第20回 周泰、甘寧の投稿を見届ける
孫権は、黄祖との戦いで見事な活躍を果たしながら、命を落とすことになった凌操の息子である「淩統」を若干一五歳でありながら、即座に登用することを決定した。
孫権が言う。
「公績(淩統の字)よ、そなたの父である元偉は、我が水軍でまことに一番の勇将であった。それ故、私が兄の位を継いだ最初の戦いに、お前の父を先鋒に起用したのだ。その活躍は、私の想像をはるかに超えるものであったが、惜しくも命を落とした・・・。まず、それをお前に詫びねばならぬ。」
孫権は立ち上がって頭を下げた。淩統が言う。
「孫権様、おやめください。父は、お役目の中で亡くなったのですから、本望と言えましょう。以前より、死するなら戦場で、と望んでおりましたので・・・。」
「そうか・・・。さすがは元偉と言うべきか。そこで、今後は元偉の意志を公績、お前に引き継いでもらいたい。その覚悟はあるか?」
淩統は拝礼して言う。
「もちろんでございます。父に負けない立派な働きが出来るよう、この公績、命を懸けて取り組みます。」
「公績、これからも頼むぞ。」
淩統は拝礼して、退出した。
周泰は、この淩統への対応に孫権の家臣への愛情の深さを感じた。と同時に、単に親の後を継がせるのではなく、その働きも求めていることに、表裏一体の厳しさも感じた。
「孫権様は、まことに名君となり、後世に名を残す方になるかもしれんな・・・。」
周泰は、心の中で呟いた。
そしてこの三ヶ月後、一人の漢が孫権軍に投降してきた。
なんと、淩統の父である凌操を射殺した張本人、甘寧である。投降へ至るまでの事情は、多少、複雑である。
まず、先の夏口の戦いで黄祖軍は敗北したとはいえ、敵の先鋒大将を討ち取った甘寧に、黄祖は恩賞をあたえるどころか、何の労いの言葉すらかけなかった。
実は、甘寧は海賊の出身であり、黄祖は甘寧を武が立つからおいているものの、身分卑しき者として軽視していた。
その甘寧に同情していたのが、黄祖軍きっての人物「蘇飛」であった。
蘇飛は再三、甘寧のことを黄祖に推薦したが、重く用いられることはなかった。そこで、蘇飛は甘寧に言った。
「人生は長いようで短いものだ。君の才能を発揮させられるのは、残念ながらここではない。後悔する前に、自ら動くべきだ。」
甘寧はこの言葉に感銘を受け、孫権軍に降ったのである。
この投降を受け入れるべきかどうか、孫権陣営では激論が交わされた。反対派は、淩統の気持ちを慮れば、投降を受け入れることは出来ない、という主張であった。一方、賛成派は、あの凌操を討ち取ったほどの武の持ち主を、感情論で受け入れないという判断はありえない、という主張であった。
孫権は淩統の気持ちを考えつつも、結論としては、甘寧の投降を受け入れることにしたのである。
この決定を受けて、淩統は当然、激怒した。一五歳ながらに、涙ながらの抗議を孫権に行った。
「孫権様!甘寧は我が父の仇であることは誰もが知るところです。何故、そのような男を我が軍に受け入れるのですか!」
「公績よ。私も悩んだ、甘寧を受け入れるかどうか。しかし、あの武の実力は本物だ。我が軍の役に立つのは間違いない。」
「私が、甘寧の分まで働いてご奉公致します!ですから、甘寧の事は今一度、ご再考を!」
「・・・。公績よ。お前の気持ちは痛いほどわかる。我が父も黄祖に殺されているからな。黄祖を捕らえたら、私自らその首を取るつもりでいるくらい、憎い。」
「それなら、孫権様も私も同じではないですか。私も甘寧の首を取りたく存じます!」
「しかし、だ。もし、黄祖が生かすに値するくらいの能力の持ち主と思えば、私は全てを許し、登用するつもりだ。」
「・・・。それは詭弁ではないのですか?あれだけの大軍を擁して、少数精鋭の我が軍に勝てない男が有能なはずがございません!」
「公績よ。いくら何でも、言葉が過ぎるぞ。甘寧は我が軍に必ず必要な人材になるので、登用する。ただ、お前と甘寧の働き場所については、こちらで配慮するつもりだ。決して、短気を起こすではないぞ。」
「畏まりました・・・。ご配慮、よろしくお願い申し上げます。」
こうして、孫権は甘寧を受け入れることを決定した。
甘寧も、自分が殺した凌操の息子が軍にいるということで、戦の事といえども謝罪をしたいと申し出たが、二人を会わせるのは時期尚早である、と孫権が却下した。
以後、淩統と甘寧の件に関しては、軍内でも特別な配慮が行われ、二人が顔を合わすことのないように対応をしたのである。
周泰はこの件に関して、どちらかといえば淩統に同情的な考えであった。もし、自分の父を殺した者と仲間になれ、といわれれば、それはかなり難しい、というよりは受け入れ難いであろうことが、容易に想像できたからである。
一方で、甘寧については、自分と同じで身分が低いことから黄祖に冷遇されていたと聞き、他人ごとではない様に感じた。どちらにも言い分があり、周泰にしては珍しく、判断に迷いが生じる出来事であった。
結局、孫権の判断が正しかったことは、数年後の出来事で証明をされるのである。




