救いたい
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
庭に近づくにつれて、いくつもの声が重なって聞こえてきた。慌ただしく行き交う足音に、誰かを呼ぶ声、その合間には苦しげな呻き声まで混じっている。私は足を緩めず、その騒ぎの中心へ向かった。熱感知へ意識を向ければ、人の身体から放たれる熱が幾つも浮かび上がる。その中に、ひときわ強く、途切れ途切れに揺らぐ熱があった。
「誰か、医者を呼んでくれ! 早く!」
「もう人を走らせています! ですが、すぐに来られる医師が……」
「宮廷医師はどうした!」
「王族の診療があるため、こちらへは来られないそうです! それに昨日の討伐で、冒険者たちが大勢戻ってきたでしょう。怪我人が多くて、街の医師も手が離せないと……」
聞こえてきた言葉を拾いながら、私は足を止めた。医師が来られない。その事実だけで、胸の奥がひやりとする。けれど、今の私にできることがあるのかもしれないと思えば、立ち去るという選択はなかった。前世で身につけた知識は、この世界でどこまで役に立つのか分からない。それでも、何もせずに待つよりは、できることを探したかった。
「姫様!」
後ろから追いついたマルリが、私の前へ回り込む。
「どうか、ここから先はお下がりくださいませ。怪我人がおりますし、血も出ているようです。お召し物が汚れてしまいます」
「怪我をされた方は、どこですか?」
「姫様……?」
「そこにいらっしゃるのでしょう?」
私は声のする方向へ顔を向けた。熱を辿れば、人の集まる場所は分かる。その中心にいる人の腕からは、特に強い熱が伝わってきた。けれど、熱だけでは傷の深さまでは分からない。だからこそ、自分の手で確かめる必要があった。
「姫様、お待ちください。危のうございます」
「大丈夫です」
「ですが、姫様のお手まで汚れてしまいます」
私は一度だけ、静かに息を吸った。
「マルリ」
「……はい」
「私、その方を助けたいです」
いつもの私なら、ここで素直に彼女の言葉へ従っていたかもしれない。けれど今は、目の前で誰かが苦しんでいる。その人を救うために必要なことがあるのなら、私は知らないふりをしたくなかった。
「これはお願いです。手伝ってください」
短い沈黙のあと、マルリの手がそっと私の腕へ触れた。
「……承知いたしました、姫様」
私は小さく頷いた。支えてくれるマルリの手を頼りに、集まった人々の中へ進んでいく。血の匂いが近づくにつれて濃くなり、足元には慌てて運ばれた布や道具が散らばっている気配がした。私はその場に膝をつき、熱の乱れている身体へ手を伸ばした。
「まず、お名前を教えてください」
「……トーマス、です」
「トーマスさん。痛いと思いますけれど、何があったのか教えてください。手当てをしながら聞きますから、ゆっくりで大丈夫です」
庭へ近づくにつれて、騒がしさが増していった。幾人もの足音が行き交い、誰かを呼ぶ声が重なり、その奥から苦しげな呻きが聞こえてくる。私はその声を頼りに歩みを進めながら、そっと熱感知へ意識を向けた。人の身体から放たれる熱が幾つも浮かび上がり、その中心に、ひどく乱れた熱を持つ人がいる。その腕からは特に強い熱が感じられ、身体全体の熱もどこか弱々しく揺れていた。
「誰か、医者を呼んでくれ! 早く!」
「もう使いを出しています! ですが、王宮の医師には頼めません!」
「なぜだ!」
「王族のみを診療する契約になっているからです! それに、昨日の討伐で負傷した冒険者が大勢戻ってきていて、街の医師も手が空いていません!」
私は足を止めた。王宮には医師がいる。それでも、その医師には頼れない。医者が来るまで待っていればいいという状況ではないことだけは、前世の記憶がはっきりと告げていた。大量の出血なら、時間そのものが命を削っていく。
「姫様!」
背後からマルリが駆け寄り、私の腕を取った。
「どうか、ここから先はお進みにならないでくださいませ。怪我人がおりますし、血も出ているようです。姫様のお召し物まで汚れてしまいます」
「怪我をされた方は、どこですか?」
「姫様……」
「そこにいるんですよね?」
私は声の集まる方向へ顔を向けた。熱を辿れば、人の位置は分かる。何人もの熱が重なる中で、一人だけ、その身体から伝わってくる熱が不安定だった。私は迷わず、その方向へ一歩踏み出す。
「姫様、お待ちください!」
「マルリ」
私は足を止めた。
「私、その方を助けたいです」
「ですが……」
「これはお願いです。手伝ってください」
少しの沈黙のあと、マルリが息を吐いた。
「……承知いたしました、姫様」
私は彼女に支えてもらいながら、人の輪の中へ入った。近づいた途端、血の匂いが濃くなる。誰かが布を押し当てているようで、その手の動きと、苦しそうな呼吸がすぐ近くから聞こえた。私はその場へ膝をつき、まず怪我人の肩へそっと手を添えた。
「大丈夫ですか?」
「……はい」
「お名前を教えてください」
「トーマス……です」
「トーマスさんですね。何があったのか、教えてください。痛みが強いと思いますから、ゆっくりで大丈夫ですよ」
トーマスが浅く息を吸う。
「庭の木を……剪定していました。高い枝を切っていたんです。もう少しで切り終わるところで、足を滑らせて……その拍子に、手に持っていたものが……」
「手に持っていたもの?」
私は聞き返した。
「何を使っていたんですか?」
「鋸です」
答えたのはトーマスではなく、すぐ傍にいた別の庭師だった。
「太い枝でしたので、鋸で切っていました。トーマスが足を滑らせたとき、鋸が手から外れて……腕に深く刺さりました」
「刺さったままだったんですね?」
「はい」
男の声がわずかに震える。
「それで……私が抜きました」
「あなたが?」
「はい。刺さったままでは危ないと思ったんです。トーマスも苦しそうでしたから、早く抜かなければと……」
「抜いたあと、どうなりましたか?」
「急に血が……」
男の声が詰まった。
「それまでとは比べものにならないくらい、血が出ました。布を当てても、すぐに真っ赤になってしまって……」
私は黙って頷いた。
刺さっていた鋸を抜いたあと、出血が一気に増えた。ならば、傷の奥で血管が傷ついている可能性が高い。しかも鋸による傷なら、単純な切り傷とは違う。皮膚だけではなく、その下の組織まで損傷していることを考えなければならない。
私の指先が、血に濡れた布へ触れる。
「チャロ」
「どうされましたかな」
「出血が多いです。熱の感じ方も、さっきより弱くなっている気がします」
「ならば、急ぐべきでしょうな」
チャロの声は低く、いつものように落ち着いていた。
私は小さく息を吸った。
「トーマスさん。今、腕の痛みはどのくらいありますか?」
「かなり……痛いです」
「指は動かせますか?」
「……はい」
「分かりました。では、今は腕を動かさないでください」
私は周囲へ顔を向けた。
「マルリ」
「はい」
「この布を取らずに、その上から強く押さえてください」
「分かりました」
マルリの手が布へ触れる。
「もっと強く。血を止めるためです。トーマスさん、痛みますが、少しだけ我慢してください」
「……はい」
マルリが力を込めると、トーマスが苦しそうに息を吐いた。
私はその呼吸を聞きながら、彼の身体から伝わってくる熱へ意識を集中させた。傷を見ることはできない。だからこそ、触れること、聞くこと、感じること、そのすべてを使う。
「キュアを使える方はいますか?」
「私が使えます!」
「お願いします。ただし、止血の邪魔にならないようにしてください。傷を治そうとするより、今は出血を少しでも抑えるために使ってください」
「はい!」
詠唱が始まり、淡い魔力の気配が傷の周囲へ集まった。
けれど、それだけでは足りない。
私は分かっていた。
キュアは便利な魔法だ。小さな傷や擦り傷なら、誰でも日常的に使える。それでも、今のトーマスの傷は、その範囲を越えている。大量に血を失っているなら、傷を魔法で塞ぐことより、まず出血を止め、意識を失わせないことが先だった。
「誰か、清潔な布をもっと持ってきてください。それから、温かい水を用意してください。できるだけ早く」
「はい!」
何人かが駆けていく。
私は膝をついたまま、トーマスの腕から手を離さなかった。
ここには、前世で使っていた医療器具もない。
それでも、医学そのものがなくなったわけではない。
私が知っていることと、この世界にあるもの。
その二つを組み合わせれば、まだこの人を救えるかもしれない。
ブックマーク 評価 応援をよろしくお願いします!




