第3話 裏の顔
あれから、一ヶ月が経った。
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業務にも少しずつ慣れ、
私は鍵を持つことになった。
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師長室に呼ばれる。
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「よく一ヶ月頑張ったね」
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師長は鍵を机に置いた。
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「今日から鍵は渡すけど、施錠確認だけは絶対に忘れないように」
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「あと、鍵は自己管理だから、なくさないようにね」
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「なくしたら全部交換になるから、百万円以上かかるよ」
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「……個人負担ですか?」
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思わず聞き返してしまった。
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「まあ、今まで紛失した人はいないけどね」
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「心配なら病院預かりでもいいよ」
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「預かりでお願いします」
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私は、なくさない自信がなかった。
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師長は少し驚いた顔をした。
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「珍しいね。みんな面倒くさがって持って帰るけど」
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「君は慎重なんだね」
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「いえ、なくしたら周りに迷惑をかけるので」
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「分かりました。じゃあ出勤と退勤のとき、守衛に渡すよう伝えておくね」
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「ありがとうございます」
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私は立ち上がった。
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「ああ、それと」
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師長が思い出したように言った。
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「まだプリセプターを決めてなかったね」
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「相沢さんでいいかな。優秀だし」
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一瞬、言葉に詰まった。
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相沢は優秀だった。
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けれど、
担当になるのは危険な気がした。
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「……すみません」
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「できれば、一番長く勤めている人にお願いしたいです」
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師長は少し考えた。
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「そうか。相沢は優秀だけど、まだ三年目だったね」
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「分かりました。その件はまた相談して決めるね」
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「お願いします」
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詰所に戻ると、
相沢が近づいてきた。
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「どうだった?」
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「鍵を渡されて、頑張れと言われました」
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「それだけ?」
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何かを探るような目だった。
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「プリセプターの件は、後日決めるそうです」
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自分が希望を出したことは言わなかった。
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「ふーん」
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相沢は少しだけ残念そうな顔をした。
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「まあ、これで自由に動けるようになったね」
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「期待してるよ」
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そのとき、岡田が相沢に耳打ちをした。
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「また、あいつか」
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相沢は小さくため息をついた。
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「分かった。処置室に連れてきて」
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そして、私の方を見た。
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「今からシーツ交換だから、病棟の方お願い」
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「こっちは私と岡田さんでやるから」
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「分かりました」
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私は病棟へ向かった。
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シーツ交換をしていると、
別のスタッフに声をかけられた。
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「シーツ足りないから、倉庫から五セット持ってきて」
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私は詰所の横にある倉庫へ向かった。
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その途中だった。
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相沢の声が聞こえた。
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処置室の裏に、少しだけ中が見える隙間があった。
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私は、足を止めた。
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「何回言っても分からないね」
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相沢の声は低かった。
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「あれだけ水を飲むなって言ったよね」
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「一日で三キロ増えてるんだけど」
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相手は患者だった。
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「少し飲んだだけです」
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「少しじゃないでしょう」
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「三キロ増えてるのは事実なの」
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「三リットルは飲んでるよね?」
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「ごめんなさい……」
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「何回同じことを言わせるの」
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相沢はため息をついた。
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「もう保護室だから」
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「嫌です……行きたくない……」
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「どれくらい入るかな」
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相沢は少し笑った。
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「半年?」
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「一年?」
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「それとも――」
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次の瞬間、
患者が飛びかかった。
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けれど、それは予想されていたようだった。
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すぐに数人のスタッフが患者を押さえつける。
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臀部に注射。
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「鎮静済み」
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相沢は冷静に言った。
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そのまま携帯を取り出す。
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「先生ですか」
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「粗暴行為があったので、セレアキ各1A筋注しました」
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「体重三キロアップで水中毒リスクも高いので、隔離指示お願いします」
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「時間は十時でいいですか?」
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少し間があった。
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「分かりました。カルテ持っていきます」
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通話を切ると、
相沢は岡田にカルテを渡した。
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「隔離の三号室入れて」
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「私物は後でいいから」
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指示は早かった。
無駄もなかった。
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そして最後に、
相沢は小さく言った。
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「ちょっと一服してくる」
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私は急いで倉庫へ向かった。
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シーツを抱えながら、
さっきの光景を思い出す。
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やはり、あの人は危険だ。
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人によって、
態度を変えている。
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完璧なほどに。
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あの人は、患者を見ていない。
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見ているのは、
“どう動かせば自分の思い通りになるか”だけだった。
「表の顔と裏の顔。どちらが本当なのかは、まだ分かりません。」




