第10話:復学と勇者と興覚め
王都の屋敷に着くと、門の前に痩せた男が立っていた。
四十すぎくらいで、背筋が定規でも入ってるみたいにまっすぐだ。その後ろに、赤ん坊を抱いた乳母が控えている。
「お待ちしておりました。アーカムと申します。アーサー殿から、こちらのお屋敷をお預かりいたしました」
アーサーにアーカムか。この国の執事は、名前がアーで始まる決まりでもあるのか。
「よろしく頼む。後ろの子は、お前の子か?」
「は。一年になります。本来であれば、このような場に連れて出るなど……」
「子連れでいいって言ったのは俺だ。気にせず働いてくれ」
アーカムは一瞬、言葉に詰まった。それから、さっきより深く頭を下げる。
「……ありがとう存じます」
屋敷の中を一通り見て回ってから、庭の離れに顔を出してみた。
もう、ちゃんと保育所になってる。子守りが二人、子供が七人。積み木を投げてる子もいれば、昼寝してる子もいる。うるさいけど、悪くない。
「シンクレア様」
マリーが、小さい女の子の手を引いてやってきた。
「娘のハルモニアです。ハル、ご当主様にご挨拶は?」
ハルは俺の顔を見るなり、さっとマリーのスカートの陰に隠れた。それから、片目だけ出してこっちをうかがっている。
「ハル」
「…………」
「申し訳ございません、人見知りで」
「いいよ。二歳なんて、そんなもんだろ」
三日もすると、ハルは廊下で俺を見つけるたびに、足にしがみついてくるようになった。そのたびに、アーカムが青い顔ですっ飛んでくる。
「ハル嬢! ご当主様のおみ足に、なんということを!」
「よろしいのです、アーカム殿。シンクレア様は怒っておられませんから」
マリーが笑いながら言うと、アーカムは額の汗をふいていた。この屋敷の胃薬担当は、どうやらアーカムに引き継がれたらしい。
♦
一週間後、俺は一年ぶりに学園の門をくぐった。
教室に入ったとたん、空気がざわっと揺れる。
「おい、ヴォートだぞ」
「退学したんじゃなかったのか」
「無能のくせに、よく戻ってこれたな」
伯爵軍を追い返した話は、吟遊詩人たちが酒場で歌ってるはずだ。でも、学生の耳にはまだ半分も届いてないらしい。俺が当主になったことを知らない奴も、けっこういるみたいだな。
別にいい。空いてる席に座って、教本を開く。
授業が終わったとたん、俺の机の前に影が落ちた。
顔を上げると、太った男が取り巻きを三人連れて立っている。ジェナズ子爵家の嫡男、ヘルマンだ。
元のシンクレアの記憶だと、伯爵家の嫡男、クラウスの取り巻きの一人で、見せしめのときも一番大きな声で笑ってた奴だな。
「おい、無能。一年もどこに隠れてたんだ?」
俺は教本を閉じて、鞄にしまう。
「聞いてるのか、おい」
無視して立ち上がり、教室を出ようとした。そのとたん、肩を思い切り突き飛ばされる。机にぶつかって、椅子が床に倒れた。
「貧乏男爵家の息子は、耳も聞こえないのか?」
取り巻きたちが、どっと笑う。教室のあちこちからも、くすくす笑う声が聞こえる。
なるほどな。シンクレアは、毎日これをやられてたわけか。
「……俺を侮辱して、面白いのか」
「面白いに決まってるだろう」
俺は身体強化を軽く使い、一番近くで笑ってた取り巻きの顔に、拳を叩き込んだ。
鈍い音がして、そいつは声も出さずに崩れ落ちる。鼻から下が、拳の形にへこんでいる。床で手足をびくびくさせてるけど、まあ死にはしないだろう。
教室が、しんと静まり返った。
「……え?」
隣の取り巻きが、ぽかんと口を開けている。そいつが我に返る前に、膝を横から蹴り抜いた。嫌な音がして、そいつが床に転がって叫ぶ。うるさいので、顔を踏んで黙らせた。
三人目は腰を抜かして、机の下に這いこんでいる。あいつはもういいか。
俺は、ヘルマンの胸ぐらをつかんで引き寄せた。さっきまでの笑い顔が、真っ白になっている。
「お前、何か勘違いしてるようだが、ヴォートの当主は俺だ」
「と、当主……?」
「お前が貴族扱いされてるのは、ただの慣例だ。法の上では、爵位を持ってるのは当主だけなんだよ。お前は爵位もない身で、爵位を持つ当主を侮辱した。よって、無礼討ちだ」
ヘルマンの顔から、さらに血の気が引いていく。
「剣か魔法か、好きなほうで殺してやる。選べ」
ヘルマンは、歯をがちがち鳴らすだけで何も言えない。
「選べないなら、こっちで決める」
ヘルマンの喉に手をかけたとき、教室の後ろから声が飛んできた。
「待て! 同窓だろ! 殺すな!」
振り向くと、金髪の男が立っていた。背が高くて、顔もいい。いかにも主人公って感じの男だ。
ケインだ。原作の主人公で、勇者。元のシンクレアが訓練場で見せしめにされたとき、少し離れたところで、ただ立って見ていた男でもある。
前世にもいたなあ、こういう奴。
悪い奴じゃない。見捨てたわけでもない。
でも最初から興味がないから、見てなかっただけだ。
人間なんて、普通はそんなもんだよな。
だから、別に腹も立たない。
「お前は勇者らしいが、いつから法より偉くなった?」
ケインは口を開きかけて、そのまま固まった。言い返す言葉が、見つからないらしい。
俺はヘルマンのほうに向き直って、耳をつかんで引きちぎった。悲鳴が上がる前に、顎をつかんで握りつぶす。手を離すと、ヘルマンは床に転がって、言葉にならない声でうめいている。
殺すつもりで始めたのに、横から水を差されて、すっかり気分が冷めた。こいつらは、もう学園には通えないだろう。それで十分だ。
「興覚めだ」
俺はヘルマンの上着で手の血をふいて、教室を出た。
誰も、止めなかった。
廊下に出てから、ちらっと教室を振り返る。ケインはまだ、さっきの場所に突っ立っている。
「他の話も読みたい」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマーク登録】や【いいね】、【ポイント評価(下部の★★★★★)】で応援をいただけますと、執筆の大きな励みになります。




