第32話 男爵と侯爵と貴族たち
伯爵軍を蹴散らした、その足で、俺は王都に向かった。
逃げた伯爵を、そのまま追って首を取ることもできた。でも、やらなかった。あいつが破ったのは、俺との約束じゃない。王城が立ち会って結んだ約定だ。だったら、落とし前も、王城につけさせる。
アーカムを連れて、王城に上がる。訴え出た先は、またあの会議室だ。長いテーブルの上座に王が座り、その横に宰相が控えてる。俺を見る宰相の目は、相変わらず氷みたいに冷たい。
俺は、床に片膝をつく体裁だけ取って、口を開いた。
「ベルンハルト伯爵家が、約定を破りました」
宰相の眉が、わずかに動く。
「決闘は、王城立会いのもと、正式に行われました。ヴォート家が勝ち、伯爵は隠居し、収益の三割を九十九年渡す。そう決まったはずです。ところが伯爵は、隠居するどころか、寄子をかき集めて三千の兵を起こし、他家の領地を通って、ヴォート領に攻め込んできました」
「……それは、まことか」
王が、低い声で聞いてくる。
「まことです。すでに一度、追い返しました。ですが、これは単なるヴォート家への攻撃ではありません。王城が立ち会い、王城が見届けた約定への、裏切りです」
俺は、顔を上げて、まっすぐ王を見た。
「その約定の立会人は、王城です。それを破った家を、王城はどう始末なさるおつもりですか。それとも――」
一拍、置く。
「王城の立てた約定とは、破っても構わない、その程度のものだとおっしゃるのですか」
部屋が、しんと静まり返った。
王は、答えない。宰相は、口を真一文字に結んでる。
二人とも、分かってるんだろう。ここで伯爵を庇えば、「王城の約定は守らなくていい」と、王国中の貴族に知らせることになる。約定を結んでも、強い者が破れば、それで通る。そんな前例を作ったら、この国の貴族社会そのものが、根っこから腐る。
かといって、憎いヴォートに、討伐の勅許をくれてやるのも、面白くない。俺に大義名分と武功を与えることになるからな。
王と宰相は、どっちを選んでも損をする。いい気味だ。
長い沈黙のあと、宰相が口を開いた。
「……よかろう。ベルンハルト伯爵家は、約定違反の咎により、討伐とする」
「ありがとうございます」
「討伐軍の指揮は、訴え出たヴォート家に一任する」
おや、と思った。ずいぶん、あっさり花を持たせてくるな。
でも、宰相の口の端が、わずかに吊り上がってるのを見て、すぐに察した。こいつ、何か仕込んだな。
案の定だった。
「ただし」
宰相は、勝ち誇った声で続けた。
「兵は、ヴォート家が自ら集めよ。王家の兵は、一兵も出さぬ。兵糧も、馬も、武具も、すべてヴォート家の持ち出しとする。それが、討伐を願い出た者の責任というものであろう」
なるほどな。そういうことか。
男爵風情の下に、好きこのんで集まる家などない。せいぜい、うちの領兵だけで、伯爵軍の残党に挑ませる。
数で押し負けて、共倒れになれば、それでいい。
たとえ勝っても、身代を削って、ヴォート家は疲弊する。
どっちに転んでも、俺が損をする。
嫌がらせとしては、よく考えてある。さすが、腐っても宰相だ。
俺は、顔には出さずに、頭の中だけで思った。
――ほう。上等だ。てめえら、覚えてろよ。
「……承知しました」
そう答えて、頭を下げる。宰相が、満足そうに頷いた。
そのときだった。
少し離れた席で、ずっと黙って聞いていた男が、おもむろに立ち上がった。
ニールド侯爵だ。
「小僧」
侯爵は、面白くてたまらない、という顔で俺を見た。
「また、面白いことをやっているな」
それから、王のほうに向き直って、朗々と声を張り上げた。
「我がニールド侯爵家は、此度のヴォート家による討伐に、合力する」
部屋の空気が、凍りついた。
王の顔色が、変わる。宰相が、椅子から腰を浮かせた。
北部の大貴族が、男爵の指揮下に入ると言い出したのだ。この国で、ニールド侯爵家といえば、北の帝国から長年この国境を守り続けてきた、武門の筆頭だ。その家が、よりによって男爵の下に付く。
「に、ニールド侯爵! 何を血迷われた!」
宰相が、声を裏返して叫ぶ。侯爵は、それをちらりと見ただけだった。
「血迷う? 何も血迷ってはおらん」
侯爵の声は、静かだったけど、妙に重かった。
「約定を破った者を、国が罰する。当たり前のことだ。それを面白くないと思う者がいるなら――」
侯爵は、王のほうを見た。
「その者こそ、国より己を重んじているのだろう。違うかな」
王に向けた、当てこすりだった。
俺は、横目で侯爵を見た。この人は、ただ面白がってるだけじゃない。北の帝国から、ずっとこの国を守ってきた武門の家だ。
国のために血を流してきたのに、伯爵や宰相みたいな、国より自分の懐を考える連中が、王の周りで甘い汁を吸ってる。
そして王も、それに流されてるだけ。
侯爵は、それが前々から、腹に据えかねてたんだろう。俺という「面白い小僧」を担いで、腐った連中に一撃を入れる。そういう腹だ。
俺と侯爵は、見てる方向が、たぶん全然違う。
侯爵は、この国を守りたい。
俺は、別にこの国じゃなくてもいい。
でも、今この瞬間は、同じ相手が邪魔だってだけで、十分に手を組める。
ニールド侯爵が動いたことで、潮目が、音を立てて変わった。
それまで「男爵が頭の軍になど、加われるか」と様子見していた家が、侯爵の顔色をうかがって、参戦を表明しはじめる。
北部の雄が動いたとなれば、乗らない手はない、というわけだ。
さらに、寄親の手前で動けずにいた下級貴族たちも、こっそり動きはじめた。
寄親の家そのものはヴォートの指揮下に入らなくても、「うちの寄子が勝手に参戦するのは、まあ、黙認する」という、そういう形で。
王家派の大貴族ばかりが得をして、下級貴族は使い捨て。
そのくすぶってた不満が、ニールド侯爵という大義名分を得て、一気に噴き出した格好だった。
気づけば、ヴォート討伐軍は、三千に膨れ上がっていた。
宰相が「集まる家などない」と踏んだのが、見事に外れた。
王城の廊下で、宰相が歯噛みしてるのが見える。
王は、苦々しい顔で、玉座に沈み込んでた。
♦
王城を出たところで、ニールド侯爵が、後ろから声をかけてきた。
「礼はいらんぞ、小僧」
振り返ると、侯爵が、片手を振っていた。
「儂は、面白いものが見たいだけだ。……それと、国を食い物にする鼠が、一匹残らず片付くところをな」
「侯爵のおかげで、助かりました」
俺が頭を下げると、侯爵は、愉快そうに笑った。
「お前も、せいぜい派手にやれ。退屈させるなよ」
それだけ言って、侯爵は去っていった。全部を見透かしてるような、食えない男だ。
俺は、空を見上げた。
重く垂れこめてた雲が、だいぶ薄くなってきてる。
「さて。残りは千五百だ。しかも、もう一度負けを知ってる軍だ」
あとは、城に立てこもった伯爵を、根こそぎ片付けるだけだ。
ただのヴォート家の私闘じゃない。
国の名のもとに、約定を破った家を討つ。
伯爵にとっては、これ以上ない、最悪の形だろう。相手が、ヴォート家じゃなく、国そのものになったんだから。
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