第39話 イリアワイン。
娘が仕事を辞めて帰ってきた。まだ11月半ばだが、もうこの地は雪の中だ。
騎士学校を卒業してから、こちらに帰ってこなかった久しぶりに見る娘の、伸ばしていた髪が短かった。
実は…いきさつは、アダン宛に来た分厚い手紙を読んで知っている。夫が近衛で修行していた頃の上司に当たる、イルマさんからだった。
「まあ、そう言うことなら、な?こっちで結婚すればいいだけだし」
…何が、な?だ。我が夫ながら…。
まあ、末っ子のモニカをかわいがっていて手元に置きたがっていたのは知っているが。
モニカはいつもと同じように長男と領軍の訓練に出て、笑っている。
「ねえ、ソフィーア。今年のイリアワインが届いたから、今夜あたり飲まない?モニカと3人で」
お義母様が笑いながら、イライラしていた私に声をかけて下さった。
***
お義母様の私室で、暖炉の薪が、パチッ、とはじける。
ソファーに座って、モニカはぼーっとそれを眺めているようだ。
「モニカは失恋したんだって?」
「……」
お義母様があまりに直球で切り込んできたので、息をのんでしまった。もう少し、こう…優しく…お願いします。もちろんお義母様にもイルマさんからの手紙は読んでもらっていた。
「私がおじい様と結婚するときね、」
あら?ずいぶん昔の話が始まるんですね?
グラスとつまみを用意しながら、ソフィーアは始まった昔話に耳を傾ける。
「おじい様はアカデミーの学者だったでしょ?この地方に、古語を集めに来てたのよ。うちの書庫にも入らせてくれって訪ねて来てね。私は一人娘で、その頃は領軍の副司令官だったんだけど…もう、あっという間に恋をしてね」
お義母様…?
「もちろん予想はしていたけど、辺境伯家に文官なんかいらないって、親にも親戚中にも反対されて…二人で土下座までしたわ。必ず男の子を産むから許してほしいって。あははははっ。それで5人も産んだのよ。」
からからとお義母様が笑う。
モニカも、もちろん初めて聞いた話だったんだろう。驚いた顔でお義母様を見ている。あの、のんびり屋のお義父様とねえ…そんなご苦労があったんですねぇ…。
ソフィーアはワインのボトルを綺麗に拭くと、コルク抜きでコルクを抜きに掛かった。
「モニカ、愛なんてね、口を開けて待っていたら飛び込んできてくれるものでもないのよね。貰うばかりのものでもないわ。決まった形があるものでもないし、言葉だけが真実でもないでしょう?」
…そうですね。私もそう思います。ソフィーアはキュッとコルクに力を入れる。
「……」
「あなたの好きになった人は…言いたくても言えなかったのかもよ?」
「……そうでしょうか…」
モニカがぽろぽろと泣いている。
言葉に詰まったモニカの次の言葉を、お義母様と待つ。
「…私、傷だらけだし…顔にだって大きな傷があるし。そうじゃなくてもワンピースも似合わないんです。…その人が、素敵なドレスを着た綺麗な女の人と踊っているのを見ました。なんていうか…住む世界が違うんだなあって思い知らされました。それに…その人、もうすぐ婚約するんです。私は仕事でその人の近くにいたから、勘違いしただけなんです。」
「傷は…」
ソファーの隣に座りなおしてモニカの頭を撫でながら、お義母様が言う。
「その傷は、モニカが大事な誰かを守るためだったんでしょう?守れたの?」
「…はい。」
「そう。よかったわね。」
ぽんっ、といい音がして、コルクが抜けた。
ボトルのふちを綺麗に拭いて、3つ用意したグラスに注ぐ。
注いでいるうちにいい香りが立つ。
「今年のイリアワインは当たり年かもね。香りもいいわ。」
「……」
グラスを手に取ったお義母様が、
「あら、本当ね、いい香りだわ。いろいろと国内も落ち着いてきたみたいだし、乾杯でもする?」
と、私とグラスを合わせてさっそく飲みだした。私も一口頂いて…って、どうしたのモニカ?美味しいわよ?
目を大きく見開いたモニカが、椅子から立ち上がった。
「あ…おばあ様、お母様…私、約束をひとつ忘れていました。ごめんなさい。明日にでも帰ります。イリアワインを一本頂いて帰ってもいいですか?」
思わずお義母様と顔を見合わせる。
「まあ、モニカ。お父さんと私も王都に用事があって出かけるのよ?じゃあ、一緒に出掛けましょうか?」
*****
ソフィーアは嫌がる夫の首根っこを掴む。
「いやだ。俺は行かない。」
「あのね、アダン?王太后陛下直々の招待状が来たんだから、行かなきゃ不敬になるわよ?」
「いやだ。行きたくない。」
招待状には、私たち夫婦とご令嬢揃って、とわざわざ書かれている。必ず来るように、と。
イルマさんからの手紙のすぐ後に届いた。この人がいくら駄々をこねても、行くしかないのよ。モニカの想い人に会えそうだしね。
この人は次男坊のアベルが東部卿になったマテーウス様の養子になる手続きも、郵送で済ませた。
「わかったわ。じゃあ、私とモニカ、二人で行くわね。私…もう戻ってこないかもよ?今回は実家にお世話になるし。」
そう言うと、ここの領軍の総司令官であるデカい図体の我が夫は涙目になった。
「実家…ソフィーアは俺を捨てて実家に帰るのか?」
先ほどお義母様のかっこいい昔話を聞いたばかりなので…デカい図体を小さくして泣いている夫を見ると…少しいじめたくなる。
この人は近衛時代に私を散々口説いた。好きだの、愛しているだの、君なしじゃ生きていけない…だの。私は箱入りのお嬢さんだったから、近衛騎士の制服をビシッと着た筋肉質の背の高いアダンにときめいた。強かったし。
すっかりほだされていたというのに…この人は、イザとなったら…あんな物凄い雪国に君みたいなご令嬢は暮らせない!とか言い出して、勝手に私を諦めて国元に帰ってしまった。
頭に来たので、押しかけてやった。
アダンは近衛でも軍でも一番強い男だったが…今日みたいにデカい図体を小さくして雪国で泣き暮らしていた。バカなの?
それから私たちはずっと一緒にいる。王都にもよほどのことが無いと出ない。
…あら?…モニカは…アダンに似たんだわ。




