第7話 患者の一言
次の日。
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いつものように詰所へ入る。
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「おはようございます」
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返事は少なかった。
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スタッフは何人もいる。
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けれど、誰もこちらを見ない。
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カルテを確認するふり。
薬を数えるふり。
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目が合っても、
すぐに逸らされる。
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不自然だった。
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ああ、なるほど。
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相沢が、
昨日私が師長室へ行ったことを話したんだ。
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何を言ったのかは分からない。
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けれど、
空気は明らかに変わっていた。
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しばらくして、
相沢が詰所へ入ってきた。
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「おはようございます」
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いつもの笑顔だった。
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「……あれ?」
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「なんか空気悪いかな」
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「岡田さん、何かあった?」
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「いえ、特に何も」
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岡田は視線を逸らしたまま答える。
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「そうですか」
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相沢は小さく笑った。
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「いやあ、職場って人間関係が一番大事だと思うんですよね」
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「空気が悪いと、業務にも影響するじゃないですか」
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そして、急にこちらを見た。
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「そう思いませんか? 神谷くん」
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一瞬、言葉に詰まる。
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「ええ……そう思います」
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「ですよね」
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相沢は笑った。
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「でも、人って面白いですよね」
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「建前と本音を上手に使い分ける」
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「他の動物も、本音と建前を分けて生きてるのかな」
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「まあ、そんなことはどうでもいいか」
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相沢は真顔になった。
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「私は、建前を上手く扱える人、嫌いじゃないですよ」
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胸が締めつけられるような感覚がした。
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あの言葉は、
私に向けられていた。
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「さて」
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相沢は立ち上がる。
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「建前を上手く扱えない人たちのところへ行きましょうか」
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まるで、
人間ではないものを扱うような言い方だった。
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病棟へ入ると、
相沢は真っ直ぐ斉藤のところへ向かった。
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「斉藤さん、昨日一睡もしてないそうですね」
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「追加の眠剤も希望しなかったって聞きました」
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「何か理由があるんですか?」
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斉藤は少し目を逸らした。
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「考えることがあって」
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「眠りたくなかったんです」
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「そうなんですね」
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「よかったら、話を聞かせてもらえますか?」
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相沢は笑顔だった。
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けれど、
斉藤は首を振る。
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「話したら死刑になるから」
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「そうですか」
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「分かりました。ありがとうございました」
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相沢は異様なほど低姿勢だった。
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何かある。
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そう感じた数分後だった。
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相沢は数人のスタッフを連れて、
再び斉藤のところへ戻ってきた。
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「斉藤さん、薬はきちんと飲んでますか?」
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相沢はゆっくりとした口調で聞いた。
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「飲んでます」
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「毎回、飲んでます」
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斉藤は語気を強めた。
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「そうですか」
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相沢は小さく頷いた。
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「人って、必ず何かしら癖を持ってるんですよ」
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「私、それを見るの好きなんです」
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「特に、嘘をついたときの反応が」
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斉藤の顔が固まる。
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「斉藤さん、今二回目を逸らしましたよね」
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「それに、私が見てる間にあと三回」
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「分かりやすいですよね」
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斉藤は黙った。
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「斉藤さん、初めてじゃないですよね」
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「調子が悪くなると、断薬して、不眠になって」
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「そのあと不穏、粗暴、保護室」
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「いつもの流れですよね」
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しばらく沈黙があった。
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やがて斉藤は、
棚の隅にある箱を指差した。
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岡田が中を確認する。
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中には、
飲まれていない薬が二十日分入っていた。
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「斉藤さん、断薬していたことは先生に報告します」
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「これから薬はどうしますか?」
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相沢は、
判断を斉藤に委ねた。
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「こんな毒、飲むわけない」
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相沢は待っていたように頷いた。
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「この薬は、斉藤さんに必要なんですよ」
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「飲めば症状も落ち着く」
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「飲まなければ、また保護室に行くことになりますよ」
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「なんで保護室なんですか」
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「私は何も悪いことしてない」
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「先生が毒を出すわけないじゃないですか」
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「それは被毒妄想です」
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「妄想じゃない!」
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「なんで信じてくれないんですか!」
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「薬を隠す人を信じることはできません」
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「つまり、これからも飲まないということですね」
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相沢は念を押すように聞いた。
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「当たり前だ!」
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「毒なんか飲めるか!」
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「はい、保護室確定」
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「岡田さん、先生に報告と、隔離・注射指示お願いします」
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「なんで!」
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「私の話も聞かずに!」
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斉藤は怒鳴った。
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「斉藤さんの話は十分聞きました」
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「その上での判断です」
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「ゆっくり保護室で休んでくださいね」
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「嬉しそうにしやがって……!」
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斉藤が相沢に詰め寄る。
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すぐにスタッフが両側から斉藤を押さえた。
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岡田が注射を準備する。
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「ダブルチェック」
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「セレアキ各1A混注、確認」
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「はい、鎮静完了」
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「岡田さん、五号室お願いします」
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相沢はそれだけ言うと、
喫煙所へ向かった。
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一部始終を見ていた患者が、
小さく言った。
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「あの人、わざと興奮させてる」
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「注射して、保護室に入れるのを楽しんでる」
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「……あの目が怖い」
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そう言って、
患者はその場を離れた。
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異常だ。
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いずれ私にも、
何かしてくるに違いない。
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いや。
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もう、始まっている。
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相沢は、
喫煙所の窓越しにこちらを見ていた。
「相沢は、人の弱さを見るのが上手すぎました。」




