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正法眼蔵随聞記 第四巻

 正法眼蔵随聞記 第四巻


 侍者 懐奘 編





 第七十六章


 道元は、ある日、学への参入のついでに、僧達に示して、次のように、話した。


 仏道を学び修行する人は、自分の理解に執着するなかれ。

 たとえ、会得している所が有っても、「もしかしたら、決定的に善くない事もあるかもしれない。また、これよりも善い道理が有るかもしれない」と思って、広く、善知識を持つ人々を訪ね、先人の言葉を尋ねるべきである。

 また、先人の言葉であっても、固く執着するなかれ。

 「もしかしたら、これも信じると悪いかもしれない」と思って、次第に、優れている言葉が有れば、それに付くべきなのである。





 第七十七章


 道元は、また、次のように、話した。



 南陽の慧忠 国師は、紫璘 供奉に、「どこから来ましたか?」と質問した。


紫璘「城南から来ました」


慧忠「城南の草は何色でしたか?」


紫璘「黄色でした」


 南陽の慧忠 国師は、童子に、「城南の草は何色ですか?」と質問した。


童子「黄色です」


慧忠「ただ、この童子も、また、(皇帝の)(すだれ)の前で、(最高位の)紫(の衣服)を賜って、皇帝に答えて、奥深い話を話す事ができるのである」



 そのため、この童子も、皇帝の師として真の色を答える事ができるのである。

 「あなた、紫璘の見解は、普通を超えていない」という意味なのである。



 後世の、ある人は、

「紫璘 供奉が普通を超えていない過失は、どこに有るのか?

童子も、同じく、真の色を説いた。

これこそ、真の善知識であろう」

と話してしまって、南陽の慧忠 国師の言葉の真意を用いなかった。



 そのため、「必ずしも古代の先人の言葉を用いず、ただ、真実の道理を知るべきなのである」と知る事ができる。

 疑心は悪い事であるが、また、信じるべきではない事に固く執着して、尋ねるべき意味を問わないのも悪いのである。





 第七十八章


 道元は、また、僧達に示して、次のように、話した。


 未だ学ぶべき物が有る人である僧の第一の用心は、まず、自身に執着した狭い物の見方を離れるべきである。

 「自身に執着した狭い物の見方を離れる」と言うのは、「自身に執着するべきではない」という事なのである。

 たとえ、古代の先人の言葉を研究し、鉄や石のように常に坐禅しても、自身に執着して離れなければ、幾万の劫でも、幾千の生でも、仏や祖師達の教えを会得できないのである。

 まして、「仮の便宜的な方法である仏教と真実の仏教と、密教以外の正しい仏教と密教の正しい仏教を悟る事ができ得た」と言っても、自身に執着する心を離れなければ、いたずらに無駄に、他者の宝を数えてしまって、自らには一銭の半分の分け前も無いのである。

 ただ、請い願わくば、未だ学ぶべき物が有る人である僧は、静かに坐禅して、道理によって、自身の最初から最後までを尋ねるべきなのである。

 身体髪膚は、父母の二滴に過ぎず、一息でも止まれば、山や野に離散して、終には泥土と成ってしまうのである。

 どうして、自身に執着できるであろうか? いいえ!

 まして、仏法によって見れば、「十八界」、「五感や意識や理解」が集散した物に過ぎず、どの物を「自身である」と決定できるのか? いいえ!

 仏教と仏教外は別であるが、自身の最初から最後まで「得る事ができない物である」のを修行の用心とするのは、同じなのである。

 まず、このような道理に通達すれば、真実の仏道は明らかに成る物なのである。





 第七十九章


 道元は、ある日、僧達に示して、次のように、話した。


 古代の先人は、「善い者達に親しみ近づくのは、(きり)(つゆ)の中を歩いて行くような物なのである。湿(しめ)っていない衣服といえども、時々、(うるお)う事が有るのである」と話している。


 この言葉の意味とは、善人達に慣れ親しめば、自分では気づかないうちに、善人と成る、という事なのである。


 昔、倶胝 和尚に仕えていた一人の童子は、いつ学び、いつ修行したとも見えず、自分では気づかなくても、長い間、学に参入していた倶胝に近づいたので、真理を悟った。


 坐禅も、自然に、長い間していれば、突然、一大事を明らかにできるので、「坐禅は正門である」事を知るべきなのである。





 第八十章


 道元は、千二百三十六年の十二月の除夜に、初めて、懐奘に、興聖寺の首座を要請した。

 道元は、短時間の説法のついでに、初めて、説法を首座である懐奘に要請したのである。

 懐奘は、興聖寺の最初の首座なのである。


 さて、道元の短時間の説法の趣旨は、禅宗の、仏法が伝来した時の事を取りあげた物であった。


 中国の初祖、第二十八祖の達磨が、西のインドから来て、少林寺に居て、機会を待ち、時機を期待して、壁に向かって坐禅していたら、その年の年末に、(後の第二十九祖である)神光とも呼ばれる慧可が来た。

 達磨は、「慧可が最上の段階の器である」と知って、慧可を直接に親しく指導して悟らせて、僧衣と仏法を共に伝承させたので、達磨と慧可の法の子孫は天下に流布し、正しい仏法が現在に至るまで広く流通したのである。

 今、初めて、懐奘に首座を要請し、今日、初めて、説法を行わせる。

 僧達が少ないのを憂うなかれ。

 自身が初心者であるのを顧みるなかれ。

 汾陽では、(僧の数が、)わずかに、六、七人であった。

 薬山では、(僧の数が、)十人未満であった。

 けれども、皆、仏や祖師達の仏道を修行したのである。

 これらを「寺が盛んである」と言うのである。

 見た事が無いか?

 香厳の智閑は小石が竹に当たった音声を聞いて仏道を悟り、霊雲志勤は桃の花という色形を見て心を明らめたのである。

 竹には、利発や愚鈍や、迷いや悟りは無い!

 桃の花には、浅はかさや深みや、賢者や愚者は無い!

 桃の花は、毎年、花開くが、人々が皆、悟りを会得する訳ではない。

 竹の音声は時々響くが、聞いた者たちが、ことごとく真理を証する訳ではない。

 ただ、長い間、学に参入して修行を保持していた功徳によって、真理をわきまえようと勤労していた事によって縁を得て、真理を悟り、心を明らめたのである。

 竹の音声が、単独で鋭利である訳ではないのである。

 また、桃の花の色形が、特別に深い訳ではないのである。

 竹の音声の響きは絶妙でも、自身だけでは鳴らず、(かわら)などが当たる縁を待って音声が起きるのである。

 桃の花の色形は美しいが、単独で花開く訳ではなく、春風を得て花開くのである。

 仏道を学び修行している中での縁も、このようなのである。

 真理を人々は十分に備えているが、真理を会得するのは多数の縁による物なのである。

 人々は利発であるが、仏道を修行できるのは、多数の力による物なのである。

 そのため、今、心を一つにして、志に専念して、学に参入して究めて、尋ね求めるべきである。

 宝玉は、切磋琢磨によって、宝の器と成る。

 人は、切磋琢磨によって、思いやり深い知者と成る。

 宝玉には、最初から、光の輝きが有る訳ではない!

 人は、初心者の時から、利発な訳ではない!

 必ず、切磋琢磨するべきなのである。

 自ら卑下して、仏道を学び修行するのを緩めるなかれ。

 古代の先人は、「時間を(むな)しく過ごすなかれ」と話している。

 今、次のように、問おう。

「時間は、惜しむ事によって、留まってくれるか? いいえ!

惜しんでも、留まってくれないか? はい!」

 次のように、知るべきである。

 時間が(むな)しく過ぎる訳ではなく、人が時間を(むな)しく過ごしてしまうのである。

 「人も、時間と同じく、いたずらに無駄に、過ごす事無く、切に仏道を学び修行しなさい」と言われているのである。

 このように、心を同じくして学に参入して究めるべきである。

 私、道元だけが独り取りあげても簡単な事ではないが、仏や祖師達の仏道修行の所作は、大概、皆、このようなのである。

 釈迦牟尼仏による仏の知見の開示に従って真理を会得する者達は多かったが、阿難によって真理を悟る人達もいたのである。

 新しい首座である懐奘は、「器ではない」と卑下するなかれ。

 懐奘よ、「洞山の麻、三斤」という話を取りあげて、僧達に示して、話しなさい。


 道元が前述のように話して座を下りた後、首座である懐奘は、再び太鼓を鳴らして、説法した。

 懐奘にとって、興聖寺での最初の説法なのである。

 懐奘は、その時、三十九歳であった。





 第八十一章


 道元は、ある日、僧達に示して、次のように、話した。



 俗世の人は、次のように、話している。


 誰もが、良い衣服を望む!

 誰もが、貴重な味を貪る!

 けれども、「真理を知りたい」と思う人は、山に入り、雲の中で眠り、寒さを忍耐し、飢えをも忍耐する。

 これらを忍耐して真理を守ったので、先人には苦しみが有ったのである。

 後世の人達は、これを聴いて、真理を慕い、「徳」、「善行」を仰ぐのである。


 俗世の人ですら、賢明な人はなお、このようなのである。

 仏道とは、このような物なのである!

 古代の先人も皆、肉体が健康で強くはなかった。

 釈迦牟尼仏が存命時の人達も、皆が上等な器の人ではなかった。

 大小の律蔵によって、諸々の「比丘」、「出家者」について考えると、不可思議な不当な心を起こす者もいたのである。

 けれども、後には、皆、「真理を会得して、阿羅漢と成った」という記述が見られる。

 そのため、私達も、「卑賤で稚拙である」といえども、「悟りを求める事を思い立って心して、修行すれば、必ず、真理を会得できるのである」と知って、悟りを求める事を思い立って心するのである。

 古代でも、皆、苦しみを忍耐し、寒さを忍耐して、憂いながら、修行したのである。

 今の、仏道を学んでいる者達も、苦しくても、憂いても、ただ、()いて、仏道を学び修行するべきなのである。





 第八十二章


 道元は、僧達に示して、次のように、話した。


 仏道を学び修行する人が悟りを得られない理由は、ただ、古い見解に執着するからなのである。

 (もと)より、「誰々から教えられた」とも分からないが、「心とは思考や知覚なのである」と思ってしまい、「心とは草木なのである」と言っても信じないのである。

 「仏とは、三十二相 八十種好と光明が有るはずである」と思ってしまって、「仏とは瓦礫である」と説いても驚くだけなのである。

 このような古い見解への執着は、父が伝えた訳でもなく、母が教授した訳でもなく、ただ、道理が無いのに、自然と、長い間、他人の言葉によって信じて来てしまっている事なのである。

 そのため、今でも、仏や祖師達の決定的な説なので、改めて、「心は草木なのである」と言われれば、「草木は心なのである」と知り、「仏は瓦礫なのである」と言われれば、「瓦礫は仏なのである」と信じて、(もと)からの執着を改めて離れ去れば、真理を得られるのである。

 古代の先人は、「太陽や、月は明らかであるが、浮雲が、これらを覆う。草むらで蘭が茂ろうとしても、秋風が、これを破る」と話している。

 「貞観政要」では、この言葉を引用して、賢王と悪臣に例えている。

 今であれば、次のように、話せるであろう。

「浮雲が覆っても長くはない。

秋風が破っても、また、花開くであろう。

臣下が悪くても、王の賢明さが強ければ、転じる事ができる」

 今、仏道修行を保持するのも、このようにするべきである。

 どんなに悪い心が起こっても、(仏道修行を)堅く守って長い間、保持すれば、浮雲も消えるし、秋風も止まるのは道理なのである。





 第八十三章


 道元は、ある日、僧達に示して、次のように、話した。


 未だ学ぶべき物が有る人である僧は、初心者の時は、悟りを求める心が有っても無くても、経論と、仏経などをよくよく見て学ぶべきである。

 私、道元は、この世のものの常の変化によって、初めて少々悟りを求める心を起こして、終に、ある寺を辞して、(あまね)く諸方を訪ねて、仏道を修行した時に、建仁寺にいた際、正しい師に出会えず、善知識を持つ人がいなかったので、迷って邪悪な雑念を起こしてしまった。

 教えてくれて導いてくれた師にも、「まず、学問の知識を先人の達人に等しくして、優れた人と成り、国家にも知られて、天下で名声を得なさい」と教えられてしまったので、仏経などを学ぶにも、「まず、この国の太古の賢者に等しく成ろう」と思ってしまい、「『大師』などにも等しく成ろう」と思ってしまった。

 ある時、「高僧伝」、「続 高僧伝」などを見て、中国の高徳な僧や仏法修行者の様子を見てみると、当時の師の教えとは違っていた。

 また、私、道元が起こしてしまったような心は、「皆、経論、伝記などで嫌い憎んでいる」と思ったので、ようやく道理を考えれば、名声について考えても、現在の下劣な人に「善い」と思われるよりも、ただ、太古の賢者や後世の善人に恥じ入るべきなのである。

 「等しく成ろう」と思っても、この国の人よりも、インドや中国の先人の達道者や高徳の僧に恥じ入って「等しく成ろう」と思うべきなのである。

 また、「諸々の天人や、(霊的な存在である)目に見えない者達や、諸々の仏や菩薩などに等しく成ろう」と思うべきなのである。

 このような道理を会得して、後には、「この国の大師などは土や(かわら)のような者どもなのである」と思えて、従来の心身を皆、改めたのである。

 釈迦牟尼仏の一生の所作を見れば、「王位を捨てて、山や林に入り、仏道を成就した後も、一生、乞食した」という記述が見られる。

 「律」には、「『家は(真の)家ではない』と知って、家を捨てて、出家するのである」等、記されている。

 古代の先人は、「傲慢に成って、『上等な賢者に等しく成ろう』と思うなかれ。下賤に成って、『下賤な者どもに等しく成ろう』と思うなかれ」と話している。

 この言葉の意味は、共に、傲慢な心を戒めているのである。

 高位に成っても、へりくだる事を忘れるなかれ。

 安楽に成っても、危うい事を忘れるなかれ。

 今日、存命していても、「明日も存命できる」と思うなかれ。

 死は、いたって近いし、危険は足下に有るのである。





 第八十四章


 道元は、僧達に示して、次のように、話した。


 愚かな人は、無意味な事を思い、無意味な事を言うのである。


 この寺に仕えている、ある老いた「尼」、「女性の出家者」がいるが、今、立場が卑しいのを恥じていて、ともすれば、他人に向かって「昔は高位の婦人であった」と語る。

 たとえ、今の人々に、「そうであろう」と思われても、「何の役にも立たない」と思われる。

 「全く、何の役にも立たない」と思われるのである。

 人々には皆、「このような心が有るのではないか?」と思われるのである。

 悟りを求める心の無さが、知られる。

 このような心を改めて、少しは、人並みの人に似るべきなのである。

 また、極めて、悟りを求める心が無い、ある入道がいる。

 離れ去り難い知人であるので、「悟りを求める心が起こるように、仏、護法善神に祈って誓いなさい」と言いたく成る。

 (しかし、言ってしまえば、)きっと、彼は立腹して、仲違いするであろう。

 けれども、悟りを求める心を起こしていない人は、親しい友人でも、相互に、何の役にも立たないのである。





 第八十五章


 道元は、僧達に示して、次のように、話した。


 古代の先人は、「三回、考えた後で、言いなさい」と話している。

 この言葉の意味は、物を言おうとする時も、何事かを行おうとする時も、必ず、三度、考えた後に、言ったり(おこな)ったりするべきである、という事なのである。

 昔の儒学者の考えでは、「三度、考えて、三度、共に、善いのであれば、言ったり(おこな)ったりしなさい」という事なのである。

 中国の賢人などの言葉の意味では、「三度、考えなさい」とは、「何度も、考えなさい」という意味なのである。

 言う前に考え、行う前に考え、考えるたびに必ず善いのであれば、言ったり(おこな)ったりするべきなのである。

 僧も、必ず、このようであるべきなのである。

 自分の思う事でも、言う事でも、悪い事が有るかもしれないので、まず、「仏道に(かな)うか? 否か?」と顧み、「自身や他者のために利益が有るか? 否か?」と、よくよく考えて顧みた後で、善いのであれば、言ったり(おこな)ったりするべきなのである。

 仏道修行者が、もし、このように心を守れば、一生、仏の心に(そむ)かないであろう。

 私、道元が、昔、初めて建仁寺に入門した時は、僧達は、随分、身口意という三業を守って、「仏道のために、利益を他者にもたらすために、悪い事は言ったり(おこな)ったりしない」と各々、志していたのである。

 栄西 僧正の「徳」、「善行」の余韻の残存は、このようであったのである。

 しかし、今は、そのような所作は無い。

 今の、仏教を学んでいる者達は、次のように、知るべきである。

 必ず、自身や他者のために、仏道のために、意味が有る事であれば、身を忘れても、言ったり(おこな)ったりするべきなのである。

 無意味な事は、言ったり(おこな)ったりするなかれ。

 高徳の長老が言ったり(おこな)ったりする時は、後進の人は、口を挟むなかれ。

 これは、仏による制度なのである。

 よくよく、これを思うべきである。

 身を忘れて、真理を思う心は、俗世の人ですらなお、有るのである。





 第八十六章


 (道元は、次のように、話した。)



 昔、趙の藺相如と言う者は、生まれた身分が低い人であったが、賢者であったので、趙王に仕えて、政治を(おこな)った。


 藺相如は、ある時、趙王の使者として、「趙璧」と言う宝玉を持って、秦という国へ派遣された。

 「『趙璧』を十五の城と交換しよう」と秦王が言ったので、趙王は、「趙璧」を藺相如に持たせて派遣したが、他の臣下が、

「これほどの宝玉を、藺相如のような下賤な人に持たせて派遣するのは、『趙という国に人材がいないような物なのである』と思われてしまう。

他の臣下にとっての恥なのである。

後世の人々も、私達を非難するであろう。

途中で、この藺相如を殺して、『趙璧』を奪い取ろう」

と相談していたのを、その相談の時に参加していた人が(ひそ)かに藺相如に教えて、

「今回の使者を辞退して、命を保護するべきである」

と話したら、藺相如は、

「私、藺相如は、あえて、辞退するべきではない。

『私、藺相如が、趙王の使者として、趙璧を持って、秦へ向かう途中、悪臣に殺された』と後世に伝えられて聞かれるのは、私、藺相如にとって喜びに成るのである。

私、藺相如の、身は死んでも、賢者という名声は残るであろう」

と話して、終に、向かった。

 他の臣下も、この藺相如の言葉を聴いて、「私達は、この人を討伐するべきではない」と言って思いとどまった。


 藺相如が、遂に、秦王にまみえて「趙璧」を秦王に与えたら、秦王は、十五の城を与えない様子を見せてしまった。

 藺相如は、その時、計画をもって、秦王に、

「その『趙璧』には傷が有ります。

私、藺相如が、その傷を示しましょう」

と話して、「趙璧」を請い取った後、

「秦王の様子を見ると、十五の城を惜しむ様子が有りますね。

そのため、私、藺相如は、頭で、この『趙璧』を銅の柱に当てて、打ち割ってしまいましょう」

と話して、怒った眼で秦王を見て、銅の柱の下に近寄る様子を見せると、実に、秦王は呑まれてしまった。

 秦王は、そのため、

「あなた、藺相如よ、『趙璧』を割るなかれ。

十五の城は与えます。

そのように、はからう間、あなた、藺相如が『趙璧』を持っていてください」

と話したので、藺相如は、(ひそ)かに、他の人の手によって「趙璧」を本国へ返した。


 その後、澠池と言う場所で、趙王と秦王が遊んだ時が有ったが、趙王は琵琶が上手であった。

 秦王は、趙王に命令して、琵琶を弾かせた。

 趙王は、藺相如にも相談せず、琵琶を弾いてしまった。

 その時、藺相如は、趙王が秦王の命令に従ったのを怒って、「私、藺相如は、行って、秦王に簫という笛を吹かせましょう」と話して、秦王に、

「秦王は簫という笛が上手です。

趙王が『聞きたい』と願っています。

秦王よ、吹いてください」

と話したら、秦王は、それを辞退してしまった。

 藺相如は、「秦王が、もし、辞退するのであれば、秦王を討伐します」と話した。

 その時、秦の将軍が、剣を持って近寄った。

 藺相如は、この秦の将軍をにらんだが、両目がほころび裂けた。

 その秦の将軍が恐れて剣を抜かないで戻ったので、秦王は、遂に、簫という笛を吹いた、

と言われている。


 また、後に、藺相如が大臣と成って政治を(おこな)った時に、同僚の大臣が自身に任せてくれない事を嫉妬して「藺相如を討伐しよう」という様子を見せた時に、藺相如は、あちこちに逃げ隠れて、わざと、朝廷に参った時も、会わず、恐れる様子を見せた。

 その時、藺相如の家の人が、「あの大臣を討伐するのは簡単です。なぜ、恐れて隠れているのですか?」と話した。

 藺相如は、次のように、話した。

「私、藺相如は、彼を恐れている訳ではないのです。

私、藺相如は、眼でにらんで秦の将軍をも後退させたし、秦から『趙璧』をも奪いました。

あの大臣を討伐するのは、言うまでも無く、簡単なのです。

ただし、戦争を起こして強者を集めるのは、敵国から防ぐためなのです。

今、同僚の大臣として国を守っている者達、二人が、もし、仲違いして、内戦を起こして、一人が死ねば、片方を欠いてしまいます。

そうすれば、隣国は、(隙と見て、)喜んで戦争を起こすでしょう。

そのため、『二人、共に、職務を全うして自国を守ろう』と思うので、彼と戦争を起こさないのです」

 その大臣は、この藺相如の言葉を聞いて、恥じ入って、藺相如の所に来て礼拝して、二人、共に、和合して、自国を統治したのである。


 藺相如が、身を忘れて、真理を知っていた様子とは、このような物なのである。



 今、その藺相如の心のように、仏道を知るべきなのである。

 むしろ逆に、道理が有って死ぬ事は有っても、道理が無いのに生きる事はなかれ。





 第八十七章


 道元は、僧達に示して、次のように、話した。


 善悪は、定め難いのである。

 世間の人々は、美しい良い衣服を着るのを「善い」と言ってしまう。

 粗悪な衣服、糞掃衣を「悪い」と言ってしまう。

 仏法では、粗悪な衣服、糞掃衣を「善い」とするし「清らかである」とするし、金銀や美しい良い衣服を「悪い」とするし「汚れている」とする。

 一切の事に渡って、皆、このようなのである。

 私、道元が少々韻声を整えたり文字を書くのに優れているのを、俗世の人々などは、「尋常ではない」と言う事が有る。

 また、ある人々は、「出家して仏道を学び修行している身として、このような事を知ってしまっている」と悪口を言う人々もいる。

 どちらを、善と定めて取得し、悪と定めて捨てるべきなのか?

 ある文書には、「ほめて、善い物の範疇に有る物を善と言う。非難して、悪い物の範疇に置く物を悪と言う」と記されている。

 また、「苦しみを受けるべきものを悪と言う。快楽をもたらすべきものを善と言う」と記されている。

 このように、細かく区別して、真実の善を見て行い、真実の悪を見て捨てるべきなのである。

 僧は、清浄の範疇より来ている者なので、他人の欲望を起こさないものを「善い」とし「清らかである」とするのである。





 第八十八章


 道元は、僧達に示して、次のように、話した。



 世間の人々は、多分、次のように、話すであろう。


 仏道を学び修行する志は有るが、末法の世なのである。

 人々は、下劣なのである。

 仏法の通りに修行するのは、忍耐できないであろう。

 ただ、分相応に、安楽に付いて、「(仏教と)縁を結べたら」と思い、他の生で悟りを開けるのを期待するべきである。


 今、前述の、この言葉は、全く、正しくないのである。

 仏教で、正法と、像法と、末法を立てているのは、一時的な、一つの便宜的な方法なのである。

 釈迦牟尼仏が存命時の「比丘」、「出家者」は必ずしも皆、優れていた訳ではない。

 不可思議に、希有に、浅ましく、下等な才能である者もいたのである。

 そのため、釈迦牟尼仏が、種々の戒の法などをもうけたのは、皆、悪い生者達や、下等な才能の者達のためなのである。

 人々は皆、仏法の器なのである。

 決して「器ではない」と思うなかれ。

 仏教に従って修行すれば、必ず、証を得られるのである。

 既に心が有るのであれば、善悪を区別するべきである。

 手が有るし、足が有るので、合掌や歩行を欠く事は無いはずである。

 そのため、仏法を修行するのに、器を選ぶべきではない。

 人の生者達は皆、器量が有るのである。

 他の動物などの生では、叶わないであろう。

 仏道を学び修行する人は、ただ、明日を期待するなかれ。

 今日、今だけでも、仏法に従って修行していくべきなのである。





 第八十九章


 道元は、僧達に示して、次のように、話した。


 俗世の人は、「城が傾いてしまうのは、城内で、ささやく言葉が出て来る事による物なのである」と話している。

 また、「家で意見の対立が有る時は針をも買う事ができない。家で意見の対立が無い時は黄金を買う金銭も有るのである」と話している。

 俗世の人ですらなお、「家を保ち、城を守るのには、心を同じくしなければ、終には、滅びてしまう」と話しているのである。

 まして、出家者は、一人の師に学んで、水と乳が和合するかのようにするべきである。

 また、六和敬という法が有る。

 各々の寮を構えてしまって、身を隔ててしまって、各々の心で仏道を学び修行する用心をするなかれ。

 一つの船に乗って海を渡るような物なのである。

 心を同じくして所作を同じくし、相互のために非を改める事によって、同じく仏道を学び修行するべきなのである。

 これが、釈迦牟尼仏が存命時から(おこな)って来ている所作なのである。





 第九十章


 道元は、僧達に示して、次のように、話した。



 楊岐山の方会 禅師が、初めて住持であった時、寺院が古くて破損して、僧達に煩いが有った際、「知事」を務めている僧が「修理しましょう」と話した。


 方会は、次のように、話した。


 寺の堂閣が破損していても、露地や樹の下よりは、優れているであろう。

 一方が破損して水漏れしたら、他方の水漏れが無い場所に居て坐禅するべきである。

 寺の建物の造りによって僧達が悟りを得られるのであれば、黄金や宝玉によってでも造るべきである。

 悟りは、居所の良し悪しにはよらず、ただ、坐禅の功徳の多少に有るのである。


 方会は、翌日、堂に上がって、次のように、話した。


 初めて楊岐山(の寺)に住んだが、屋根や壁に隙間が有り、床は全て雪が散らばっている。

 (寒さに、)うなじを(ちぢ)めて、(ひそ)かに(なげ)くが、しばらくして、(ひるがえ)って(考え直して、)古代人(の聖者の多く)は、(屋根や壁が無くて寒い)樹の下に居た事を思い出す。



 仏道だけではない。

 政治の道理も、また、このようなのである。



 唐の太宗は、(新しい)宮殿を造らなかった。



 龍牙は、次のように、話している。


 仏道を学び修行するには、まず、清貧も学ぶべきである。

 清貧を学んで、清貧に成った後で、まさに、真理に親しみ近づけるのである。



 昔の釈迦牟尼仏から今に至るまで、真実に仏道を学び修行する人が「財宝に豊かである」とは見聞きした事が無いのである。





 第九十一章


 ある客の僧が、ある日、次のように、質問した。


 近頃、世俗から逃れる方法では、各々、食費などの事を心構えして用意して、後の煩いが無いように支度します。

 これは、些細な事ですが、仏道を学び修行する支援と成ります。

 欠かしてしまえば、事を違えて乱してしまう事が出て来てしまいます。

 今、道元 様の御様子を見た所、一切、そのような支度が無く、ただ、天の神による運命に任せています。

 もし、実に、そのようにしたら、後に事を違えて乱してしまう事が有りませんか?

 どうでしょうか?


 道元は、次のように、答えた。


 仏教の物事には皆、先例の証拠が有るのである。

 あえて、私的に、ねじ曲げている訳ではないのである。

 西のインドから東の中国までの仏や祖師達は皆、このようにしているのである。

 白毫を持つ釈迦牟尼仏による一つの分け前の幸福が尽きてしまう時期は無いのである。

 私的に、生活の手段を講じるなかれ!

 また、明日の事は「何々のように、するべきである」とも定め図り難いのである。

 このようにするのは、仏や祖師達が皆、(おこな)って来ている事であって、私的な歪曲は無いのである。

 もし、食費などを欠いてしまって食べ物が尽きてしまったら、その時に臨んで、便宜的な方法をも巡らせるのである。

 かねてから事前に、食費などを思うべきではないのである。





 第九十二章


 道元は、僧達に示して、次のように、話した。



 次のように、伝え聞いた事が有る。

 真実か否かは分からないが。


 故人である持明院の中納言 入道が、ある時、秘蔵の太刀を盗まれた際、武士の中に犯人がいたので、他の武士が対処して返却させたら、持明院の中納言 入道は、

「これは、私の太刀ではない。

間違えてしまったのである」

と話して、太刀を盗んだ武士に返した。

 「きっと、自分の太刀であるが、盗んだ武士の恥辱を思って、返したのである」と人々は皆、分かっていたが、その時は、何もせずに見過ごした。

 このため、持明院の中納言 入道の子孫も栄えたのである。



 俗世の人ですらなお、心が有る人は、このようにするのである。

 まして、出家者は、必ず、このような心が有るべきである。

 出家者は、(もと)より、身に財宝が無いので、智慧と「功徳」、「善行」を宝とするのである。

 他人が、悟りを求める心が無くて、間違っていたりする等の事を、直接に、顔に出して、「正しくない」と非難される状況に陥れるべきではなく、便宜的な方法によって、その人が立腹しないように言うべきなのである。

 「乱暴で悪いものは、長くはない」と言われている。

 たとえ、仏法によって非難するにしても、荒々しい言葉であるものは、長くはないのである。

 矮小な人や、下等な器の人は、少しでも、他人の荒々しい言葉には、必ず、立腹して、「辱められた」と思ってしまうのである。

 大いなる人や、上等な器の人には、似ていないのである。

 大いなる人は、そうではないのである。

 たとえ、打たれても、報復を考えない。

 今、我が国には、矮小な人が多い。

 慎むべきなのである。

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