第9話 バッテリー切れとヴォート家保育園
「三か月は剣を握らないでください。骨がずれたら、一生曲がったままになりますよ」
領地に戻るなり、医者にそう言われた。添え木の上からぐるぐる巻きにされた左腕を見下ろして、俺はため息をつく。
「三か月か。長いな」
「長くありません。普通なら半年です。……あの、王都で何があったのか、伺っても?」
「宿で転んだんだよ」
「宿で転んで、こうはなりませんよ」
医者は首を振りながら帰っていった。まあ、本当のことは言えないしな。
とはいえ、三か月もベッドでじっとしてるなんて無理だ。片手でもできることはいくらでもある。
俺が向かったのは、厨房の裏に作った水飴の工房だった。
高い塀で囲まれ、製法が盗まれないようにしている。
水飴を作るようになってから、そこには麦わらが山みたいに積まれてる。
「ご当主、今度は何をなさるんで?」
水飴のときに散々付き合わせた料理番と、水飴の製造責任者が、警戒した顔で出てきた。
「この麦わら、いつもどうしてる?」
「家畜の寝床にするか、燃やすかですね」
「もったいないだろ。これで紙を作る」
「……紙、ですか。麦わらで?」
二人の顔に、また始まったって書いてある。
麦わらを生石灰水で煮て、柔らかくなったら叩いてほぐす。こちらでは雑草の「ネリ」からとれる粘液を混ぜていく。
そして水に溶いて木枠ですくって、板に貼って乾かす。俺は片手が使えないから、口で説明して、あとは全部下働きにやらせた。
最初はぼろぼろに崩れて、次は分厚すぎて板みたいになって、その次は乾かす前に破れた。
十日目にようやく、ざらっとした茶色っぽい紙ができる。前世の小学校で配られてた、わら半紙そのものだ。
仕上げに麦粉糊を、ごく薄く塗る。
書記官を呼んで、一枚渡してみた。
書記官は紙を裏返したり、窓に透かしたりして、なかなか返事をしない。
「これに、字が書けるのですか」
「書けるよ。インクがちょっとにじむけどな」
書記官はペンを取って、自分の名前を書いた。少しにじんだ字をじっと見て、それから俺の顔を見る。
「シンクレア様。これは、一枚いくらになりますか」
「羊皮紙の二十分の一くらいかな。もっと安くできるかもしれない」
「……役所の書き損じで、どれだけ羊皮紙を無駄にしているか、ご存じですか」
知らないけど、書記官の目つきで大体分かる。役所が欲しがるなら、商会も欲しがるだろう。
水車小屋に水力ハンマーを作り、そこの横に紙工房を作った。
領内の寡婦や、何らかで手足が不自由になった人間達を集めて、紙の大量生産を始める。
糊を作っていて「ああ、片栗粉作って売るか」と思い、 芋からでんぷんも取らせた。すりおろして水にさらして、沈んだ白い粉を乾かすだけだから、紙よりずっと簡単だ。
「これは何に使うんで?」
「料理のとろみ付けに使える。洗濯糊にもなる。ガレリアから入れた糸で布を織らせてるだろ、あれの仕上げにも使える」
料理番は粉を指でつまんで、首をかしげていた。三日後には、自分のスープにこっそり使ってたけどな。
紙とでんぷんは、ブランジェ商会とソネミュール商会を通して売り出すことにした。
ブランジェ商会の番頭は、見本を受け取るときに妙に落ち着いていた。
「ご当主様。私はもう、何をお出しいただいても驚きませんよ」
そう言って帰っていった番頭が、ひと月後に、汗だくで屋敷に飛び込んできた。
「ご、ご当主様! 王都の役所から、紙を年に十万枚と……それと、商会組合からも……」
「驚かないんじゃなかったのか」
「これは驚きますよ!」
番頭は注文書を握りしめたまま、まだ自分の数字を信じられない顔をしていた。
「王都の役所って、王城の下だよな。うちの紙だって分かって頼んできたのか?」
「それが……ブランジェ商会の紙としてしか、伝わっていないようでして」
知らずに買ってるのか。宰相が書類にサインするたびに、俺の紙を使ってるってことだ。ちょっと笑える。
商売のほうが落ち着いてきたので、俺は、ずっと気になってたことを試すことに。
魔法と言えばの身体強化だ。
原作の勇者は、神様からもらった加護で身体強化を使ってる。
この世界で身体強化ができるのは、勇者だけらしい。
王都で俺を殺しかけた騎士たちも、強いのは鍛えた体そのものだった。
でも、魔法はイメージの具現化なんだって神(作者)は書いた。
ならば加護じゃなくても、魔法で出来るんじゃないか?
まずは、水の膜で体を包むイメージでやってみた。
寝台の上で、全身がびしょ濡れになった。
「シンクレア様、お食事を……」
扉を開けたアーサーが、濡れた寝台と俺を見て固まる。
「何でもない。実験だ」
「……寝台を替えさせます」
次は、土で骨を補強するイメージ。
腕が重くなっただけで、ちっとも強くならない。
その次は、風を体の中で回すイメージ。これが一番ひどくて、くすぐったくて一人で笑い転げてたら、またアーサーに見られた。
アーサーは何も言わずに扉を閉めた。あいつの胃薬が増えたのは、たぶんこの日からだ。
替えてもらった寝台で、天井を見上げて考え直す。
「そうか!そもそも、属性の魔法じゃないんだよな。魔力そのものを力にするんだ。だったら、パワードスーツって事か!」
そう思ってやってみたら、アッサリとできたんだよ。
体がふっと軽くなる。
試しに右手で机の端をつかむと、簡単に持ち上がった。
「うわお、マジか」
勇者の加護とは、たぶん仕組みが違うんだろうな。
向こうは神様がくれた力で、こっちは自分の魔力で動かしてる。
ガスコンロとIHみたいなもんだな。
まあ、どっちでもお湯は沸くからそれでいいんだよ。
ところが、パワードスーツなんて考えたせいで、余計なものまで頭に浮かんでしまった。
バッテリーだ。
二倍の出力なら三十分くらい。最大の六倍なら十分くらい。そんな数字が、なんとなく分かってしまう。
嫌な予感はしたけど、試さないわけにもいかない。
庭に出て、六倍で走ってみた。
景色がびゅんびゅんと後ろに流れていくし、塀なんか一跳びで越えられる。楽しくなって屋敷の周りを何周もしてたら、きっかり十分で、急に体から力が抜ける。
膝が崩れて、そのまま庭の真ん中にうつ伏せで倒れる。指一本動かせない。
倒れる瞬間、とっさに左腕だけはかばった。
うん、我ながらえらいぞ。
「……自分で決めた設定に縛られて、どうすんだよ」
顔を芝生に埋めたまま呟いてたら、足音が近づいてきた。
「シンクレア様!」
「アーサー、悪い。動けない」
「お怪我は」
「怪我じゃない。電池切れだ」
「……でんち?」
アーサーは聞き返したけど、答えを待たずに俺を背中に担いだ。家令のくせに、意外と力がある。
屋敷に戻るまでの間、背中ごしにため息が何回も聞こえた。
寝台に放り込まれてから、少しまじめに考えた。
勇者しか使えないはずの力を、無能と呼ばれてた男爵が使ってるなんて知られたら、面倒なことになるに決まってる。
人前では出力を抑えておこう。
まあまあ強いけど、人間の範囲に収まるくらいに。
三か月たって、腕の添え木が外れた。とても臭いぞ…。
それからは、領兵隊長を相手に剣の稽古をすることにした。
「ご当主、本当によろしいんで? 手加減はできませんよ」
「手加減されたら稽古にならないだろ」
最初の日は、三本やって一本も取れなかった。
「腕が治ったばかりですからな」
隊長はそう言って笑ってたけど、内心では無理もないって顔だった。
ひと月もすると、二本に一本は取れるようになった。もちろん、身体強化は使ってない。隊長は額の汗をぬぐいながら、不思議そうに俺を見る。
「ご当主は、学園では剣が苦手だと伺っておりましたが」
「苦手だったよ。今は好きになった」
本当のことだ。前世の会社の会議より、ずっと分かりやすい。
そうやってるうちに、また半年が過ぎた。
水飴と紙とでんぷんの稼ぎで、王都にも屋敷を一軒買った。もう宿を吹き飛ばすのはごめんだからな。
そこへ、王立学園から手紙が届いた。
アーサーが封を切って、読み上げる。
「前年度は事情を勘案し進級させたが、このまま出席が無ければ除籍とする、とのことです」
「ふうん。学園って、卒業しないとまずいのか?」
「法で決まっているわけではございません。貴族は学園を卒業するのが慣例でございます」
「慣例か。だったら別にいいや」
俺は手紙を机の端に放り投げて執務に戻る。
アーサーは何も言わなかったが、その日からやたらと胃のあたりを押さえるようになった。
「シンクレア様。慣例とはいえ、学園を出ていない当主は、他家から何と言われるか……」
「言わせとけばいいだろ」
「……左様でございますか」
次の日、俺の机の上に、胃薬の瓶がそっと置いてあった。
その次の日も置いてあった。三日目には、瓶が二本に増えていた。
「分かった、行くよ。行けばいいんだろ」
「ありがとうございます」
アーサーの顔色が、見る見るよくなっていく。
こいつ、絶対わざとやってたな。
「それと、王都で、シンクレア様のお世話をする者ですが」
アーサーが、少し声を落とした。
「マリーという者を考えております。当家の旗下のガビン騎士爵家で、従士をしていた男の妻でございました。夫は、よその土地の山賊退治で亡くなったそうで」
「未亡人か」
「年は二十八。娘の頃に、このお屋敷でメイドをしておりました。シンクレア様はまだ五つにもなっておられませんでしたから、ご記憶にはないでしょうが」
「覚えてないな。で、なんでわざわざその人なんだ?」
アーサーは、こほんと咳払いをした。
「王都には、若い当主を食い物にする娼館がいくらでもございます。身の回りのお世話をすべてできる者がおそばにいれば、と」
「すべて…か」
「すべてでございます。本人も、そのつもりで参ると申しております」
なるほどな。つまり、そういうことだ。
正直、俺にもそういう欲は普通にある。前世の分も合わせれば、それなりに長いこと我慢してきた。
娼館より、事情が分かってて、面倒もない相手がありがたい。
数日後、マリーが屋敷に来た。
落ち着いた感じの女性で、挨拶のとき、まっすぐ俺の目を見て頭を下げる。
「マリーと申します。精一杯、お仕えいたします」
「ああ。世話になるな」
それだけ言うと、マリーは少し驚いた顔をしてから、小さく笑った。もっと偉そうな当主を想像してたのかもしれない。
「娘がいるって聞いたけど、いくつだ?」
「二つになります。夫との間に、やっと授かった子でして」
「その子はどうするんだ?」
「実家の母に預けてまいります」
「王都に連れてくればいいだろ。子守りを一人付ければ済む話だ。屋敷には部屋も余ってるし」
俺としては、職場に保育所でも作るか、くらいの感覚だった。
ところが、マリーは信じられないものを見るような目で俺を見ている。横のアーサーまで、目を丸くしていた。
「……よろしいのですか」
「よろしいも何も、母親が二歳の子を置いていくほうが気になるよ」
マリーは口を開きかけて、何も言わずに、もう一度深く頭を下げた。顔を上げたとき、目が少し赤かった。
それから十日ほどして、王都の屋敷の使用人を集めていたアーサーが、困った顔で報告に来た。
「シンクレア様。使用人が揃いましたが……」
「なんか問題あったか?」
「夫を亡くしたメイドと、妻に先立たれた執事と、子連れの料理女ばかりになりました。どうもマリーの件が、どこからか広まったようでして」
「子連れ、何人いるんだ?」
「子供だけで、七人でございます」
「七人か」
「はい。執事のほうは、まだ生まれて一年の子を連れておりまして、乳母も一人雇いました。それと、子供たちをまとめて見られるように、庭の離れを使わせようかと」
「いいんじゃないか。保育所みたいなもんだな」
「ほいくじょ……でございますか」
アーサーは首をかしげたけど、それ以上は聞いてこなかった。
「私は領地に残ります。王都のお屋敷は、その執事に任せますので」
俺は少し考えて、笑ってしまった。
「まあ、いいか。にぎやかでいいだろ」
アーサーは胃のあたりに手をやりかけて、途中でやめた。もう諦めたらしい。
こうして俺は、マリーとその娘と、子守りと、子連れの使用人たちを引き連れて、王都へ向かうことになった。




