第14話 悪魔の一撃と嗤う男爵
翌朝、教室に入ると、俺の席の前にクラウス・ベルンハルトが立っていた。
後ろには取り巻きが三人。クラウスの顔は、引きつったまま固まっている。
「ヴォート。……首の話が、学園中で噂になっているぞ」
「へえ。それで?」
「父上の名誉を汚す気か!」
声が裏返ってる。周りの学生たちが、ちらちらこっちを見ている。
「汚したのは、俺じゃないだろ。息子の首を一年も取りに来ない親父さんのほうだ」
クラウスの顔が、みるみる真っ赤になっていく。拳を握ったまま、言い返す言葉を探してるらしい。
そこへ、横から甲高い声が割り込んできた。
「ちょっと、貴方!」
振り向くと、栗色の巻き毛の令嬢が、腰に手を当てて俺をにらんでいた。いかにも気の強そうな顔をしてる。
元のシンクレアの記憶にも、原作にも、この顔はある。勇者ケインの後見をしている子爵家の娘、アンジェだ。原作の第一部の最後で勇者の側妃になって、エリザベートをガレリアへ追いやる女だな。
「彼の身内の首があるなら、返してあげなさい! 人として恥ずかしくないの?」
教室中の視線が、俺とアンジェに集まる。
俺は、アンジェのほうを見もしないで言った。
「お前に指図されるいわれはない。家に帰って、ヴォートと揉めていいか親に聞いて、出直してこい。女」
アンジェは一瞬、ぽかんと口を開けた。名前も呼ばれなかったのが、よっぽど信じられないらしい。それから、顔が耳まで真っ赤になる。
「な、なんですって!? わたくしを誰だと思って――」
「アンジェ、やめろ」
ケインが慌てて駆け寄ってきて、アンジェの腕をつかんだ。
「離しなさい、ケイン! この男、わたくしを『女』って――」
「いいから、やめろって」
ケインに引きずられながらも、アンジェはまだ何か叫んでいる。その隙に、クラウスも取り巻きと一緒に、こそこそ自分の席に戻っていった。
あれがアンジェか。原作で読んでたとおり、うるさい女だな。
ケインのほうは、アンジェを押さえるのに必死で、俺とは目を合わせようともしない。止めるなら最初から止めろよ、と思うけど、まあいいか。
それにしても、クラウスの奴、女に助け舟を出してもらって黙って引っ込むのか。一年前に訓練場で、取り巻きに囲まれて笑ってた男と同じ奴とは思えないな。
教本を開きながら、窓の外を見る。今日は、薄曇りだ。
♦
午後は、剣術の授業だった。
訓練場に出ると、あの教官が待っていた。学園長室で、膝の上で拳を握って床を見てた男だ。
俺の顔を見るなり、教官は口の端を上げる。
「ヴォート。一年も寝ていた体がどれだけ動くか、私が直々に見てやろう」
周りの学生たちが、ざわっとした。
「教官と一対一かよ」
「普通、そんなのないよな」
要するに、学園長室での仕返しってことだ。分かりやすくて、いっそ清々しいね。
「お手柔らかに」
俺は貴族の顔で笑って、木剣を受け取った。
訓練場の端には、見物の学生がずらりと並んでいる。その中に、クラウスの顔もあった。取り巻きと並んで、腕を組んでこっちを見ている。俺が叩きのめされるところを、楽しみにしてるんだろうな。
期待に応えられなくて悪いけど。
今回は、身体強化を使う。ただし、出力はぎりぎりまで絞っておく。人間離れした動きを見せたら、一発でばれるからな。腕の立つ騎士くらい。それで十分だ。
教官が踏み込んでくる。重い一撃を、木剣で受け流す。二合目、三合目。俺は受けに回って、教官の動きを見ることにした。
何十年も剣を握ってきた男だけあって、太刀筋はまっすぐで速い。でも、癖がある。踏み込む直前に、右の肩がほんの少しだけ下がるのだ。
分かれば、あとは簡単だった。
次に右肩が下がった瞬間、俺は半歩だけ横にずれる。教官の木剣が、さっきまで俺がいた場所の空を切る。その首筋に、俺の木剣の切っ先をぴたりと当てた。
訓練場が、しんと静まり返る。
教官の喉が、ごくりと動いたのが分かった。
「……一本、ですね」
俺は木剣を下ろして、そのまま踵を返す。
背中で、地面を強く蹴る音がした。
振り向かなくても分かる。木剣を振りかぶって、俺の頭を狙ってる。木剣でも、あの振りで頭に入れば人は死ぬ。訓練中の事故ってことにするつもりなんだろう。
後ろからかよ。ほんとにクズだな。
教官の心臓の血管に、小指の先ほどの土を出す。
背後で、どさりと重いものが倒れる音がした。
振り返ると、教官が木剣を握ったまま、胸を押さえて地面に転がっていた。顔は真っ白で、口が何か言いたそうに動いてるけど、声は出てこない。
倒れたのを見届けてから、心臓の土を消しておく。
「……教官?」
「教官!」
「誰か、医者を呼べ!」
学生たちが駆け寄ってくる。誰かが教官の体を仰向けにして、誰かが肩を揺さぶっている。俺は木剣を下げたまま、驚いた顔を作っておいた。
しばらくして、学園の医者が息を切らせて走ってきた。教官の胸に耳を当てて、手首を取って、それから首を振る。
「心の臓の発作だ。……鍛えた方ほど、急に来ることがある」
「そんな……さっきまで、あんなに元気だったのに」
「だから怖いのだ。本人も気づかないうちに、悪くなっている」
医者の言葉に、周りの学生たちが黙り込む。
心の臓への悪魔の一撃、ってやつだな。不幸な事故だ。誰がどう見ても、教官が勝手に倒れただけにしか見えない。
空を見上げると、雲一つない快晴だった。
ふと視線を感じて、振り返る。
訓練場の端で、クラウス・ベルンハルトが青い顔をして、俺を見ていた。
何かに気づいたのか、ただ怖くなっただけなのか。
まあ、どっちでもいいか。俺は木剣を肩に担いで、片付けに向かった。




