワイバーン。
俺がギルドに預ける羽目になった鱗の、持ち主と同じ生き物である。
あっちは出所不明で換金不可。
こっちは堂々と串になって、値札がついている。
この世界の流通は、どこかが根本的に間違っている。
メロンは慣れた様子で窓際の席に陣取ると、店主にビシッと指を立てた。
「おやじ! 特上ワイバーン串を十本。昼の豪華ランチセット一式。食後に、幻のメロンパン五個。支払いはこっちの、無事に男の尊厳を守り抜いた、歩くサイフ様だ」
「は、はいよォ! まいどあり!」
「……ちょっと待て。特上ワイバーン串、一本五百ゼククだろ。それを十本。メロンパンも一個百ゼククだ。今日の依頼料が入っても、まとめて消し飛ぶ計算なんだが」
「あぁん? ソレの値段だと思えば、安いもんだろ。アタシだって、それなりに体力使ったんだ。カロリー、補給させろ」
「……っ」
路地裏を盾に取られると、ぐうの音も出ない。
この恩は、構造的に逆らえないようにできている。
俺は血の涙を流しながら、ツケを頼んだ。
「ひひっ。じゃ、遠慮なくいただくかね!」
メロンは湯気の立つ串を受け取るなり、さっき路地裏で見せた色気を、どこかへ完全に放り捨てた。
ガツガツと、行儀悪くかぶりつく。
「はふっ、んん~っ! うめぇ!! やっぱ、タダで食うワイバーン肉は格別だぜ!」
「タダじゃない。俺が払ってる。あと、さっきのしっとりした空気はどこ行った」
「んが? 運動したあとの肉は最高だな! おやじ、タレもっと!」
「……その言い方をやめろ」
口の周りをタレまみれにして、皿が、鉄板が、籠が、つぎつぎと空になっていく。
その小さい体の、どこに入っているんだ。
……ん?
待てよ。
「おい、メロン」
「んが? お前も一本食うか?」
「そうじゃなくて。……汚染値が溜まりきると再登録されるっていうなら、なんで俺は、今日まで平気だったんだ? この数か月、色っぽい話なんて、ただの一回もなかったんだぞ」
言ってから、自分で気づく。
おかしいのは、今日Mマークが出たことじゃない。
数か月ものあいだ、一度も出なかったことのほうだ。
計算が、まるで合わない。
メロンは串を咥えたまま、心底あきれたように、ふっと息を吐いた。
「お前さ。ほんっとーに、鈍感だな、ヘタレ」




