第17話 魂の叫び
ポーラがモーリスの手紙に涙を流して笑ったあと、新たに護衛兼弁護士としてポーラに雇われたレオにポーラの安全を託し、ティナはポーラの指示に従って用事を済ませてからモーリスの確保へ向かった。
モーリスにわからないようにかけられたレオの追跡のスキルに従ってモーリスの居場所を追うと、彼は賭博場にいた。
賭け事で身を持ち崩したはずのモーリスは、この期に及んでまだギャンブルに興じていたのだ。
人混みのなかで発見したモーリスは、普段なら意識の端にも引っかからないような印象の薄い中年男だった。
健康の守護天使の加護が大幅になくなりうっすらと肌が透けた茶色の髪の毛、茶色の眉の下には茶色のまつ毛と茶色の目。
宿を転々と変える逃亡生活の中で焼けた肌と、ちらほらと白いものが混じった馬蹄型の茶色い髭。
元は高級だったのだろう茶色と白のストライプのシャツの襟元はよれていて、黒褐色のズボンの裾は擦り切れている。
靴は細かい傷と皺で爪先だけ白いが、赤味のある濃い茶色の革。
ティナは初めてモーリスを見た時、本当にこの男があの横柄でナルシシズムに満ちた手紙と異常な〝プレゼント〟を寄越した男とは思えなくて二度見してしまった。
だって特徴といえば全体的に土色というだけで、あとはあまりに貧相だったから。
受け取ったポーラほどではないが、手紙や〝プレゼント〟によってティナもなかなかの心理的ダメージを追った。
けれどモーリスへ文句を言っていいのは護衛であるティナではなくて、被害者であるポーラである。
だからティナはモーリスを見つけても我慢して口を閉じ、賭博場の用心棒に話を通してから、モーリスの前に立ちはだかった。
そして〝威圧〟をかけて失神させ、絨毯で巻いて冒険者ギルドで待つポーラの元へ持って帰ってきたのである。
モーリスにとっては知らないうちに気絶させられ、運ばれて、目が覚めたと思ったらひざまずかされ喉にバトルアックスを添えられていたことになる。
何が起こったのかわからず、恐怖の中にいるだろうことは想像に難くない。
体を縮こませ固まったまま、状況を判断しようと目だけをきょろきょろと動かしていたモーリスは、視線の先にポーラを見つけて心底安堵したような顔をした。
そして「久しぶりだねモーリス」と声をかけたポーラに対して、モーリスは物語のヒロインがピンチに現れたヒーローを見た時のような表情を浮かべたのだ。
「ぽ、ポーラ! よかった! この状況はなんだい? ここはどこだ?」
ほっとしたように尋ねるモーリスには、この状況に陥るような原因に何も心当たりがないのかもしれない。
そう思ったら、ティナの眉間に皺が寄った。
「あなたは今、私の護衛に冒険者ギルドへ連れてこられたところだよ」
少なくともモーリスは、ポーラがこの状況を作り出したとは思っていないようだった。
そして、だからこそポーラを頼ろうと思っている。
頼っても許されると思っている。
突然拉致され刃物を首に当てられて絶体絶命なこの状況から、ポーラが助けてくれると考えている。
自身の無実とともに、自分がポーラに好かれているということを信じて疑っていない。
だけどまさか、そんなわけがない。
「は? まさか君が僕を誘拐したっていうのか! 怪我でもしたらどうしてくれるんだ! こんな強引なことをしなくても、手紙を出してやっただろう? 君がそれに〝はい〟と言えば、今晩にでも二人で抱き合えていたんだぞ!」
憤ったモーリスが勢いのまま両膝をついた状態から片足を動かし、立膝になろうとして失敗した。
ティナがバトルアックスを首に食い込ませたからだ。
「ぐっ……! ぼんやり見てないで護衛に僕を解放するように言えよ! そんなんだから、あの時も君は僕を逃したんだろうが! 本当にグズだな!」
「この状況でポーラさんに暴言吐くとか、もしかして実は人生あきらめてる?」
黙っていようと思ったのに、あまりに周りが見えていないモーリスにあきれてつい口を出してしまった。
首筋に当てたバトルアックスを握る手にも力が入ろうというものだ。
「ぽ、ポーラ!」
上からボソッと呟いた言葉が聞こえたらしい。必死の顔で叱りつけるようにポーラの名前を呼んだモーリスへ、ポーラはキッと目を尖らせた。
そして震える手を握りしめ、モーリスの怒声よりも倍大きな声で「本ッ当に! 信じられないくらい! 気色悪い!」と怒鳴った。
「手紙に〝はい〟って言えって⁈ 独りよがりで何を言いたいのかわからないどころか、あんな気味が悪い手紙の何を了解しろって言うの⁈」
ぞぞっと自分の肩を両腕で抱きしめて震えたポーラは、唇を歪めて続けた。
「抱き合う⁈ 冗談でしょ、ゴブリンとハグするほうがまだマシだね! 私とあなたは十三年前に別れたの! 〝別れる〟って言葉の意味わかってる? 恋人の関係を終わらせて他人に戻るってこと! 〝他人〟って言葉の意味も理解してる⁈ 私とあなたはもう無関係ってことだよ!」
ポーラが息継ぎのために息を吸った。顔が真っ赤だ。
それはずっと彼女が言いたくて我慢していたことだった。
「なにが〝黄金の月のような君〟よ! 要は金づるってことでしょう⁈ 魔女に騙された、彼女が悪いって言われて〝そうなの、かわいそうね〟って私が慰めるとでも思った⁈ 浮気は浮気! 最初は私が悪くて、今度は彼女が悪いって? 人のせいにしてばかり、最低だよ!」
ティナだって手紙を読んだ時に気色悪く感じたのだから、ポーラにはこれを機に全部吐き出してもらいたい。
身じろぎしたモーリスへ少し強めにバトルアックスを当て、ティナはモーリスの動きを封じた。
「たいした語彙もないのにそれっぽい言葉ばっかり並べた、薄っぺらい手紙の何に心を動かせって? 誰がロミオンとジュリエンタ? 名作を汚さないで!」
ティナから見ても冷静で静かな印象のあったポーラだ。恋人だった頃はモーリスの見せていた悪夢に沈んで従順だったと言っていたし、おそらくモーリスはポーラの激昂する様子を見たのは今が初めてだったのだろう。
その勢いにあっけにとられ、モーリスはぽかんと口を開けた。
「借金取りに追われてるのに元恋人の下着を持って逃げ回るってどういうこと⁈ 処分してって言ったわよね? ずっと持ってたなんて、ものすごく気持ち悪い! しかも復縁したいからってそれを玄関に置いていくってどういう神経してるの⁈ 十三年間他人が持っていた自分のパンツから、なんの思い出を感じ取れって⁈」
「な、ぼ、僕の、あ、あい……」
「しかも自分のパンツや哺乳瓶まで送りつけて、どういうつもりだったの⁈ おぞましい!」
モーリスがパクパクと口を開閉させて息をする様子を、ティナは彼の頭上から観察する。
ポーラから彼女の中に今まで溜まっていた不満や文句や感情をぶつけられ、モーリスの襟元から覗く鎖骨から薄い頭のてっぺんにかけて、徐々に怒りで赤くなっていくのがわかった。
「あ、愛の気持ち、だぞ……っ」
「愛⁈ 愛じゃなくてお金の無心でしょう⁈」
ハッと唾を吐くように息を吐き捨て、ポーラが笑う。
「あなた、あんなに自慢だったバシュラール百貨店から物を盗んでクビになったんだってね! あの時の女の人にも逃げられたんだって? ギャンブルの借金だけじゃなくて、賠償金の支払いでついにどうにもならなくなって、私に目をつけたんでしょうけど……」
足を一歩前に踏み出し、ひざまずいたモーリスを見下ろして「残念だったね!」と、ポーラが続けた。
「犯罪者のために払う金なんて、これっぽちもないよ!」
見下されて真っ赤になったモーリスはポーラを睨み上げ、吠えるように怒鳴った。
「年増女が生意気なことを! ジジイとババアから吸い上げた金でちょっと儲けただけの女が! お前みたいな冷血女、どうせどんなに金を持っていようが、嫌われて貰い手もいないんだろう? だったら僕がその金ごと愛してやるって言ってるんだよ!」
怒鳴ることに必死になって前のめりになったモーリスのふくらはぎを、ティナは踏んで押さえつけて止めた。
その痛みに顔をしかめたモーリスへ、ポーラは「大きなお世話だね!」と肩をすくめた。
「私たちは他人! 物だけじゃなくて独りよがりの気持ちばっかりを押し付けてくる男に愛情なんてない。結婚なんてまさか、とんでもないよ! 誰があなたと一緒になりたいって言ったの?」
それに……と、激昂から一転して静かにポーラが続けた。
「聞こえなかった? あなたは、犯罪者。罪を犯しておいて逃げ回る情けない男に身銭を切りたい女なんかいない!」




