第17話 散歩道と暴漢と未来を護る者たち
その日のヴォート邸は、いつもどおり穏やかだった。
空は晴れて、風もやわらかい。昼前になると、離れの子供たちが待ちきれない様子で戸口に集まってくる。
「今日はお散歩に行きますよ。みんな、お隣の子と手をつないでね」
マリーが声をかけると、幼い子供たちが二人ずつ手をつないで並んだ。まだ歩けない赤ん坊たちは乳母車に乗せられ、乳母が面倒見ながら、子守りの女が二人で押していく。前と後ろには、屋敷の警備の騎士が一人ずつついた。
行き先は、少し歩いたところにある公園だ。
途中の通りは人通りもそこそこあって、ヴォート邸の子供たちの散歩は、このあたりの住人にとってちょっとした楽しみになっていた。パン屋の女将が手を振り、八百屋の親父が小さな子に林檎のかけらを渡す。
「ハル、ありがとうは?」
「あいがと!」
ハルが元気よく言うと、八百屋の親父は目を細めて笑った。
しかし、その日はいつもと違った。
角を曲がったところで、前から男たちが歩いてきた。七、八人はいる。全員が顔に布を巻き、手には棍棒や古びた剣を握っていた。
先頭の騎士が足を止め、低い声で言った。
「マリー殿、子供たちを後ろへ」
騎士たちはすぐに動いた。道沿いの家の壁がへこんだところへ子供たちを押し込み、その前に立ちはだかる。マリーと子守りたちが、子供たちを抱えるようにして壁際にしゃがみ込んだ。
男たちは、数を頼みにニヤニヤしながら近づいてくる。
騎士の一人は、子供たちを背にしたまま動かない。もう一人が前に出て、殴りかかってくる男を一人、また一人と打ち倒していく。
だが、数が違った。
一人が騎士の脇をすり抜けて、子供たちのほうへ走った。
マリーが、横から男の腰に組みついた。
「この子たちに、触らないで!」
男は舌打ちして、棍棒を振り下ろした。鈍い音がして、マリーの額から血が噴き出す。それでも、マリーは手を離さなかった。
「離せ、この女!」
男が二度目の棍棒を振り上げたとき、横から剣が走った。前に出ていた騎士が、相手をしていた男を斬り捨てて駆けつけたのだ。マリーに組みつかれていた男は、悲鳴を上げて倒れた。
通りの向こうから、笛の音と足音が近づいてくる。町の人が呼んだ衛兵たちだった。男たちのうち何人かは慌てて逃げ出し、逃げ遅れた者たちはその場で取り押さえられた。
子供たちは、誰一人怪我をしていなかった。
騎士の一人が腕に軽い傷を負い、マリーは眉の上から額にかけてを棍棒で割られていた。
♦
知らせが届いたのは、午後の授業が終わる直前だった。
屋敷の使いの顔を見た瞬間、嫌な予感がした。話を聞いて、俺は鞄もつかまずに立ち上がる。
教室を出るとき、ふと窓際の席が目に入った。
クラウス・ベルンハルトが、俺のほうを見ていた。驚いた様子もない。むしろ、どこか満足そうな顔だった。
……今は、屋敷が先だ。
屋敷に戻ると、離れの前で子供たちが子守りに抱かれていた。泣きはらした顔の子もいるけど、怪我をしてる子はいない。
ハルが俺を見つけて、走ってきて足にしがみついた。
「シン、さま」
「ああ。怖かったな」
頭をなでてやると、ハルは顔を俺のズボンに押しつけたまま、ぎゅっとつかんで離さない。
アーカムが、青い顔で頭を下げた。
「申し訳ございません。私がおりながら……」
「お前のせいじゃない。騎士たちは?」
「一人が腕を。手当ては済んでおります」
俺は騎士たちのところへ行って、二人の前に立った。
「子供たちを守ってくれて、ありがとう。お前たちがいなかったらと思うと、ぞっとする」
騎士たちは驚いた顔をして、それから深く頭を下げた。
「マリーは?」
「医者が縫いましたが……棍棒でしたので、傷口がきれいではなく、跡がはっきり残るだろうと」
マリーの部屋の前まで行ったけど、子守りの一人に止められた。
「ずいぶんお疲れで、今はお休みになっています」
「……そうか。起こさなくていい」
扉の前で、少しだけ立ち止まる。
それから、俺は屋敷を出た。
♦
衛兵の詰め所の奥に、捕まった男たちが三人、縄で縛られて転がされていた。
衛兵たちに殴られたらしく、顔は腫れて、口の端が切れている。それでも、三人ともへらへらと薄笑いを浮かべていた。
「誰に頼まれた」
衛兵の隊長が聞くと、男の一人が肩をすくめる。
「知らねえよ。酒場で声をかけられただけだ」
「顔も覚えてねえなあ」
隊長が、困った顔で俺を振り返った。
「ヴォート卿。このとおり、口を割らないのです」
「手ぬるいな」
俺は男たちの前にしゃがみ込み嗤った。
殴られて切れた傷口に、手を当て風を吹き込んだ。
傷から入っていく空気で、どんどん皮膚の下に空気が入っていき、筋肉と皮膚の間がペリペリと音を立てた。
傷口から指で引っ張ると、アッサリと『顔がとれた』
顔が無くなった暴漢は、痛さと恐怖で唸りながらのたうち回っているが、それを見る俺の眼は冷たかった。
「…チッうるせえな」
と、頭を何度か踏みつけていく。
静かになった詰め所で、俺は残りの二人を見下ろした。二人とも、さっきまでの薄笑いはどこにもない。
「さて。俺は何も聞かない。やりたいようにやるだけだ。ただ、お前らが俺の興味のあることを話してる間は、聞いてやってもいい」
そう言って、別の男の頭をつかむ。
とたんに、二人が一斉にしゃべり出した。
「き、貴族の使用人みたいな男だ! そいつが金を出して、俺たちを集めたんだ!」
「身なりがよくて、言葉も丁寧で……」
男の一人が、すがるような目で俺を見た。
「あ、あの、俺、いいこと知ってるんで、手加減してもらえると……」
「なんだ」
「俺、去年まで蹄鉄屋の見習いだったんです。俺たちのところに来た男、ローデン子爵のところの御者です! 何度も馬の蹄鉄を替えに来てたんで、顔を覚えてて」
ローデン子爵。クラウスの取り巻きの家だ。
貴族の家が、使用人の子供を襲わせただと。何を考えてやがる。
俺はその男の襟首をつかんで、立ち上がらせた。そのまま詰め所を出ようとすると、隊長が何か言いかける。
「貴族相手に、お前に何かできるのか?」
俺がそう言うと、隊長は口を閉じた。
♦
ローデン子爵邸の向かいの路地に身を隠して、しばらく待った。
夕方近くになって、屋敷の門から馬車が一台出てきた。御者台に座ってる男を見て、蹄鉄屋の見習いが小さく声を上げる。
「あ、あいつです!」
「間違いないな」
「はい!」
俺は見習いを放してやった。
「お前は、ヴォート家の屋敷に行け。『シン様に言われて来た』と言って、そこで待ってろ」
「ええ? 帰してくれるんじゃないんで……」
「帰ってもいいけど、子爵の手の者に殺されるぞ」
「は、はい?」
「当たり前だろ。顔を知ってる奴を、生かしておくわけがない。俺が子爵でも殺す」
見習いは真っ青になって、路地を駆けていった。
一人になった俺は、馬車の後をつけた。馬車は学園の門の前で止まって、御者が息子の帰りを待ちはじめる。
俺は御者台の横に立った。
「だ、誰だ?」
「覚えがあるだろう? シンクレア・ヴォートだ」
御者の顔から、みるみる血の気が引いていく。手綱を握る手が、がたがた震えだした。
俺は馬車に乗り込んで、扉を閉めた。
「出せ」
馬車は、ヴォート邸に向かって走り出した。




