第17回 周泰、孫策の死を見届ける
官渡の戦い勃発の急報を受けて、孫策は今一度、周瑜と軍議を行った。
「公瑾よ。曹操の背中は丸裸の状態だ。ここで、我が軍の速さをもって一気に攻め込めば、許昌におられる献帝をこちらに迎えることもできるのではないか。」
「・・・。孫策様、お待ちください。曹操の目が北に移り、戦力もほとんどがそちらに投下されましょう。しかし、ここから許昌に至るまでの間、全く発見されない、気付かれないというのは不可能ではないでしょうか。」
「俺の計算では、まずは船で進むだけ進む。天に祈るしかないが、追い風が吹いてくれれば、一〇日以内には許昌に到達できる。そして、献帝を奪還次第、すぐに退却を図る。」
「絵図としては描けましょう。しかし、現実問題として、やはり、危険すぎます。」
「公瑾、お前がそう思えば思うほど、曹操もまさか俺がそんな無茶をするまいと、考えるのではないか。そこに、既に隙があると思うのだが。」
「確かに、言ってしまえば非常識と言えるような策でありますので、その点は通用する可能性があります。しかし、曹操という漢は、我々のはるか上をいく想像力を持っていると思います。故に、この策に対する備えを施している可能性も考えられます。」
「曹操が侮れないのは、俺もよくわかっている。しかし、公瑾、曹操は神ではないのだぞ。全てを見通せるわけがない。」
「・・・。わかりました。しかし、少しだけ時間をください。実際にどうすれば最短で事が成功するのか、精査させて頂きたく。」
「わかった。三日やろう。頼むぞ、公瑾。」
こうして、周瑜は、孫策の策を成功させるために検討に入った。
その頃、孫策が許昌を急襲して献帝の奪還を考えているということを知った男がいた。
「許貢」である。
許貢は呉郡の名士であり、孫策が江東を平定する際には反攻勢力として対抗し、敗北を期して、今は冷遇をされている。
その許貢が、孫策が許昌を急襲して献帝を奪還する計画を立てているということを知り、献帝に密奏しようとしたのである。
孫策は、冷遇している名士や豪族に対しては、監視の目を緩めておらず、今回も監視に当たっている部下からの報告で、密奏の使者を捕らえ、上奏文を入手した。
これを見た孫策は激怒し、許貢を呼び出した。
許貢はまさか事がこんなに早く露見しているとは思わず、怪しまれないためにも、すぐさま、孫策を訪ねた。
孫策が言う。
「許貢よ。何故、呼ばれたかわかるか?」
「・・・。いえ。皆目見当がつきませぬ。」
「お前はよほど、私を憎んでいると見えるな・・・。」
孫策は、上奏文を許貢にたたきつけた。
許貢は拾って中身を見ると、まさしく、自分の書いた密奏であった。許貢はいう。
「なんですか、これは。私の署名が入っておりますが、この様な書状を書いた記憶はございません。」
「そうか、思い出せないか。それなら、体に聞くしかあるまい。」
孫策に呼ばれ、大男が入ってきた。
その男は、許貢の首を絞めて持ち上げ、白状させようとした。ところが、あまりにも力が強すぎて、許貢は呆気なく亡くなってしまったのだ。
孫策は許貢の館を急襲させ、一族郎党、食客などを皆殺しにせよ、との命令を出した。ほとんどは、この急襲で殺されたが、一部の食客は命からがら逃亡した。
孫策は、この苛立ちの気持ちを押さえ、周瑜の分析を待っている間に、狩猟を行うことにした。何故、この様な時に、と多くの者たちは思ったが、今の孫策に言えるものは誰もおらず、孫策はそのまま少数の護衛のみで狩猟に向かった。
孫策の弓矢の腕は尋常ではない。
次々に鳥獣を射殺し、上機嫌となっていた。
その時である。
あらぬ方向から、明らかに孫策を狙った弓矢が飛んできたのである。その一本の流れ矢が、孫策の首筋を襲った。
孫策は、落馬してその場に倒れた。
弓矢を射たのは五人であり、許貢の食客だとわかった。全員がその場で捕えられ、斬殺をされた。
孫策が倒れたことは、皖城の孫堅にも急報として知らされ、呉郡に戻る様にとの命令であった。孫策は、皖城の守備を蒋欽に任せ、周泰を伴い、呉郡に急行した。
孫権の到着を聞くと、孫策は目を開けて、最後の力を振り絞る様に話し出した。
「仲謀よ。お前は、私の様に外に討って出て、領土を拡大する様な才能はそれほど持ち合わせてはいない。しかし、領土の経営を安定させ、民に健やかな暮らしをさせることについて、俺はお前に及ばない。仲謀よ、俺が死んだら、お前がこの江東を治めることになる。軍事は周瑜に、内政のことは張昭に必ず確認せよ。二入とも、正しくお前を導いてくれるはずだ・・・。」
「お言葉、しかと、承りました。」
「うむ・・・。公瑾、子布(張昭の字)よ、どうか仲謀を導いてやってくれ。」
周瑜と張昭は拝礼をした。そして、周泰に向かっても孫策は言った。
「宣城の戦いの時の様に、命を懸けて仲謀に尽くしてくれ。これが俺からの最期の命令だ・・・。」
「ご命令、しかと承りました。この幼平、命を懸けて孫権様にお仕え致します。」
孫策はその言葉を聞くと、安心したかのように微笑を浮かべながら息を引き取った。享年二六歳。「江東の虎」と恐れられた漢のあまりにも早い死であった。




