第23回 周泰、赤壁の戦い(前)
西暦二〇八年夏、孫権の下に急報が入る。
「曹操、荊州を目指して南下開始」というものであった。
袁紹の残党の掃討戦も終え、河北一帯は完全に曹操の手中に帰した。天下統一を狙う上で、この荊州への侵攻は一番自然な流れであった。
では、「荊州の次はどこなのか?」
この答えも自然にわかる。もちろん孫呉の押さえる「江東」である。
現在荊州を押さえているのは、荊州刺史の劉表であるが、情報によれば病に臥せっており、もう先も長くないと思われる状況であるという。実際、この急報が孫権の下に入った時には、劉表は既に亡くなっていた。
劉表はまともな遺言も残さずこの世を去ったため、結局、長男の「劉琦」ではなく、豪族の支持が厚かった「劉琮」が跡を継ぐことになった。
しかし、劉琮もそれを支持した豪族も全く戦意はなく、曹操に全面降伏を申し出たのである。これで、曹操は戦わずして、荊州のほぼ全域をその支配下におさめることに成功したのである。
これに驚いたのが、「樊城」を本拠地とし、現在は「新野城」で守備に当たっていた「劉備」である。劉備はすぐに逃亡を開始、荊州の重要拠点である「江陵」を目指したが、なんと、劉備の逃亡に新野城の住民のほとんどが付いてくるという事態となり、素早い行軍が不可能になってしまった。
案の定、「長坂」で曹操軍の急行部隊に追いつかれたが、一騎当千の勇将である「張飛」の活躍で、何とか難を逃れることができた。江陵に行くのはあきらめ、夏口方面に向かい、そこで劉備を慕っていた劉琦が兵一万を伴って合流したのである。
そこに、荊州の情勢を探る様に周瑜から命じられていた「魯粛」が劉備に会見を申し込んだのである。魯粛が言う。
「劉備様。私は孫権に仕える魯粛という者です。荊州に曹操軍が侵攻を開始したと聞き、情勢を伺いに参ったのですが、現状は如何でしょうか。」
「ご存知だと思うが、劉表殿の跡目を継いだ劉琮は、既に曹操に全面降伏をし、曹操は荊州のほとんどと軍隊をそのまま吸収しました。まさに、手の付けられない大勢力となった次第で、我々は恥ずかしながら何ら打つ手もなく、逃げ彷徨っている状況でございます。」
「なるほど、それはお困りでしょう。劉備様は、曹操との戦いを何度もご経験されている。そのお力を、我らが孫呉にお貸し頂けないでしょうか。」
「何度も戦って、何度も負けているだけですが・・・。その我らと、同盟をお望みと言うことでしょうか?」
「はい。曹操の刃が我が方に向かってくるのは、最早避けることのできない事態と言えましょう。そこで、劉備様のお力をお貸し頂きたく・・・。」
ここで、劉備の軍師「諸葛亮」が言う。
「劉備様。魯粛殿の申し出、我らにとっては非常にありがたいお話でございます。」
「軍師殿もそう申すか。魯粛殿、我々でお力になれることがあれば何なりとお申し付けください。我々の軍営、しばらくはこの夏口に置かせていただく、と言うことでよろしいでしょうか。」
「もちろんでございます。私は早速、劉備様との同盟締結について、主の孫権に申し伝えます。」
ここで諸葛亮が言う。
「魯粛殿。差し支えなければ、私もご一緒させて頂いてよろしいでしょうか。孫権様にご挨拶もさせて頂ければと思いまして。」
「おお、それは心強い。是非、ご一緒しましょう。」
こうして、魯粛は劉備軍の軍師、諸葛亮を伴い、孫権のもとに向かったのである。
この時の孫権はどうか。
今後の対策を一人で考えている状態であった。
孫権が周泰に言う。
「幼平よ、忌憚のない意見を聞かせてくれ。もし、曹操がこちらに攻め込んできたら、戦えると思うか?」
「戦うことは出来ると思います。」
「まことか!それは、勝てるということか?」
「いえ、そこまでは言い切れません。ただ・・・。」
「ただ、何だ?」
「曹操の率いる北の兵たちは、水軍での戦いはほとんどしていないと思います。勝機があれば、水軍の活躍次第、ということになるかと。」
「そうだな・・・。水軍こそ、我が軍の中核。幼平、いい話が出来てよかった。」
周泰は、孫権をなるべく不安にさせない様に、慎重に言葉を選んで話をした。こういった、戦略的なことの話は、大体、周瑜や魯粛のいるところですることが多いので、それを自分に聞いてくるというのが、孫権の悩みの大きさを示しているのであろう。
戦うか、降伏するか。
これから、孫権と諸葛亮の舌戦と言っても差し支えない激論が展開されることになるのである。




