第4話 ハンチング帽。
エリーアスはいつものフリルの付いたブラウスを脱いで、ラルフが用意した庶民用の着替えに袖を通す。よれっとしたシャツにスラックスはサスペンダー付き。
ボタンをしめながら宰相から上がってきた報告書にもう一度目を通す。
下町のその奥に、いつの間にか住み着いた住人は少なからずいた。そこにここ数年、200人ほどの人数が増えた。バラックのような小屋をぎゅうぎゅうに立てて暮らしている。子供も多い。それぞれ日雇いのような仕事をして暮らしているようだが、衛生状態も良くない。
地方からの重税に耐えかねての夜逃げなのか?規定率以上の税は取らないように目を光らせてはいるが、抜け道を作る奴らは必ず出てくる。
昨年から、その貧民街の住人に対し、春から開拓団に入って北部に移住しないか。もしくは、軍属で働く気なら雇おう、という告知をさせていたが、応募してくるものがほとんどいないと宰相の秘書官から報告が上がってきた。
「あいつらは、働く気なんかないんですよ?殿下」
にやついてそう言う男。胡散臭いことこの上ない。
春なんかとっくに過ぎて、もうすぐ6月になる。
開拓民の条件もなかなかいいものだし、一時金も出すことが明記されている。そのための予算も組んでいる。受け入れ先の北部の領主も準備を整えていることになっている。立ち退き後は市民のための公園が整備される予定だ。もともと…一つ小さな教会があって、その周りは公園だったのだが。
何を聞いても、あの宰相秘書官はのらりくらりと話をはぐらかしているので、エリーアスはうんざりしていた。自分の直属の部下にも見に行かせたが、貧民街にきちんと告知看板は出されているらしい。
じれったいので実際自分で状況を見にいこうとして、ラルフや自分の秘書官のフリッツに止められる。
「殿下?お忍びで行くなら私が同行します」
…ラルフと行ったら、身元がばれそうだ。
「いや。女性騎士とお忍びデートっぽく行ったらどうですか?」
…って言ってもな、フリッツ…。今いる女性騎士は母親ぐらいの年齢だし…いっそ親子設定で?
そんなことがあって、モニカを誘って下町に出かけることにした。あの子なら自分の身ぐらいは守れるだろう。もちろん少し離れて護衛が私服で付く。
お支度をしていると、ラルフがにやにや笑いながら、俺にハンチング帽をかぶせてくれた。いつもの茶色の髪のカツラに色付き眼鏡。
「殿下…もーちゃんをすっかり気に入りましたね?うふふっ」
「…あいつは媚びる、ってことを知らないみたいだからな。充分に強いし。その割に殺気もないし、ぼーっとしているから警戒されなそうだ。飯を食うのも遅い。」
「…いや…そう言うことじゃなくてですね…まあ、はあ」
フリッツがまだ何か言いたそうだったが、使用人用の通路のドアノブに手を掛ける。
***
モニカがきっと、凄くおしゃれしてくるだろう、という僕の読みは外れた。
ほぼほぼいつもの格好だ。シャツにカーキー色の地味なスカート。いつもの一本結いの髪に麦藁帽子。下町をぶらぶらするには十分すぎるな。
珍しくスカートを履いているのは、
「護身用のナイフを隠す場所がなかったから、仕方なく」
なのだそうだ。
下町をぶらぶら歩く。
駄菓子屋でモニカが飴玉を一袋買う。肩から下げてきた布袋に押し込んでいた。
衣料品店には足を止めなかったモニカが、町はずれの鍛冶屋の前で興味津々に足を止める。
「なんでェ嬢ちゃん、鍋でも釜でも包丁でも綺麗に直してやるぞ?」
「ほおお。おやじさん、腕が良さそうね。なんかあったら頼みに来るわね!」
「おう!」
鍛冶屋のおやじは手を動かしながらも機嫌が良さそうだ。こいつのオヤジ転がしは天性のものなのかもな。
そのまま進むと、街並みの雰囲気が変わる。
もともと町はずれにあった庶民用の教会の敷地から始まったバラック小屋は、そのまま範囲が広がって行って…今はおばあ様の離宮にあと1キロ、といったところまでか。狭い通路に寄せ集めた廃材と布の切れ端で家らしいものが作られている。生ごみと汚物と古い油のようなにおい。時折、汚れたシャツを着た子供たちが走っていく。
きょろきょろと周りを見渡しながら、モニカが付いてくる。たいして嫌がっている素振りではない。モニカには今日の目的地はこの先にある教会だと言ってある。
小汚い細い路地を抜けると、小さな教会が見えた。小さなアーチに蔓バラが巻き付いて花を咲かせている。
その教会の前に不釣り合いなほどデカい告知板が建てられている。
【 告
1)北部への農業開拓民募集。200名。衣食住提供。当座の資金として、一人頭10万ガルド支給。希望者は役所に申し出ること。
2)軍属の雑用係募集。20名。調理・下働き、掃除・洗濯など。給金制。寮あり。休日は週に一日。希望者は軍の窓口に申し出ること。兵士希望も受け付ける。
(内容に問題はないようだな。それどころかかなりの好条件だが…)
看板を見上げて、エリーアスが、ふむ、と首をひねる。
「ねえ、もーちゃん、」
振り返ってモニカの意見を聞こうとしたら、モニカは集まってきた子供たちと座って、何やら話しながら飴をなめているところだった。
おい…。




