第29話 反則技と、干からびる勇者
俺は、ずっとかかっていたブレーキを、無理やり外しにかかった。
でも、頭で「外せ」と念じても、肝心のイメージが像を結ばない。存在そのものを、別の物に換える。言葉にすればそれだけなのに、思い浮かべかけるたびに、体のどこかが「それはダメだ」と拒む。
考えてる時間は、もうなかった。
ケインが、折れた俺の剣を見て、ゆっくりと剣を振りかぶる。
「ヴォート。これで、終わりだ」
勝ちを確信した一撃だ。胸のど真ん中を狙って、まっすぐ突いてくる。
俺は、避けなかった。
正確には、ほんの少しだけ、体をずらした。心臓を、刃の線から外すためだ。
剣が、俺の左の脇腹を貫いた。
「ぐ……っ」
熱い。息が詰まる。普通なら、臓腑をかき回されて即死してる。でも、身体強化で全身を内側まで硬くしてあるから、刃が腸を切り裂かずに、わずかに逸れて通った。それでも、死ぬほど痛いことに変わりはない。
ケインが、剣を突き立てたまま、顔を近づけてくる。暗い目に、憎しみが滲んでる。
「お前が、アンジェを……あいつを、あんなふうにしたんだ……!」
恨み言は、最後まで聞かなかった。
俺は、脇腹を貫いてる刀身を、両手で握りしめた。
刃が、手のひらを切り裂く。指の間から、血が噴き出す。両手と脇腹、三か所から血を流しながら、俺は、その激痛に意識を集める。
この刀身を、水に変える。
今までずっとブレーキがかかってたイメージが、痛みに押されて、少しずつ像を結びはじめる。
なんで水かって、理由は単純だ。この体でいっとう最初に出したのが、洗面器の水だった。俺の体が、一番よく知ってる「出す」の形が、水なんだ。だったら、「換える」のも、水が一番イメージできるだろ。
「死ねぇぇぇぇ!」
ケインが、全体重を乗せて、剣を押し込んできた。
その瞬間、ブレーキが、外れた。
俺の手の中で、鉄の刀身が、ばしゃっと水に変わった。
脇腹を貫いてたはずの刃が、音を立てて水になって、地面に流れ落ちる。ケインの手には、柄と、根元の数センチだけが残ってる。
「……は?」
ケインが、固まった。自分の剣が、途中から消えたことが、理解できないらしい。暗い目が、間抜けに見開かれてる。
これだ。
痛みも忘れて、俺は確信した。物を当てるのがダメなら、当てなきゃいい。存在そのものを、換えちまえばいいんだ。加護が消すのは、外から入ってくる魔法だ。でも、もう体の中にあるものが、内側から別の物に換わるなら、消しようがない。
俺は、固まってるケインの胸に、手のひらを当てた。
「じゃあな」
胸の、ちょうど真ん中。そこにある存在を、十リットルぶんの水の球に、換える。
ケインの胸の真ん中が、一瞬、丸い水の塊になった。心臓も、肋骨も、肉も、全部まとめて水に変わって、そのまま崩れ落ちる。
胸に、ぽっかりと大穴が開いた。
加護も、身体強化も、間に合わなかった。弾こうにも、攻撃が外から来ないんだから、弾きようがない。胸の中身が、内側から勝手に水になったんだ。
それでも。
ケインは、倒れなかった。
胸に大穴を開けたまま、折れた柄を握りしめて、まだ立ってる。暗い目が、まだ俺をにらんでる。
「……しつけえよ」
俺は、開いた胸の穴に、手を突っ込んだ。
そこから、ケインの上半身の水分を、根こそぎ抜く。
死体のファイルで、何度もやったやつだ。生きてようが、加護があろうが、もう守りの内側に手を入れちまえば、関係ない。H2Oだけを、ごっそりと。
ケインの上半身が、みるみる干からびていく。皮膚が骨に張りついて、顔がしぼんで、博物館のミイラみたいになる。下半身だけが、生身のまま残ってる。
その奇妙な姿のまま、ケインは、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
折れた柄が、乾いた手から転がり落ちる。
訓練場が、水を打ったように静まり返った。
誰も、声を出さない。しょぼい適性のはずの男爵が、国の切り札の勇者を、素手で干からびさせたんだ。伯爵派の連中も、王城の宰相も、みんな口を開けたまま固まってる。貴賓席のエリザベートだけが、手すりを握りしめて、まっすぐ俺を見ていた。
もう、隠す意味もないか。
俺は、身体強化で脇腹と手の血を止めながら、空を見上げた。
「やっぱり、ああいう奴は嫌いだ。スッキリしたわ」
さっきまで垂れこめてた雲が、いつの間にか切れて、青空が広がってる。
その遠くで、ごろごろと、雷が鳴った。
「……次は、伯爵だな」
ケインを後見して、約定まで結んだ伯爵家が、これで黙ってるとは思えない。勇者を失って、そのうえ収益の三割を九十九年だ。素直に払うくらいなら、最初からこんな決闘を仕掛けてこない。
雷の音を聞きながら、俺は、立会人の宰相のほうに顔を向けた。
「宰相殿。ヴォート家の、勝ちで、いいですね」
宰相は、青い顔で、何も答えられなかった。
視界が、ぐらりと揺れる。血を流しすぎたな。
駆け寄ってくる医者の足音を聞きながら、俺は、その場に片膝をついた。遠のく意識の端っこで、なぜか、屋敷で待ってるマリーとハルの顔が浮かんだ。
早く、帰らないとな。
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