忠誠の儀
どうもはじめまして春と桜です。あたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
「父上がご存じなら、明日、直接お聞きします。私が生まれてから何があったのかも、なぜ私の目がこうなっているのかも……父上なら、きっと知っているのでしょう?」
蛇は少しの間、黙っていた。やがて、静かな声で「はい」と答える。その返事には、どこか安心したような響きがあった。私も今すぐ父を問い詰めるつもりはなかった。七日間も熱に苦しんだばかりで身体はまだ重いし、今夜聞いた話だけでも十分すぎるほど多い。明日、落ち着いてから父自身の口で話してもらおうと決めた。
「それでしたら、明日の前に一つだけお願いがございます、姫君。どうか私と忠誠の儀を結んでいただけませんでしょうか。私が姫君を主と認め、これから先、御身をお守りするための契約にございます。契約が結ばれれば、私は姫君の使い魔となります。どこへ行かれるときもお傍におりますし、姫君がお持ちの力についても、私が知る限りのことをお教えいたします」
私は黙って考えた。自分がメデューサの血を受け継いでいるのなら、石化の力について知らないままでいるわけにはいかない。自分の意思とは関係なく力が発現してしまえば、誰かを傷つける可能性がある。それを防ぐためにも、力を知り、扱えるようになる必要があった。目の前の蛇は、そのための知識を持っている。私はゆっくりと頷いた。
「分かりました。あなたと契約します」
「……ありがとうございます、姫君」
その声が柔らかく響いた直後、私の腕に温かな感触が走った。痛みはない。ただ、手首から腕へ何かが静かに巡っていくような不思議な感覚があり、それはやがて肩の近くまで届くと、すっと消えていった。私は何が起きたのか分からず、自分の腕を指先でなぞる。
「……終わったのですか?」
「はい。忠誠の儀は無事に結ばれました」
「何か、変わったことはありますか?」
「姫君の腕に、契約の証が浮かんでおります。白い蛇が腕に巻き付いているような紋様です。まるで、私が姫君を守るように絡みついております」
私は指先で腕を撫でた。自分の目では確かめられないことが、少しだけ残念だった。それでも、その紋様がこの蛇との契約の証なのだと思うと、不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ、これから先も自分の傍にいてくれる存在ができたことに、ほんの少し安心している自分がいた。
「……綺麗なのですね」
「はい。とても綺麗です」
そう答えたあと、蛇は少しだけためらうように口を開いた。
「姫君。もう一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「ええ。何でしょう?」
「私にも、名前をいただけませんか?」
思わず小さく笑ってしまった。
「名前ですか?」
「はい。これからずっと姫君のお傍にいるのであれば、いつまでも『蛇』と呼ばれるのは、少し寂しいものですから」
その言葉には、今までとは違う素直な響きがあった。私は頷き、姿の見えない蛇へ尋ねる。
「そうですね。では、あなたのことを教えてください。私には姿が見えませんから」
「はい。身体は白銀色をしております。鱗は細かく、光が当たると淡く輝くような色合いです。そして、瞳は紫色でございます」
「白銀色で、紫の瞳……」
私はその色を頭の中で思い浮かべた。前世の記憶を辿りながら、何か名前にできそうなものを探していく。しばらく考えているうちに、ふと一つの宝石の名前が浮かんだ。
「……チャロアイト」
「チャロアイト、ですか?」
「ええ。紫色の宝石です。あなたの瞳の色に似合うと思います」
私はその響きを何度か確かめたあと、少しだけ笑った。
「でも、そのままだと少し長いですね。そうだわ……チャロ。あなたの名前は、チャロにしましょう」
「チャロ……」
蛇は、その名前を大切に確かめるように呟いた。
「……はい。とても嬉しいです。ありがとうございます、姫君」
「気に入ってくれましたか?」
「はい。これからは、私をチャロとお呼びください。姫君からいただいた名前ですから、大切にいたします」
「ええ。よろしくお願いします、チャロ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします、姫君」
初めてその名前を口にしたとき、胸の奥が少しだけ温かくなった。つい先ほどまで、私はこの世界で何を信じればいいのかさえ分からなかった。それなのに今は、私を探し続けてくれた蛇がいて、その蛇と契約を結び、名前まで与えた。まだ分からないことばかりだけれど、少なくとも一人ではない。そのことが、思っていた以上に心強かった。
「もう遅いですから、今日は休みましょう。明日は父上にお話を聞かなければなりません」
「はい。どうかゆっくりお休みください、姫君。私はここにおります」
チャロはそう言うと、私の身体へゆっくりと巻き付いた。肩から身体の横へ寄り添うように身体を丸め、その温かな感触が伝わってくる。私はそのまま寝台へ身体を預けた。チャロは眠りにつくまで、メデューサの血や石化の力について知っていることを少しずつ話してくれた。七日間の高熱で疲れ切っていた私は、その声を聞いているうちに、いつの間にか眠りへ落ちていった。
「きゃああああああっ!誰か、誰か来てください! 姫様の寝台に蛇がいます!」
悲鳴に叩き起こされ、私は慌てて身体を起こした。すぐ近くで侍女が後ずさる音がし、続いて誰かを呼ぶ声が響く。その声が途切れると、短い詠唱が始まった。
「おのれ、蛇め!!姫様から離れなさい!!」
空気がわずかに震えたところで、私は慌てて声を上げる。
「待ってください! その子は大丈夫です!」
詠唱が止まった。私は身体の横へ手を伸ばし、ひんやりとした鱗へ触れる。指先で撫でると、大きな蛇がゆっくりと私の手へ頭を寄せてきた。
「この子は私の使い魔です。昨日、使い魔の契約を結びました」
「使い魔……でございますか?」
「はい。怖がらなくても大丈夫ですよ」
侍女は戸惑っていたが、私が落ち着いていることもあり、魔法を使うのをやめてくれた。私はそれ以上のことを話さなかった。メデューサのことも、石化のことも、私自身が何者なのかも、今は父以外に話すつもりはない。それまでは、私とチャロだけが知っていればいい。
朝の支度を終えると、チャロは私の隣へ寄り添うように歩き始めた。身体の一部が私の脚へ触れているため、私はその感触を頼りに進むことができる。廊下の曲がり角では先に身体を動かし、段差があれば立ち止まって知らせてくれる。そのたびに私はチャロの身体へ手を添えた。目が見えないのに慣れていない私にとって、それだけで十分に心強かった。
食堂へ入ると、すでに家族は揃っていた。けれど、私が入ってきた瞬間、空気が少しだけざわめく。どうやら侍女から報告が届いていたらしい。私はそのまま自分の席へ向かった。
「おはようございます、お父様。お母様、お兄様たち」
「おはよう、リリー」
父の声は穏やかだった。母もすぐに明るい声を返してくれる。
「おはよう、リリーちゃん。ちゃんと眠れた?」
「はい。よく眠れました」
「それならよかったわ。昨日までずっと熱があったんですもの。今日は無理しちゃ駄目よ」
「はい、お母様」
母の声を聞いているだけで、心配してくれていたことが伝わってくる。すると、長男のアルベルトが少し笑った。
「それにしても、随分と大きな使い魔を連れてきたね」
「驚きましたか?」
「もちろん。今朝、報告を聞いたときは何事かと思ったよ」
アルベルトはそう言ったあと、少しだけ声を柔らかくした。
「でも、リリーが自分で選んだのなら、僕は反対しない。これからはその子も、リリーを守る存在として扱おう」
「ありがとうございます、お兄様」
「ただし、王宮の中で騒ぎにならないようにする方法は考えようか。あれだけ大きいと、見た人は驚くだろうからね」
アルベルトらしい現実的な言葉に、私は小さく笑った。
「はい。お願いします」
「リリー、名前は何というの?」
次男のシュタルクが尋ねた。
「チャロです」
「チャロか。いい名前だね」
それだけ言うと、シュタルクはそれ以上尋ねなかった。必要以上に踏み込まず、私が自分から話すのを待ってくれているのだろう。そんな兄の気遣いが、今はありがたかった。
家族の声が重なっていく。その中心にいる私は、なんだか妙に落ち着いていた。小説の中では、この家族との時間がこんなにも温かかったことなど、ほとんど描かれていなかった。だからこそ、今ここにいるリリアーナがどれほど愛されている少女なのかを、私は少しずつ知っていく。
「お父様。少しお願いがあるのですが……」
「どうした、リリー?」
「朝食が終わったら、お父様と二人でお話しさせていただけませんか?」
父はすぐには答えなかった。けれど、私の声を聞いて何かを察したのか、静かに息を吐く気配がする。周囲にいた兄たちも会話を止めたが、誰も口を挟まなかった。私は父の返事を待ちながら、膝の上でそっと両手を重ねる。昨夜、チャロから聞いた話を思い返すほど、父に尋ねなければならないという思いは強くなっていた。
「……分かった。もちろん構わない。食事が終わったら、私の執務室へおいで」
「ありがとうございます、お父様」
「何か聞きたいことがあるのだろう?」
「はい」
「なら、二人でゆっくり話そう。急ぐ必要はない」
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