第29話 ネズミの穴。
警備が分散するといけないので、と、イザベルは殿下の執務室で夕食を取り、そのまま控室に入った。イルマが控える。モニカはもちろん帯剣し、ドアの前に立つ。
王城の前には篝火がたかれ、アシルが軍をひきいて王城と迎賓館を取り囲んだ。厳戒態勢だ。ネズミ一匹入れそうにない。
迎賓館には明日の殿下の誕生祝のために各国の来賓がもう入っている。事故が無いように、出入りを禁止させて、特にフルールから付いてきた使用人たちは、部屋に閉じ込められる形になった。
第二近衛師団のシャンタルは、結局捕まらなかった。今、全力で捜索させている。
普通に…何の変りもなく、今日一日勤務していたらしい。
厩舎に寄ってから帰ると言って退勤したが、その先は全くわからない。寮も探させたが、手掛かりになるようなものは何一つなかった。
…まるで、最初から、そんな女いなかったみたいに。
「殿下の予感が当たっちゃいましたね?」
執務室に駆けつけたフリッツが、ボリボリと頭をかく。
「でもまあ、厳戒態勢を取りましたから、手も出せないでしょう?」
「…だと、いいがな」
エリーアスはため息をついた。
そもそもその女も、本人かどうかは別として、正式に入団した近衛騎士には違いない。入団式に父兄が来るわけでもないから、本人確認は書類に頼るしかない。
と、フリッツが同じことを考えていたらしく、
「今度は入団式に親も呼ぶようにしなくちゃかな?」
そうつぶやいた。
モニカは平常を装っているが、顔色が悪い。
近衛は女性騎士が少ないので、仲良くしていたようだし。
…ああ、そう言えばモニカが、女友達に緑色のワンピースを貸してもらったと言っていたな?
エリーアスは、ふと、そんなことを思いだした。
深夜にラルフが戻ったので、暖炉に薪を入れながら、交代で仮眠した。
「いつまで続くかわからないんだから、お前も少し寝ろ」
というと、割と素直にモニカが毛布にくるまって眠った。
夜が明ける。
***
早朝、イルマがイザベルの着替えを揃えに行くというので、モニカが下の厨房で何か食べ物を調達してくると出て行った。通常は我々の口に入る物は、イルマが別のルートで調達している。まあ、父の事件以降だが。
フリッツは王太后陛下に報告に向かう。
イザベルの部屋の前には、ラルフが立った。
「はいはーい。朝ごはんだよ~」
しばらくして大きなトレーを持って、フリッツが戻った。
「モニカは?どうした?」
トレーには、パンやすぐ食べれそうな甘いパンが並んでいる。あと、果物がいくつか。
「え?下の廊下で、モニカちゃんに会って、はいっ、てこのトレーを渡されたんだよ」
と、トレーをテーブルに置いたフリッツがリンゴを一つ取って齧りだした。
「なんか…ワゴンを押したお掃除メイドを追っかけて行った。掃除道具でも借りるのかな…って?」
(…え?)
「ラルフ?ここを頼んでいいか?」
そう言いながら、エリーアスは上着を羽織って、剣を握る。
「ああ。誰をつれて行く気だ?」
「下にアシルがいる」
「気を付けていけ。一人になるなよ」
「ああ。」
「え?」
と、フリッツの間の抜けた声がする。その頃には、廊下を走りだした。
1階のロビーで待機していたアシルを拾って、厨房からつながる使用人用の廊下を走る。掃除用具置き場の前に、掃除道具を積んだワゴンが一つ、置き去りになっている。邪魔なのでよけようとして、その妙な重みに気が付く。積み重ねられたシーツのをどけると、多分、本物のお掃除メイドが押し込めてあった。息はないようだ。
…なんで気が付かなかった!
「…ネズミは…地下の穴から入ってくるのよ?そう言って二人で笑ってたわ。その意味までは私にはわからないけど。」
エリーアスは、イザベルが教えてくれたことに気が付かなかった自分を悔いながら、掃除道具置き場のドアを開ける。いくつもの掃除用のワゴンが綺麗に並んでいる。両開きの掃除道具入れが開いていて、そこだけぐちゃぐちゃに乱れている。その右端の隙間から、風が下から吹き上げてくる。
…血だ…。
閉まっていれば壁にしか見えないそこは、引き戸になっている。その引き戸に、血の手形が付いている。
8歳になると直系の王族はこの道を教えられる。僕も8歳の時、母に聞いたじゃないか。
「東の道は、東部卿に続き、西の道は辺境伯家に続いているのよ。何かあったら、どちらかの道を選択して逃げなさい。」
…と。
失念していた。
東部卿はこんな秘密まであの女に渡していたのか。
「アシル、馬を引け!ここには兵を!ここから出てきた者は近衛の制服を着ていても拘束しろ。」
「はっ」
エリーアスは馬を待ちきれずに、王城の前を警備していた第二の騎乗隊の馬を借りる。後ろから、やはり騎乗隊の馬を奪い取ったアシルが付いてくる。
間に合うか?いや、生きているのか?
エリーアスは馬を全力で走らせる。
母とランタンを下げて、地下道を歩いた。子供の足で40分ぐらいか。暗くて怖かったから、長く感じただけかもしれない。
地下道の出口は、離宮の裏の森につながっている。大きな岩の隙間。人一人がやっと通れるほどの幅しかない。森自体は離宮が管理しているので、一般人は入れない。
「殿下?」
という警備兵の声が、あっという間に後ろになる。離宮の警備を突っ切って、アシルと森に入る。
メイド服を着た女と、モニカが打ち合っているのを見た時、モニカが生きていた安堵感と同時に、髪が逆立ちそうな怒りを感じた。制服は血だらけだ。メイド服を着た女も同じくらい。女が握りこんでいるのは、イザベルが見せてくれたのと同じ暗器のようだ。
モニカも短剣で応戦している。
馬を降りて、剣を構えた。
目の端でモニカが僕を見たのがわかる。
いつもは結い上げてあるモニカの黒髪が、背中に流れていて、それを鷲掴みにされている。躊躇なく、モニカが自分の髪ごと、女の手を切りこんでいる。
女に抑え込まれたモニカの鼻先まで暗器が迫り…モニカが女の腹を蹴り上げる。
女が体勢を整えるほんの少しの間に、二人の間に入る。女の後ろにはアシルが構えている。僕に襲い掛かろうとした女の手を、暗器ごと切り捨てる。女をバッサリと切り込んで、倒れたのを確認して…モニカに駆け寄った。
「殿下!」
僕を、モニカが全力で払いのけた。ほんの一瞬の出来事だった。
「え?…」
振り返ると、アシルが女の首をはねているところだった。切り離された頭がニヤリと笑いながら、こと切れた。
「モニカ?」
モニカの左腕に、短剣が刺さっている。
最後に女が放ったのは、近衛に支給される護身用の短剣だった。
「大丈夫です。こんなの明日になったら、治ってますよ?」
短剣を自分で引き抜いて、傷口にタイを外して巻き付けたモニカが、僕を見て笑った。




