第4話:侮る者と観察する者
伯爵軍が来た。
謝罪の返事は、ない。届いたのは千の兵と、地面を揺らす軍靴の音だけだ。まあ、そう来るよな。
手紙一枚で頭を下げる相手なら、最初から使者に護衛なんぞ付けない。
「領民は全員、城に入れろ」
俺がそう言うと、アーサーは一瞬だけ眉を動かして、何も聞かずに頷いた。こういうところが優秀なんだよ、この家令は。
城といっても、築百年の屋敷に石垣を巻いただけの代物だ。そこに領民が詰め込まれる。廊下も階段も人だらけで、赤ん坊の泣き声が壁に響く。門を固めるのは、領兵五十人。千の軍勢を前にして、この数字は笑うしかない。
そして、その中に領主の姿はない。
噂が回るのは早かった。
「当主様は、逃げたらしいぞ」
「あの無能のことだ。尻尾を巻いて、とっくに国境の向こうだろうよ」
領民の口から伯爵軍の耳へ、あっという間に届く。狙い通りだ。
実際の俺は、城の裏手にある炭焼き小屋で寝転がっている。
煤だらけの藁の上から、天井の隙間の星を数えてた。
逃げたって言われるのは、正直ちょっと面白い。
逃げてないのに、逃げたことになってる。便利な噂だ。
戸口からは、領都が一望できる。観察には、ちょうどいい。
夜になると、アーサーが裏口からパンとチーズを持って上がってくる。顔色は、日に日に悪い。
「降伏勧告の使者が参りました。今日で二度目です」
「で、なんて答えた?」
「『当主は不在、戻り次第ご返答いたします』と」
「いいね。次は『主は病で臥せっております』あたりで頼む」
「……三日、持たせるのですか」
「三日でいい。それ以上は、お前の胃が先に壊れるだろ」
アーサーは何か言いたそうに口を開いて、結局、食事の包みを俺に押しつけただけで降りていった。
たぶん、胃薬を飲みに行ったんだろう。
全部が終わったら、いい胃薬を買ってやらないとな。
二日目の昼、俺は小屋の戸口に腹ばいになって、伯爵軍を眺めていた。
領都の空き家が、片っ端から「接収」されていく。
将校どもは民家に上がり込み、兵は外に天幕を並べて野営。
その天幕の間で、昼間から酒盛りだ。領民が逃げたあとの家は戸を蹴破られて、食料も家財も、荷車に積まれていく。
おいおい。まだ勝ってもいないのに、もう略奪かよ。
見張りは、数えるほどしか立っていない。千もいるのに、だ。
柵も堀もなく、天幕は好き勝手に散らばっている。
理由は単純で、「当主は無能で、おまけに逃げた」って話が、あいつらの頭の中ではもう確定事項になってるからだ。
俺は、その様子を二日かけて、じっくり見た。
どの建物に将校が集まるか。歩哨は何人で、どこに立って、何時に交代するか。
夜になると、誰が酒に潰れて、誰が最後まで起きているか。
千人と正面からやり合う気は、最初からない。
全員に勝とうとすると、仕込みも面倒くさいしな。
でも、頭さえ潰せば、千人は千人のままではいられなくなる。
軍ってのは、そういうもの。前世の会社と、わりと似てるよ。
三日目の夜、月は出なかった。
俺は街の影を縫って、領都の中心へ降りていく。
本陣は、街で一番大きい商家だった。
窓から灯りが漏れて、女の笑い声と、杯のぶつかる音が聞こえる。窓の隙間から、そっと中を覗いた。
長いテーブルに、将校が十人ほど。近隣の村から連れてきたんだろう、女たちを侍らせて、肉を食らい、酒をあおっている。床には空き樽が転がって、誰も片付けない。
その中で、上座の男だけ、空気が違った。
三十前後。背が高く、むき出しの腕は傷だらけ。アレキサンドル・ベルンハルト。
伯爵の庶子で、長兄だ。
他国との戦で武名を上げた、王国でも指折りの武人。
原作でも名前だけは出てきた、そこそこの強キャラだったな。
その男が、杯を掲げて笑っていた。
「ヴォート家は、我が物だ! 無能の小僧など、泣いて降るに決まっている!」
母親の身分が低くて、長男なのに継ぐ家がなかった男。
今回の件がうまく行けば、ヴォート家をもらえる約束になっているらしい。
ようやく手に入る自分の城だ。浮かれる気持ちはわかるぞ。
しかも相手は、子供に代替わりしたばかりの、有名な無能。油断するなってほうが無理だろう。
でもな、それが命取りだよ、残念だったな。
まず、歩哨だ。
建物の入り口に、二人立っていた。ここから十メートルほどだ。
射程ぎりぎりから、二人の心臓に握り拳程の土を入れる。
即死して倒れる二人が、倒れる前に収納していく。
収納の中にはあらかじめ『歩哨』のファイルを作ってある。
そこに放り込んで、さらに圧縮する。
収納の容量は一立方メートルしかないが、ファイル化と圧縮で実質は王国、いやこの世界でも屈指の容量になっている。
ただ、ファイルに名前を付け忘れると、あとで面倒だけどな。
建物の外壁に、音を立てずに貼りつく。基礎のあたりに手を当てて、頭の中で、水の分子を思い浮かべた。
水を、酸素と水素に分解する。
水魔法の上限は、十リットル。ライター程度の火と並べて、原作では「しょぼい」と書かれていた数字だ。
でも、水を気体にすれば、『爆鳴気』という火が付くと威力のある気体となる。しかも、ちょうどよく混ざった状態で。
それを、床下へ静かに流し込んでいく。音はしない。匂いもしない。ただ、床下が少しずつ満ちていくだけだ。
十リットル分全部だと、何もかも全部なくなってしまうよな。
俺は、流し込むのを一リットル分でやめて建物から離れる。
建物の中では、まだ笑い声が続いていた。
「楽しそうだな。見てて分かるよ」
建物から二十メートルほど離れて、地面に手を置く。
土を収納して、人ひとりが入れる穴を掘った。
縁に手をかけて、頭だけ出して、本陣を見る。
ここから床下の奥まで、ちょうど二十メートルほど。
射程の限界から火を飛ばして、床下に、ライターほどの火を。
息を吸う。
「……いくぞ」
指先に灯した火を、射程一杯から床下に向けて飛ばした。
次の瞬間、俺は穴に飛び込んだ。




