第12話:金貨一枚の女
朝食のあと、アーカムが帳面を持って執務室に入ってきた。
「ご当主様。保育所の寝具が足りておりません。それと、子供用の食器と、厨房の大鍋を一つ。リネンも少々」
「けっこうあるな」
「本日中に、出入りの商人を呼んでおきますので」
アーカムは帳面を閉じかけたけど、俺は少し考えてから言った。
「いや、俺が買いに行こう」
「……は?」
アーカムの顔にすこしだけ驚きが浮ぶ。
「ご当主様が、ご自分でそのようなことを…… お店の者を呼べば済む話でございます」
正直に言うと、買い物なんかどうでもいい。小説の挿絵じゃない、本物の王都を、自分の足で歩いてみたいだけだ。
さて、どう言いくるめようか。そう思って顔を上げたら、お茶を下げに来たマリーと目が合った。
「いや、マリーと親睦を深めるために、二人で行きたいんだ」
アーカムは何か言いかけて、口を閉じた。それからマリーを見て、俺を見て、深いため息をついて頭を下げる。
「……お気をつけて、いってらっしゃいませ」
屋敷の門を出たとたん、隣でマリーがくすっと笑った。
「上手く逃げ出せましたわね」
ばれてたか。マリーは口元を押さえて、コロコロと笑っている。
こういうところ、いいなと思う。事情が分かってて、面倒もない相手。最初はそれだけだったけど、一緒にいて肩がこらない相手だってのは、また別の話だ。
「……いや。本当に、君と街を歩いてみたくなった」
マリーは一瞬きょとんとして、それから少し照れたように目をそらした。
王都の市場は、原作の挿絵よりずっと汚くて、ずっと賑やかだった。
魚の匂いと、焼いた肉の煙と、人の怒鳴り声。前世のアメ横を思い出す。
マリーは値切るのがうまかった。寝具屋の親父がふっかけてくるのを、笑顔のままでじわじわ削っていく。最後には親父のほうが「奥さん、勘弁してくれよ」と頭をかいていた。
「奥さんじゃないんですけどね」
マリーは小声で俺に言って、また笑った。
途中の屋台で、串に刺した焼き肉を二本買った。一本をマリーに渡すと、マリーは困ったように笑った。
「ご当主様と並んで、道で串焼きを食べるメイドなんて、聞いたことがありません」
「じゃあ、マリーが最初だな」
マリーは少し迷ってから、小さくかじった。熱かったのか、慌てて口元を押さえている。
買った物は、店を出るたびに収納にしまっていく。寝具も大鍋も、圧縮すれば大した量じゃない。荷物持ちいらずだ。
頼まれた物を一通り買い終えても、俺はつい露店を覗いて回った。
木彫りの馬と、布の人形を見つける。
「これ、離れの子供たちにいいな」
髪留めのピンとハンカチが並んでる店では、女の使用人たちに一つずつ。酒屋では、男連中に一本ずつ。最後に小間物屋で、銀のカフスを一組選んだ。
「これは、アーカムにな」
金袋を持ったマリーが、呆れたように笑っている。
「ご当主様。それは全部、お土産ですか」
「ついでだよ、ついで」
市場の外れの路地に入ったところで、派手な化粧の女とすれ違った。
肩の出た安っぽい服に、荒れた肌。女は俺の顔を見て、足を止めた。
ネイルだ。
ネイルの目が、俺から、隣のマリーに移る。仕立てのいい服に、きちんと整えた髪。俺の横に自然に並んで歩く様子。どう見ても、貴族の愛妾だ。
一年前、ネイルが欲しがってたものが、そのまま目の前にある。ネイルの顔が、みるみるこわばっていった。
「ネイルじゃないか? 大変そうだなぁ」
ネイルは、何も言えずに立っている。
「マリー?」
それだけで、マリーは察して金袋を差し出した。俺は金貨を一枚取り出して、ネイルの手に握らせる。
「じゃあな」
それだけ言って、マリーと歩き出した。後ろでネイルが立ち尽くしてる気配がしたけど、振り返りはしなかった。
少し歩いてから、マリーがそっと聞いてくる。
「お知り合いでしたか」
「昔、うちにいたメイドだよ」
マリーは、それ以上何も聞かなかった。
♦
屋敷に戻って、離れで木彫りの馬を出すと、子供たちがわっと群がってきた。
ハルは布の人形を両手で抱えて、俺の足にしがみついたまま離れない。女の使用人たちは、ピンとハンカチを受け取って顔を見合わせている。男連中は酒の瓶を掲げて、声を上げた。
「ご当主様、ありがてえ!」
最後に、アーカムに小箱を渡す。
ふたを開けたアーカムは、銀のカフスを見たまま、しばらく黙っていた。
「……ご当主様。使用人に、このような」
「いつも胃を痛めてもらってるからな。その礼だ」
アーカムは咳払いを一つして、深く頭を下げた。顔を上げたとき、目が少し赤かった気がするけど、たぶん気のせいだ。
マリーと顔を見合わせて、二人で笑う。
その夜、夕飯の席で今日のことを思い返しても、もうネイルの顔は浮かぶことはなかった。
♦
ネイルは、握らされた金貨を胸に抱えるようにして、裏通りの部屋に帰る。
扉を開けると、男が寝台に寝転がっていた。ネイルを拾った男で、今はネイルの稼ぎで食べている男だ。
「遅えぞ。今日はいくらだ」
ネイルが黙っていると、男は手の中の金貨に気づいて、ひったくった。
「金貨じゃねえか! どうしたんだ、これ」
答えを待たずに、男は上着を引っかけて出ていった。
「飲んでくる」
扉が閉まって、一人になった部屋で、ネイルは笑った。声を出して、ひとしきり笑った。
あの日、意識がないと思っていたシンクレアの前で、愛妾になれれば贅沢できると言った自分。
今日、そのシンクレアの隣を歩いていた女。
笑い終えると、ネイルは天井の梁を見上げた。
それから、ロープを吊るして、踏み台を用意した。
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