六年の月日
どうもはじめまして春と桜です。
あたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
その言葉に、私は思わず首を傾げた。天使というのは、いったい誰のことだろう。私は自分の頬に触れてから、周囲へ意識を広げる。庭にはまだたくさんの人が残っていて、興奮した声があちらこちらから聞こえていた。
「姫様が助けてくださったんだ」
「本当に……すごかった」
「宮廷医のところまで持つように処置されたって……」
「まだ十歳のお方なのに……」
私は少し困ってしまった。そんなふうに言われると、何だか照れくしい。
「マルリ、もう行きましょう。少し恥ずかしいです」
「はい、姫様」
マルリに手を取られ、私は小さく笑いながら庭をあとにした。
その日の出来事は、私が思っていた以上の速さで王宮中へ広がっていった。庭師のトーマスを救った第三王女の話は、侍女たちの間にも、使用人たちの間にも伝わり、やがて王の耳にも届いた。私はそんな噂になっていることも知らず、部屋へ戻れば着替えを済ませ、いつものように医術の勉強へ戻っていた。人の命を預かる以上、ひとつの処置が成功したからといって満足していられない。今日の治療で感じた熱感知の変化も気になっていて、私は自分の中に残った感覚を何度も思い返していた。
その日の夕方、父から呼び出しを受けた。
「お父様、お呼びでしょうか?」
部屋へ入ると、父はいつもの穏やかな表情で私を迎えてくれた。けれど、私が椅子へ腰を下ろすと、少しだけ心配そうに眉を下げる。
「リリー、今日は庭で大変なことがあったそうだね。怪我をした庭師のことを、少し聞かせてもらえるかな」
「はい。トーマスさんが木を剪定しているときに、誤って腕を深く切ってしまったんです。出血が多かったので、まず傷を押さえて、それから中を確認して……」
「ふふ、楽しそうだねリリー。怖くはなかったかい?」
「少しだけ。でも、トーマスさんのほうがずっと怖かったと思いますから」
「そうか……」
父は静かに頷いた。王として国を治めるときの厳かな声とは違い、私と話すときの父の声はいつも柔らかい。しばらくして、父は小さく息を吐いた。
「宮廷医からも聞いているよ。リリーが適切に処置をしたおかげで、トーマスは無事に宮廷医のもとへ運ばれたそうだね」
「はい。助かってくれて、本当によかったです」
「私も嬉しく思っているよ」
父の声に温かな笑みが滲む。
「リリーは医術を学びたいのかい?」
「はい」
私は迷わず頷いた。
「もっと勉強したいです。それに、できることなら実際に患者さんを診てみたいです」
少しだけ緊張しながら答える。王女である私が医師として働くことを、父がどう思うのかは分からなかった。
けれど父は、しばらく黙ったあと、穏やかに笑った。
「そうか。リリーがそこまで望んでいるのなら、私から止める理由はないよ」
思わず顔を上げる。
「……いいのですか?」
「ああ。ただ、リリーの身体と安全が一番大切だからね。医療協会とも話をして、無理のない範囲で働けるようにしよう」
「ありがとうございます、お父様!」
嬉しくなって、私は思わず身を乗り出した。
「これからも一生懸命勉強します」
「うん。リリーならきっと大丈夫だよ」
父の優しい声に背中を押されるようにして、私は医療協会へ通うことになった。
そこからの日々は、想像していた以上に充実していた。医師たちの診察に立ち会い、患者の話を聞き、薬について学び、実際の治療にも少しずつ関わっていく。私の知識が増えるにつれて任されることも増え、いつしか医療協会では、第三王女としてではなく一人の医師として私を頼ってくれる人も増えていった。
そして六年後。
十六歳になった私は、今日も白い医療服に身を包み、診察室に立っていた。
父から許しをもらい、ここで働き始めてから、医療は私の日常の一部になっている。目を閉じたまま患者さんの声に耳を傾け、熱感知で身体の状態を探る。六年の間に熱感知は大きく成長し、今では意識を向ければ、身体の中を巡る熱の変化まで以前より細かく感じ取れるようになっていた。
「先生、次の患者さんをお呼びしてもよろしいですか?」
「はい。お願いします」
扉が開き、ゆっくりとした足音が近づいてくる。私は椅子を勧め、患者さんが腰を下ろした気配を感じてから、穏やかに声をかけた。
「こんにちは。今日はどうされましたか?」
患者さんの話を聞きながら、必要なことを一つずつ尋ねていく。痛みの場所や始まった時期、普段の生活について確認し、言葉の端々から本人が一番不安に感じていることを探していく。身体へ意識を向ければ、話だけでは分からない変化も感じ取れる。私はそれらを一つずつ確かめながら、患者さんが納得できるように説明を続けた。
「今のところ、大きな心配はいりませんよ。こちらのお薬を飲んで、しばらく身体を休めてください。もし症状が強くなったら、すぐに診せに来てくださいね」
「分かりました。ありがとうございます聖女様」
「お大事になさってください」
患者さんが退室すると、私は小さく息を吐いた。このところ、私を聖女と呼ぶ人が増えてきた。でも、私自身はそんなふうに呼ばれることに、少し戸惑っている。私は聖女なんてものではなく、ただ患者さんの力になりたいと思っている一人の医師なのだから。
次の診察へ移ろうとしたところで、首に巻きついたチャロが、ゆっくりと身体を動かした。
最近は最近自由自在に身体の大きさを変えられるようになったみたいだ。
「姫君、そろそろお時間ですぞ」
「もうそんな時間ですか?」
「はい。随分と集中しておられましたからな」
「そうでしたか。では、あと少しですね」
私は微笑んで、次の患者さんを待った。
それからしばらくして、診察室の外が少し騒がしくなった。医療協会には人の出入りが多い。職員の足音や患者さんの話し声が聞こえるのも珍しくないため、私は特に気に留めず、机の上を整えていた。
何かがおかしい。いつもなら聞こえてくる声が、少しずつ減っている。私は手を止め、耳を澄ませた。廊下に人がいる。
熱感知を広げると、複数の人間の熱が重なって感じられた。けれど、その動きが妙に静かだった。こちらへ近づいているのに、誰も話していない。
「……マルリ?」
呼びかけても、返事がない。
いつもならすぐ近くにいるはずのマルリの熱を探すと廊下の少し離れたところに彼女の熱を感じた。その周囲には、見慣れない熱がいくつも重なっている。
胸の奥がざわつく。その時扉が勢いよく開いた。
「姫様!」
マルリの声だ。普段の穏やかな声とは違う。切迫した響きに、私は反射的に立ち上がる。
「マルリ、どうしたのですか?」
答えが返ってくるより早く、何かが飛んできた。鋭い音が耳元を掠め、壁へ突き刺さる。
「姫様、お下がりください!」
護衛騎士の声が響き、身体を覆うように誰かが前へ出る。私は状況を理解できないまま、その熱を頼りに一歩後ろへ下がった。
「何が起きているのですか?」
「襲撃です! 姫様は我々がお守りします!」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が変わった。
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