リリーとマルリ
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
翌朝、目を覚ますと、寝台の傍で衣擦れの音がした。カーテンが開かれ、柔らかな朝の空気が部屋へ流れ込んでくる。
「姫様、お目覚めでございますか?」
「はい。おはようございます、マルリ」
マルリは私の専属侍女だ。昨日、チャロを見つけたときには大きな声を上げて私を守ろうとしていたけれど、今はもうすっかりいつもの落ち着きを取り戻しているらしい。衣服を選ぶときも、私には見えない色や形を一つずつ言葉にして伝えてくれる。今日も手際よく身支度を整えながら、鏡の前で髪を梳かしているようだった。
「今日は昨日より暖かくなるそうでございます。こちらの淡い紫のドレスはいかがでしょう。姫様のプラチナの長い髪にもよくお似合いになりますよ」
「それなら、それにします」
「かしこまりました」
髪を整えてもらいながら、私は昨夜の父との会話を思い返していた。自分が何者なのかを知ったことで、怖くなったわけではない。むしろ、今まで知らなかったものが急に増えた気がして、もっと知りたくなっていた。
「マルリ、お願いがあります」
「はい、姫様」
「本を持ってきてもらえますか? この国の歴史について書かれたものと、魔法についてのもの。それから、医療について書かれた本があればお願いします」
櫛を動かしていた手が、一瞬だけ止まった。
「……本、でございますか?」
「はい」
「ですが……姫様は文字を」
「読めませんね」
先回りして答えると、マルリは困ったように黙った。
「チャロに読んでもらいます」
私の傍にいたチャロが、私にだけ聞こえる声で応じる。
「承知しましたぞ」
「では、そのようにいたします」
マルリはそれ以上尋ねず、支度を終えると書庫へ向かった。
その日から、私のもとへ本が届くようになった。チャロに読んでもらいながら、この国の成り立ちを知り、魔法の仕組みを知り、医療について書かれた頁へ耳を澄ませる。知らない言葉が出てくれば意味を尋ね、気になるところがあれば前の頁へ戻ってもらう。
最初は一冊だった本が、いつの間にか二冊、三冊と増えていった。
そして、熱感知の練習も続けた。
初めはただ温度を感じるだけだったものが、数日経つ頃には、熱のある場所をはっきり追えるようになっていた。人がどこにいるのか、近いのか遠いのか。チャロが少し離れた場所へ移動しても、その身体から伝わる熱を辿れば居場所が分かる。
「姫君、飲み込みが随分と早いですな」
「そうですか?」
「ええ。昨日までとは、まるで違いますぞ」
私は少し嬉しくなって、もう一度意識を集中させた。
見えない世界にも、ちゃんと手掛かりはある。
ならば、それを一つずつ拾っていけばいい。
そうして過ごした一週間は、私にとって短いものだった。
朝になれば本を読み、分からないことがあればチャロに尋ね、午後には熱を感じ取る練習をする。最初はただ「暖かい」「冷たい」としか分からなかったものが、日を追うごとに輪郭を持ちはじめていた。人がいれば、その身体から滲む熱が淡い光のように感じられ、近づけば近づくほど、その形が少しずつ鮮明になる。まだ目で見るようにはいかないけれど、私にとっては初めて、自分から周囲を知るための手掛かりだった。
その日も、私は庭に面した回廊でチャロに本を読んでもらっていた。医療について書かれた本は、思っていたよりずっと興味深かった。前世で知っていた知識と似ているものもあれば、魔法を前提にした、この世界ならではの考え方もある。キュアという回復魔法も、擦り傷や軽い切り傷程度なら治せるらしい。ただ、それだけでは治せない怪我も多いようで、私はその違いを一つずつ頭の中に残していた。
「姫君、少し休まれてはいかがですかな?」
「大丈夫です。もう少しだけ聞きたいです」
「先ほどから同じ頁を三度読み返しておりますぞ」
「……本当ですか?」
「本当ですな」
思わず頬が熱くなる。どうやら自分で思っているより、私は夢中になっていたらしい。チャロの声に苦笑が混じった気がして、私は本の続きを頼もうとした。
そのときだった。
「誰か! 人を呼んでくれ!」
庭のほうから、切迫した声が響いた。
私はすぐに顔を上げた。続いて複数の足音が重なり、何かを引きずるような音まで聞こえてくる。人の声には明らかな動揺が混じっていた。
「怪我人ですな」
「行きましょう」
私は椅子から立ち上がった。マルリが止めるより早く、声のした方向へ足を向ける。熱感知へ意識を切り替えると、庭の奥にいくつもの人の熱が集まっているのが分かった。その中心に、一つだけ激しく揺らぐ熱がある。
私は足を速めた。まだ何が起きたのかは分からない。
けれど、あの熱の乱れがただ事ではないことだけは、はっきりと感じ取れた。




