第22話 閉ざされた窓と、勇者の初めての選択
レーヴェン子爵は、書斎の机に両肘をついて、頭を抱えていた。
夕方、街から逃げ帰ってきた護衛の生き残りと、ケインの話を聞いたところだった。
取り巻きの三人と、その家の護衛が全員斬られた。
しかも、ヴォート家の当主の侍女を、往来の真ん中で侮辱したうえでのことだという。
先日の決闘の件もある。
どう転んでも、こちらに言い訳の余地はなかった。
扉が叩かれ、執事が青い顔で入ってくる。
「旦那様。ヴォート家から、先触れの使者が参っております」
通された使者は、子爵の前で一礼すると、淡々と口上を述べた。
「今宵、当主シンクレア・ヴォートがお伺いいたします。本日の件と先日の件について、レーヴェン子爵家のお考えを伺いたいとのことです」
それだけ言うと、使者は返事も待たずに帰っていった。
子爵の顔から、すうっと血の気が引いていった。
しばらくして、子爵はアンジェを書斎に呼んだ。
アンジェは、ざんばらに切られた髪と切り裂かれた額を布で覆って入ってきた。目は泣きはらして真っ赤だったが、口を開けば出てくるのは恨み言ばかりだった。
「お父様、あの狂犬を訴えてください! 王家に訴えれば、あんな男爵家なんて――」
「……お前は、自裁しろ。出来ねば修道院に入れる」
子爵は、娘の言葉を遮った。
アンジェの顔色が、さっと変わる。
「嫌よ! どうして私が! あいつが悪いのよ、私は何も――」
「お前は、何を勘違いしている」
子爵の声は、驚くほど冷たかった。
「この家の当主は私で、嫡男はゲイルだ。お前ではない。勇者の後見になったのも、この家を大きくするためだ。家に貢献するどころか、迷惑しかかけない娘に、価値などない」
アンジェは、言葉を失ってその場に立ち尽くした。父親の口から、そんな言葉が出てくるとは思ってもいなかったという顔だった。
子爵が手を振ると、控えていた使用人たちが、アンジェの両腕をつかんだ。
「離して! お父様、お父様!」
アンジェは叫びながら、書斎から引きずり出されていった。その声が、廊下の奥へと遠ざかっていく。
廊下の壁にもたれていた兄のゲイルは、連れていかれる妹を、黙って見送った。止めようとも、声をかけようともしなかった。
その様子を、ケインは廊下の陰から見ていた。
アンジェが奥の部屋に押し込まれ、外から鍵がかけられるのを見届けてから、ケインは書斎の扉を叩いた。
「旦那様。一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「何だ、ケイン」
子爵は、机の書類から顔を上げなかった。
「……ヴォートが、言っていたんです。自裁せず修道院へ送っても、どうせアンジェは途中で殺される、と」
ケインの声が、わずかに震えた。
「そんなこと、ありませんよね?」
子爵は答えなかった。
ペンを持ったまま、机の上の書類に目を落としている。紙の上で、ペン先が止まっていた。
長い沈黙が、書斎に落ちた。
ケインは、それが答えなのだと分かってしまった。
「……失礼します」
ケインは頭を下げ、震える手で扉を閉めた。
♦
夜になって、ヴォート家の先触れどおり、屋敷の門の前に一台の馬車が止まった。
子爵と嫡男のゲイルが、玄関に並んで出迎えに立った。
ちょうどその頃、屋敷の裏手では、アンジェを閉じ込めた部屋の窓が、音もなく開けられていた。
内側からではなく、外側から。
♦
通された応接間は、やけに静かだった。
俺が椅子に座るなり、子爵は床に膝をついて、深く頭を下げた。後ろでゲイルも、それに倣って膝をつく。
「ヴォート卿。娘のしでかしたこと、弁解の言葉もございません。娘は修道院に入れ、当家としても正式に謝罪と賠償を……」
さすがに、ここまでは早かったな。
俺が来るまでに、腹は決めてたらしい。
俺が口を開きかけたとき、廊下を慌ただしい足音が近づいてきた。
扉が乱暴に開いて、使用人が真っ青な顔で飛び込んでくる。
「だ、旦那様! アンジェ様のお部屋が、もぬけの殻です! 窓が開いていて……それに、ケイン殿のお姿も、どこにも見えません!」
子爵とゲイルが、そろって顔色を失った。
俺は、ゆっくりと椅子の背にもたれた。
「……そうか。ケインが連れて逃げたか」
子爵は、床に手をついたまま震えている。
勇者に逃げられた後見の家なんて、聞いたことがない。
勇者を手に入れて家を大きくするはずが、その勇者に、娘ごと持っていかれたわけだ。
俺は、少しだけ口の端を上げた。
「よかったじゃないか、子爵様。これで、『妹』を始末する手間が省けたな?」
ゲイルが驚いてこっちを見ている。
『妹』という事は、当主はゲイルになったという事だ。
当主は今夜交代するのだ。
俺は立ち上がって、震えている元子爵を見下ろした。
「娘を差し出せない以上、レーヴェン家として謝罪と賠償をしてもらう。お前は今夜死ね。自裁できなきゃ俺が殺してやる。後は、……たしか港を持ってたな?そこを我がヴォート家に金貨1枚で99年租借させてもらう。領内の通行権もな。ああ、お前たちが港を使う時の税は、『割引』してやるぞ」
「あ、あそこを押さえられたら我が領は……」
「お前達は何か勘違いしてる様だがな、これは子爵家の値段だぞ。……そこの家令も文句ありそうだが、この家の奴等は皆で死にたいのか?こっちは戦でも構わんぞ」
そういった次の瞬間に、家令は頭を抱えて倒れる。
そして、目や鼻、耳や口から水と体液などが混ざった物を出しながら全身が痙攣をして、間もなく動かなくなる。
見ていた元子爵やゲイル、メイドたちは、固まって動けない。
俺は立ち上がりながら言う。
「取り巻きの三家とその護衛については、ヴォートの当主に刃を向けた件として、別に話をつける。異存は?」
「……ございません」
元子爵とゲイルは、床に額をこすりつけるようにして、頭を下げた。元子爵は俺の目の前で自裁して、見事に果てた。
屋敷を出ると、雨がぽつぽつと降りはじめていた。
馬車に乗る前に、俺は夜の通りを見渡した。濡れた石畳が、街灯の明かりをぼんやりと映してる。
この暗がりのどこかを、ケインがアンジェの手を引いて走ってるんだろうな。
「あいつ、初めて自分で動いたが、やはりバカか…」
それが正しいかどうかは、俺には興味はない。
しかし、世話になった後見の貴族家に損害を与え、令嬢を連れて逃げた元勇者などに、良いことはないだろう。
プライドだけは高い子爵令嬢だ、アイツが養えるとは思えん。タップリと苦しんで、世の中の底で、這いずって死ね。
もしも、幸せだと聞こえて来たら、俺が必ず殺してやる。
俺は馬車の扉を閉めて、御者に「出せ」とだけ言った。




