第19話 一人きりの嫡男と、と・く・べ・つ・な決闘
朝、教室に入ると、窓際の一角だけがぽっかり空いてる。
ここ数日で、あの一角の顔ぶれはすっかり片付いた。
バルツ家は、ローデン家と歩調を合わせたらしい。家令が毒を持って、家の中で次男の始末をつけたそうだ。
ハーゲン家だけは当主が強硬で、「息子を差し出すいわれはない」と突っぱねてきた。だから翌朝一番で乗り込んだ。応接間で話を始めたら、当主が胸を押さえて、何故か急に倒れてな。そのまま「病死」だ。
家を継いだのは、嫡男の兄だった。もともと今回の件は仕方ないと思ってたらしく、その場で弟の家名を剥奪すると言う。
弟は真っ青になって、俺の横をすり抜けて逃げようとする。その背中を、兄の目配せを受けた護衛の兵が斬った。
俺は指一本動かさずに済んだよ。ハーゲン家は領地に戻って喪に服すそうで、賠償金は窓口のローデン家を通して払うと知らせてきた。
ヘルマンは学園を去ったし、ローデンもバルツもハーゲンも、もうこの世にいない。ダリルは腕を吊ったまま、クラウスの近くには寄りつかなくなった。
その真ん中で、クラウスが一人で座ってる。教本を開いてるけど、さっきから一枚もページがめくれてないな。
俺が席につくと、クラウスがちらっとこっちを見て、すぐに目をそらした。
「静かになったなあ」
独り言のつもりだったけど、近くの学生がびくっと肩を揺らす。悪いな、別にお前に言ったわけじゃないんだよ。
一年前、一人ぼっちで座ってたのはシンクレアのほうだったんだよな。そう思ったけど、それ以上は何も浮かんでこない。ざまあみろとも、可哀想だとも思わない。ただ、そうなったんだなと思うだけだ。
午後の授業が始まる前に、伯爵家の使いが教室に来た。クラウスは青い顔で荷物をまとめて、使いと一緒に出ていく。領地に呼び戻されたらしいな。まあ、そうなるだろう。
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ベルンハルト伯爵家の書斎に入るなり、クラウスの足元に手紙の束が叩きつけられた。
「お前は、何をしているんだ!」
机の向こうで、蟄居中の伯爵が顔を真っ赤にしていた。床に散らばったのは、寄子の家々から届いた手紙だった。
「ヴォートには手を出すなと、あれほど言っただろうが!」
「ち、父上、私は何も命じておりません。あいつらが勝手に――」
「ローデンもバルツもハーゲンも、うちの寄子だぞ!」
伯爵の怒鳴り声が、クラウスの言い訳をかき消した。
「三家そろって息子を失い、九千枚を超える金をむしり取られた。ローデンは跡取りの長男まで殺されて、あそこは今、乳離れしたばかりの子が嫡男だ。ハーゲンに至っては、当主まで死んだ。どの家も、伯爵家の嫡男にそそのかされたと言っておる!」
「私は、そそのかしてなど……」
「黙って見ていたのも、同じことだ!」
伯爵は机を拳で叩いた。インク壺が跳ねて、書類に黒い染みが広がる。
「儂が蟄居させられたのも、アレキサンドルの首がいまだに取り返せんのも、全部ヴォートのせいだ。そこへお前は、わざわざ火に油を注いだのだ」
伯爵は大きく息を吐いて、椅子に沈み込んだ。そして、冷え切った声で言った。
「次に何かしでかしたら、廃嫡して修道院に放り込むぞ、馬鹿者が!」
クラウスは何も言えずに、深く頭を下げた。握りしめた拳が、小刻みに震えていた。
書斎を出ると、廊下の壁にもたれていた少年が、にこにこしながら近づいてきた。
クラウスの弟の、クレメンスだった。兄より二つ下で、兄の後釜を狙っていることを隠そうともしない。
「兄さま、大変でしたねえ。父上の声、廊下まで丸聞こえでしたよ」
クラウスは答えずに、そのまま通り過ぎようとした。クレメンスは平気な顔で横に並んで、楽しそうに続ける。
「でも、修道院はさすがにお可哀想です。兄さま、しっかりしてくださいね。僕、兄さまの代わりに家を継ぐなんて、まだ心の準備ができていませんから」
そう言って、クレメンスは口元を押さえて、くすくすと笑った。
クラウスは、振り向かなかった。振り向けば、殴ってしまいそうだった。
廊下の窓の外で、灰色の雲が低く垂れこめていた。
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クラウスが王都に戻ってきたのは、それから四日後だった。
廊下ですれ違ったとき、前よりずいぶんやつれてるのが分かった。頬がこけて、目の下に隈ができてる。
俺は足を止めて、声をかけた。
「よう、クラウス坊ちゃん。親父さんに、首の件は伝えてくれたか?」
クラウスは無言で、俺の横を通り過ぎようとする。その背中に、言ってやった。
「手下にやらせて、自分は黙って見てるだけの奴には、もう誰もついてこないな。一年前、訓練場で俺に魔法を撃ち込んだときは、ずいぶん楽しそうだったのに。今のお前に、あのときの度胸は残ってるのか?」
クラウスの肩が、びくりと震えた。振り向いた顔は、耳まで真っ赤になってる。
「……決闘だ。シンクレア・ヴォート! 貴様に、決闘を申し込む!」
廊下が、どよめいた。俺は、思わず鼻で笑ってしまう。
「お前は伯爵家の息子ってだけで、爵位なんか持ってないだろ。法の上じゃ、ただの貴族のガキだ。そのガキが、ヴォート家の当主の俺に、決闘を申し込む?」
周りから、くすくすと笑い声が漏れる。クラウスの顔が、赤から白に変わっていった。
「まあ、いいだろう。と・く・べ・つ・に、受けてやるよ。ただし、どちらかが降参するか、死ぬまでだ。どっちが死んでも、家は関係ない。それでいいならな」
ここで引けば、もう学園にいられない。射程十メートルの無能なんかに負けるはずがない、と自分に言い聞かせるみたいに、クラウスは歯を食いしばって頷いた。
「……望むところだ」
ちょうど通りかかった教授に立会人を頼んで、条件をもう一度読み上げる。教授は青い顔で、震える手で書き留めた。
場所は、一年前と同じ訓練場。日取りは、三日後だ。
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その夜、屋敷の窓から外を眺めてたら、遠くで雷が鳴った。空は厚い雲にすっかり覆われて、月も星も見えない。
「三日後は、たぶん雨だな」
俺はそう呟いて、窓を閉めた。




