第21回 周泰、山越の討伐戦に参戦する
甘寧と淩統の問題については、まず、甘寧は呂蒙の部隊に配置された。主に水軍で働くことになる。一方、淩統は孫権の側近くで仕えることになった。
孫権は、夏口の戦いの際に、結局山越の邪魔が入り、黄祖を捕らえ、江夏を手に入れるという宿願が果たせなかったため、国力の充実のための内政を重視しつつ、国内問題として、対山越戦を徹底的に行うことに決めた。
水軍は呂蒙の部隊が主に動き、陸上部隊は孫権自ら率いる形となった。周泰はもちろん、親衛隊長として孫権と共に出陣する。これを契機に、淩統は「別部司馬」に任命され、別動隊として兵五〇〇を与えられた。
軍議が開かれた。孫権が言う。
「今回の山越掃討戦は、今まで以上に徹底的に行う。水陸の連携が必要だ。水軍は頼むぞ、子明(呂蒙の字)。」
「はい。お任せください。川沿いに出てきた山越に関しては、こちらで徹底的に狩り取らせて頂きます。」
「うむ、よろしく頼む。今回の作戦だが、私が率いる陸上部隊で、まずは山越の多く潜む山に圧力をかける。その圧力に屈した山越民族が、山を下りれば必然的に川辺に逃げ込むことになる。これを水軍が一網打尽にする。単純であるが、これが一番効率のいい作戦だ。各隊、役割を果たすように。」
全員が拝礼し、退出した。すぐに軍の編成が行われた。
水陸共に一万、合計二万の軍である。
まずは、山越の目を陸上部隊に集中させるため、威勢よく孫権は出陣した。山越には、孫権自ら一万の兵を率いてきていることが報告され、それに合わせた防衛線の構築、奇襲部隊の編成を山越側は行った。
孫権軍が山麓より攻め込む。時折、山越の奇襲部隊の攻撃を受けたが、今回は孫権軍の兵力が圧倒的に多く、山越もいつもほどの軽快な動きではなく、じりじりとその防衛線を下げざるを得なくなり、とうとう逆方向からの下山を決めた。
しかし、そこは川辺である。待ち構えていた呂蒙の部隊が山越に襲い掛かる。いつもは山越が得意とする奇襲作戦を、今回は呂蒙の部隊が仕掛けた。中でも勇躍したのは、甘寧であった。甘寧はもともと水賊の出であり、こういった戦いはお手の物であった。
水軍の一番手柄が甘寧ならば、陸上部隊の一番手柄は淩統であった。淩統は、山越の奇襲攻撃をものともせず、父親の凌操同様、先頭を切って突撃したのである。その勢いに押されて、山越は下山して脱出せざるを得なかったのだ。
この様な山越掃討戦が、数年間に及び徹底的に何度も何度も遂行され、山越の反乱というのは徐々におさまり、一定の効果を挙げたのである。
孫権は、軍を率いるたびに指揮官として成長しているのが、周泰から見れば非常に嬉しかった。ただ、もう自分が身を挺して守るようなことはそう起きまい、と考えると、一抹の寂しさの様なものを感じ、周泰は苦笑した。
そして、孫権は満を持して再び、対黄祖戦に討って出るのである。




