第19話 よくお勉強しているわね!
心の底から楽しそうに笑い声をあげたモーリスが、ポーラに向かって「だいたい……」とあざけるように言った。
「ギルド間の協定法っていうなら、僕こそが被害者だろう! 護衛っていうからには後ろのこいつは冒険者なんだろが、これは冒険者による商業ギルド員拉致だぞ!」
首のバトルアックスに怯えつつも、態度だけは上段に構えたモーリスが振り返って上目遣いにティナを見た。
茶色の目が側溝にこびりついたヘドロのようにギラギラと粘着質に光って、ティナは思わずうへぇと声を上げてしまった。
悪臭が漂ってくるような粘度の高い視線だ。手紙や〝プレゼント〟から漂っていたものよりももっと強く臭うのは、被害者と加害者の立場の逆転したと思って優越感に浸っているからか。
それとも、その逆転した立場から得られるであろう利益への期待感が混じっているからだろうか。
「まあ、よくお勉強しているわね! けれどあなたのケースはそれに当てはまらないのよ」
レオはふふふと上品に笑って、人差し指を立てた。金色に塗った爪がキラリと光る。
「弁護士が冒険者に身柄確保を依頼した場合や、偶然見つけた指名手配犯を確保する場合において、武器やスキルの使用が逃走防止のために必要かつ相当な範囲であれば、物理的拘束や力の行使は許容されるの」
「僕は一般人だぞ! 指名手配なんかされてないし、身柄確保なんてされるいわれもない!」
「いやだから、あんたは窃盗犯だよねって話をしてるんじゃん。さっきからずっと」
反論し噛みつくモーリスの真っ赤に透けた頭皮に向かって、ティナは思わずつっこんだ。
「それに百貨店との示談で払わなきゃいけないお金を払わずに逃げ回ってるってことは、反省もできないし約束も守れない人間ってことで物理的拘束もやむなしって判断されるんだってさ。〝悪意のある逃亡〟ってやつ」
痛いところを突かれたと思ったのか黙ったモーリスへ、「それと勘違いしているようだからはっきり言っておくけど」と、たたみかけるようにポーラが言う。
「私は十三年前……まさにあなたと別れたその日、魔力石の採掘許可証を受け取っていたんだよ。つまり、あなたが私のお金を盗んだとわかった日は、私が鉱山ギルドのギルド員になった記念すべき第一日目だったというわけ」
真っ赤だったモーリスの頭皮が、サー……ッと青ざめていくのがはっきりと見えた。
ギルドが所属ギルド員へ下す沙汰は、一般的な罰よりも厳しい。
普通であれば罰金や軽い懲役で済むような罪でも、ギルドの法では犯罪奴隷となることもありうる。
各ギルドが誇りとともに商売道具としているものをギルド員が犯罪に使ったとき、そいつはギルドの誇りを傷つけた裏切り者となるからだ。
たとえば灰かぶりの男のケースのように、冒険者ギルドに所属する冒険者が力使って一般人に暴力を振るった場合。
たとえば商業ギルド員が正当な理由なく、手続きも踏まずに他人の懐から金を手に入れた場合。
「民事の時効が被害と加害者を知ってから十年であるように、ギルド協定法では被害者が被害届と捜査願いを各ギルドへ届け出た瞬間から効力を発揮するのは知っているかしら?」
青ざめたまま無言で汗を流すモーリスを見て、レオがにこりと微笑んだ。
「知っているようね。そうよ。あなたの後ろにいるティナちゃんに、あなたを確保する前に弁護士が整えた届を然るべきところへ提出してもらったわ。つまり、時効は当分先だということよ」
「そして商業ギルドは、商売の邪魔をするような他ギルドへの金銭がらみの犯罪を許さない。だからあなたは今、犯罪奴隷になるかならないかの瀬戸際にいる。……自分の立場が理解できたかい?」
ポーラがゆっくりと首を傾げて続けた。
「じゃあもう一度聞くから、正直に答えて。あなたは十三年前に私からお金を盗んだよね?」
「……っ」
喉からグゥッと空気が潰れるような音を出しながら、モーリスが悔しそうに「ああ」と答えた。
「返す気はあるの?」
「も、もちろんだ! だけど、本当に今、金がないんだ。バシュラールは同僚のでたらめな告発を信じて僕を解雇したうえ、不当に金を払えっていうし、ロジーヌの親も娘を虐待されただのなんだのと勝手な理由をつけて金を脅し取ろうとしてくるし……!」
ぶつぶつと小声で言いながら、モーリスは手を胸の前で組んで祈りのポーズをしながらポーラへ視線を向けた。
頭皮が冷や汗で光っていて眩しい。
「店の物はちょっと借りただけだし、ロジーヌはダメなところを躾けただけなんだよ。わかるだろう? だから、その……支払いは、少し待ってほしい」
「それは返す気がないってこと?」
「違う違う! だから、その……僕は勘違いで責められているんだよ。ちゃんとする気はあるんだ!」
冷ややかなポーラの声と視線に、モーリスは慌てて首を振った。
首筋にバトルアックスの刃が当たって皮が少しだけ切れ、じわっと血が滲んだが、ポーラへ必死に語りかけるモーリスにもはやそれを気にする余裕はないようだ。
「あ! そうだ、君の店で僕を雇うというのはどうだい? 幸いなことにこの優秀な僕は今、少し暇をしている。この僕に店を任せてくれたら、年商を倍にしてあげられるよ!」
モーリスはぽんと手を打って、ポーラの反応を封じるようにしゃべり続ける。
首筋に血を滲ませ、商業ギルドの罰によって犯罪奴隷にされないよう必死だ。
犯罪奴隷として働かされることになれば社会復帰など絶望的だし、働き先によっては怪我をして死ぬこともある。
モーリスにとっては、今が命を守るための頑張り時だった。
「そうだよ。確かに僕は間違いを犯したかもしれないけど、理由はわかっているよね? それにそのおかげで君は成功したんだろう? 僕のおかげで今の君があるんだから、本当なら店長待遇でどうぞと頭を下げてきたっておかしくはな」
「あなたのおかげで成功したなんて少しも思わない」
ペラペラと話し続けるモーリスの言葉を、ポーラが低い声で遮った。
「だけど……そんなに私に雇われたいんなら、雇ってあげるよ」
「そ、そうか! やっとわかってくれたか! 僕はきっとお金を返す以上に君の力になってあげられると思うよ!」
ほっとしたように肩から力を抜いたモーリスへ、ポーラは口の端を少しだけ上げた。
「そこまで言うなら、バシュラール百貨店への賠償金も代わりに払ってあげる。まさかロジーヌの親から訴えられてると思わなかったけど、それも払ってあげるよ。その代わり、あなたは私に雇われて、その給料で私から盗んだお金と私への慰謝料と、肩代わりしたお金を返すってことでいいね?」
「つまり雇用関係を結ぶなら借金を一本化して債務整理をしましょうね、ってことよ」
レオが優しく「理解したのならポーラちゃんの持っている書類にサインしましょうか」と、ペンを差し出した。
「僕とポーラの仲なんだから、そんな、書類なんか……」
登山の最中に動く茂みに遭遇した登山家のように、モーリスは差し出された書類を警戒して首を振った。
〝仲〟を持ち出して媚びるように笑みを浮かべたモーリスへ書類を押し付け、ポーラは表情を変えずにきっぱりと言った。
「きちんとしないなら、この話はなしで」
「わかった! わかったよ……! まったく、君はいつだって余裕がないんだな! そういう君のピリピリした性格に付き合えるのも僕くらいのものだよ?」
ティナがバトルアックスをモーリスの首筋から少しだけ離し、踏んでいたふくらはぎから足をどけると、レオからペンを受け取ったモーリスがぶつぶつ言いながら書類にサインをした。
書類を受け取ったポーラが顔を上げ、少しだけ晴れた顔色で言った。
「……じゃあ、契約通りに採掘現場で働いてもらうよ。ティナさん、打ち合わせ通りこれからこの人を鉱山まで送ってくれる?」
一瞬何を言われたのか理解できずに、モーリスがぽかんとした顔でポーラを見つめた。
その首筋へ再びバトルアックスを添わせたティナの「任せて!」と答える声にかぶせて、ハッと肩を震わせたモーリスが必死の声を出した。
「ま、待て! 鉱山だと⁈ 僕を騙したのか!」




