第20話 あの日の炎と、想いごと斬る剣
三日後、空は朝から土砂降りだった。
訓練場の地面はすっかりぬかるんで、あちこちに水たまりができてる。こんな天気なのに、観客席は学生で埋まってた。雨よけの外套を頭からかぶって、肩を寄せ合ってこっちを見てる。
一年前、ここでシンクレアが見せしめにされた日も、たぶん同じような顔ぶれが並んでたんだろうな。今日は、その反対側の結末を見に来てるわけだ。
人ごみの中に、腕を吊ったダリルの姿が見える。前のほうにはアンジェがいて、その横にケインが気まずそうな顔で立ってた。
俺は剣を一本だけ腰に下げて、雨に打たれながら訓練場の真ん中に立つ。
一年前と同じ場所か。そう思っても、特に何も浮かんでこない。
向かいに、クラウスが立ってる。杖を握る手に、白くなるほど力が入ってるのが分かった。
立会人の教授が、雨音に負けないように声を張り上げる。
「これより、決闘を執り行う! どちらかが降参するか、死ぬまで。家同士は一切関係なし。双方、異存はないな!」
「ない」
「……ない」
教授が手を振り下ろした瞬間、クラウスが大きく後ろに跳んだ。
「ヴォート! 貴様の射程が十メートルしかないことは知っているぞ! 近づけなければ、何もできまい!」
さすがに、それくらいは調べてきたか。
クラウスはさらに下がりながら、炎の矢を次々に撃ってくる。観客席から「そうだ、距離を取れ!」と声が飛んだ。
俺は身体強化をかける。出力は二倍まで絞っておく。人間離れした動きに見えたら、あとが面倒だからな。
最初の炎の矢を、半歩横にずれて躱す。二本目は、少しだけ身をかがめてやり過ごす。三本目、四本目。避けながら、まっすぐ前に出る。
クラウスの顔が、見る見る引きつっていく。
「く、来るな!」
来るなと言われて、行かない奴はいないだろ。
十メートルを切ったところで、俺は一気に踏み込んだ。クラウスが慌てて杖を構え直すより先に、その顔面に拳を叩き込む。
鈍い音がして、クラウスの体が泥の中を転がっていった。杖が手から離れて、水たまりに落ちる。
観客席が、しんとなる。
俺は、泥まみれで倒れてるクラウスを見下ろした。
「立てよ。まだ降参してないだろ」
クラウスは鼻血を流しながら、震える手で杖を拾った。泥の中から、よろよろと立ち上がる。
それから、歯を食いしばって、ありったけの魔力を杖に込めはじめた。杖の先で、炎と風がぐるぐると渦を巻いていく。
見覚えがある魔法だな。一年前、シンクレアを焼いたやつだ。
「燃え尽きろ、無能が!」
爆炎が、まっすぐこっちに飛んでくる。
でも、この土砂降りの中じゃ、炎の勢いは半分も出てない。俺は目の前に土の壁を出して、それを受け止めた。壁の表面で炎がじゅうじゅうと音を立てて、すぐに雨に消されていく。
土の壁を消すと、クラウスが肩で息をしながら、信じられないって顔をしてた。
「お前の炎は、でかい火を風でかき混ぜてるだけだ」
俺は、右手を前に出す。
手のひらの先に、土で細い筒を作る。その奥に、ライターほどの小さな火を灯す。みんなが「しょぼい」と笑った、俺の火魔法だ。
そこへ、風魔法で酸素だけを吹き込んでやる。
とたんに、筒の先から青白い炎が噴き出した。ごうっと低い音を立てて、三メートルほどの長さまで一気に伸びる。降りしきる雨粒が、炎に触れたそばから、しゅっと蒸気になって消えていく。
観客席から、誰かが息を呑む音が聞こえた。
「炎ってのは、こういうことを言うんだよ」
クラウスは呆然とその炎を見つめたまま、反射的に右手の杖をこっちに向けてきた。
俺はバーナーを、横に払った。
クラウスの右手首から先が、杖ごと焼き切れて、泥の上にぽとりと落ちる。切り口は焼けて塞がってるから、血も出ない。
一拍遅れて、クラウスの絶叫が訓練場に響いた。
クラウスは右腕を抱えて、泥の中に膝をつく。
まあ、片腕で十分だな。これで勝負はついた。
俺はバーナーを消して、教授が決着を告げるのを待とうとした。
そのとき、観客席から誰かが飛び出してきた。
「やめなさい! もう十分でしょう!」
アンジェだ。
濡れた巻き毛を振り乱して、クラウスと俺の間に走り込んでくる。決闘の最中に、部外者が割り込んできたわけだ。
後ろから、ケインが慌てて追いかけてくるのが見える。でも、間に合ってない。
俺は、顔をしかめてアンジェのほうを向いた。
貴族の決闘に口を出すなんて、斬られても文句は言えないんだぞ。分かってるのか、こいつ。
「お前、何様のつもりだ。決闘の最中に――」
その瞬間、アンジェの肩越しに、クラウスの姿が見えた。
残った左手を、こっちに突き出してる。手のひらで、炎と風が渦を巻きはじめていた。
あの日と、同じ魔法だ。
とたんに、頭の中に映像が流れ込んできた。
一年前の、この訓練場。周りの笑い声。飛んでくる炎と風。熱い。痛い。誰も止めてくれない。腕を組んで眺めてる教官も、指をさして笑ってる取り巻きたちも、少し離れたところで、ただ立って見てるケインも。
どうして、僕だけ。
誰か、助けて。
胸の奥で、誰かが泣いてる。
俺は、静かに笑った。
「ああ……お前、まだいたんだなあ」
あの日、ベッドの上で消えたと思った気配が、まだここにあった。ずっと、俺の中で、この瞬間を待ってたのか。
剣の柄に、手をかける。
「いいよ。お前の想いごと、斬ってやるよ」
目の前のアンジェを、蹴り飛ばす。
守るためじゃない。ただ、邪魔だっただけだ。アンジェは悲鳴を上げて、泥の中を転がっていった。
クラウスの爆炎が、正面から飛んでくる。
避けようと思えば、避けられた。でも、俺は避けなかった。
この炎だけは、正面から受けて、正面から斬りたかった。
炎が左の頬をかすめて、焼けるような痛みが走る。それでも足は止めない。そのまま踏み込んで、剣を振り下ろした。
手応えがあった。
クラウスの体が、肩口から斜めに裂けていく。クラウスは、信じられないものを見るような顔のまま、ゆっくりと泥の中に崩れ落ちた。
訓練場が、しんと静まり返る。
聞こえるのは、雨の音だけだった。
それから、その雨が、ふっと弱まった。
厚い雲の切れ間から、日が差してくる。顔を上げると、訓練場の向こうの空に、虹がかかってた。
胸の奥で泣いてた誰かの気配が、静かに遠ざかっていくのが分かる。
今度こそ、本当に行ったんだな。
「……お疲れさん、シンクレア」
小さく呟いて、俺は剣についた血を振り払った。
「しょ、勝者……シンクレア・ヴォート……」
立会人の教授が、震える声で決着を告げる。
剣を鞘に収めると、左の頬から、血が一筋流れ落ちていった。指で触ると、ひりひりする。たぶん、跡が残るな。
マリーとお揃いか。
そう思ったら、少しだけ笑えてきた。
泥の中で、アンジェが俺をにらみつけてる。その横で、ケインは今日も、何も言わずに立ってるだけだった。
俺は観客席に背を向けて、訓練場をあとにする。
背中のほうで、誰かが小さく拍手をした。振り返ると、腕を吊ったダリルが、つまらなそうな顔で、片手で膝を叩いてた。
あいつ、本当にいいな。




