廻間桂吾
クラスの教室に戻ると、見慣れた風景が僕を宥めてくれた。この教室の空気が一番落ち着く。僕に与えられた場所だからだろうか。
教室の後ろにはロッカーがあり、性格がよく出ていた。ズボラそうな人のロッカーは汚く、真面目そうな人は、整理整頓がなされていた。僕のロッカーはというと、空っぽだ。
「よっ!」
教室の後ろを歩いていると、峰岸が、僕に珍しく声を掛けてきた。また弄られるのかと少しだけ強張っていると、峰岸は僕の肩に手を置いた。何が始まるんだ? プロレス技でもかけられるのか?
「園嵜ってさ、まだどこにも部活入っていないよな?」
「う、うん」
「実は、頼みたい事があるんだ」
「頼みたいこと?」
「ちょっくら、バスケ部に顔を出してみねえか?」
「どういうこと?」
「体験入部だよ」
「どういうこと?」
「園嵜ぃ。俺にどうしても恥をかかせたいらしいな」
「いや、だからどういうこと?」
「くぅぅぅー。お前ってけっこう嫌な奴だな。しょうがねえ! ぶっちゃけてやるよ! ……お前のあの動きに惚れこんじまったんだ! バスケ部に入らねえか?」
「……僕なんかでいいの?」
「大歓迎だよ! お前強い! 悔しいが個人技でいったら俺よりも上手い。まあ、経験の差で俺の方がちょっとだけ強いけど」
「上手いも強いも同じじゃないか?」
「お前はわかってねえなぁ。上手いと強いは違うんだよ。因みに、上手いと強いじゃあ、強いの方が、格は上だからな」
「へえ」
「廻間ともいい勝負していたし、申し分ない。だから頼む! バスケ部に入ってくれよ」
「……ごめん。それは出来ないよ」
「なんでだよ!?」
「君たちはずっとつらい練習にも耐えて頑張ってきたんだろ? 聴いた事があるよ。夏場とか、吐くくらい練習して、大会に励んでいるって。今更、よそ者の僕が入って場の空気を乱すだけだよ」
「じゃあ、園嵜も同じ数だけ吐けばいい! 俺たちの間ではゲロ友って言うんだけどな、辛いで練習中にダウンしてゲロ吐きにいくんだよ。そしたら先輩が『お前ゲロ吐いたのか? なら仲間だ』って認めてくれてさ。あの時は嬉しかったな。そんで、夏の合宿じゃあ、どれだけ吐いたか競うんだ。口に手を突っ込んで無理やり吐く奴までいるくらいだ」
「大変なんだね」
「ああ、今年は全国に行くって掲げているからな。だから、バスケ部に入ってくれよ」
それは違うんじゃないか? 仲間と切磋琢磨して、勝つ事が一番なんじゃないか?
どうやら、峰岸は勝ちに溺れているらしい。廻間に頼み込んで、よく試合に出していたと聞いていたので、今度は僕に目を付けてきたのだろうか。やはり、断った方が峰岸にとっても僕にとっても一番いい選択だ。
「確かに、帰宅部なんだけどさ、僕には夢があるんだよ。今はそれに向かって精進しているんだ」
「ボディービルダ―にでもなるのか?」
「いいや、ヒーローだよ」
「……ヒーローってあのヒーローか? 園嵜、からかっているのか?」
「兎に角、僕はバスケ部に入るつもりはないよ」
「俺は! 俺は諦めないからな! お前を絶対、入部させてやる!」
――やってみろ。
そう心の中で挑発して、僕は自分の席に向かい、座った。
峰岸は悔しそうに、教室から出て行った。
「次の授業はなんだっけ?」
隣にいる安城にそう訊いた。
「国語だよ。あのさ、さっき峰岸君と何か話していたよね」
「う、うん。バスケ部に入らないかって誘われた」
僕は鞄から国語の教科書を取り出して、机の上に置いた。
「そうなんだ! やったね! もう今日から練習に参加するの?」
安城は、まるで自分の事のように喜んでくれた。
「いいや、断ったんだ」
「どうして? いい話だと思うんだけど?」
「なんだか、話が先行しすぎているんだよ。それで少し違和感というか」
「峰岸君、思ったらすぐ行動の人だから、園嵜君にはそう感じるのかもね」
「それに、表面でしか見てくれていないし、峰岸も表面しか見せてくれない。何か、もっと裏があるんじゃないかって思うんだ。それを話してくれないと、決めかねるよ」
「でもさ、誘ってくれたってことは、峰岸君は認めてくれたんだよ」
「そうなのかな」
僕には認められるということがよく分からない。いいや、忘れてしまった。信頼もなにも僕にはなかったのだ。
「なあ、安城」
「うん?」
「いや、なんでもない」
僕は口を濁した。
ヒーローになったんだとは自慢できない。
僕はまだデビューをしていないのだから。
小太りの国語の先生が遅れて来た。
「欠席はいるか? ……ん、廻間はおらんのか?」
「生徒会の仕事らしいです」
一人の生徒が言った。
「ほう。そうなのか」
パラパラと名簿を捲り「まあいいか」と何も書かないで閉じた。
国語の授業はつまらないので小説を読んでいた。だから成績が悪いんだよと馬鹿にされてもしょうがない。一つの小説の解説を長々とされても、捉え方なんて人それぞれだし、文章を丸暗記してこいと喧嘩を売っているようなテストを出す国語の先生はもっとつまらない。
「何読んでいるの?」
安城は僕が新しい小説を読んでいると必ずそう訊いてくる。
「走れメロス」
「それ、教科書に載ってるよ」
「なんだって!?」
ああ、太宰治を読んでいる園嵜君かっこいいと言われたかったのに……。
「因みに、青空文庫って言うのがあってね、色々な人の小説が読めるんだよねー」
「坊ちゃんとかも? こころとかも?」
「もちろんだよ」
小遣を無駄遣いした。なぜ、僕はこうも要領が悪いのだろう。
六時間目の授業も廻間は出席しなかった。
至極どうでもいいことなのに、僕は気にかかって仕方なかった。
**
嫌な予感は的中した。
放課後、僕はキリエ先輩が待っているであろう教室に向かった。その教室の扉のガラスには黒い紙が貼ってあり、中が見えない様になっていた。扉を開けると、血の臭いが僕の鼻を刺激した。教室は酷い有様だった。
壁中に血のりが飛び散り、椅子や席は嵐の過ぎ去ったあとのように掻き乱されていた。そして、床にはそこには切り刻まれ、首が折られぐったりしているキリエ先輩と、机の上に座っている廻間がいた。
「そうか、お前だったのか。遅かったじゃないか」
廻間は表情を変えることなく、冷淡に言った。
「廻間……これお前がやったのか?」
「どう見たってそうだろ。なあ、聴いてくれよ。中庭で秋に咲くことがない桜が咲いていたそうだ。テレビの取材も来るらしい。全く、どうして目立つような事をするのか。ヒーローって奴が理解できないね」
「だからこんな惨いことをしたのか?」
「いいじゃないか。どうせ不死身なんだし、いくら殺したってこいつは死なない。首の骨を折ったから当分動けないだろうが、意識が戻れば元通りだろう」
「そういう問題じゃない! 人をなんだと思っているんだよ!」
不死身だから傷つけていいだなんて、そんな卑劣なことを満更でもなく言えてしまうような奴だったのか?
恐怖と怒りが同時に込み上げてきた。殴りつけようかと思ったが、異様な圧迫感から僕は手が出せなかった。
「俺に口応えする気か?」
廻間は眉を僅かにあげて、目の奥は殺気で満ちていた。
僕が知っている廻間桂吾と、目の前にいる廻間桂吾は別人だった。穏和で優しく頼れる存在は、冷淡で残酷で関わりたくない存在となっていたのだ。
「動くな! お前が悪い奴だとは分かったぞ!」
僕は咄嗟に、身構えた。
この状況から判断するに、能力者であることは間違いなかった。
「はは、なんだそりゃ。形だけは様になっているじゃないか」
「脅しじゃないからな」
これはリベンジだ。
変身はしない。
僕自身の実力で廻間を倒す!
「うっ」
突然、廻間は頭を手で押さえて、ヒア汗をかいていた。目が泳いでいるから、辛いのだろう。
「頭痛がする。あの女の時に、頭をやられたか」
耐えるように歯を食いしばっている。怒りと苦しみで、席を立って僕に襲い掛かろうとするが、足をとられて、床に倒れようとしていた。床には尖った鉄の破片があり、廻間の目に直撃するだろう。
廻間が重力に従い倒れる最中、僕の視界は暗闇で遮られてしまった。目を瞑らなかった。確かに瞼を開いたまま、廻間を見ていた。だけれど、本当に黒しか見えない。
視覚神経でもやられたのかと思ったのだけれど、数瞬したら、光が僕の目に差し込んだ。ぼやけた視界で、廻間がどうなったのか確認したが、姿は見当たらない。
これは、バスケで起こった現象と全く同じだった。廻間が抜き去る瞬間、僕の視界が真っ暗になり、気が付いたら廻間は後ろを走っている。
だから、きっと今度も廻間は僕の後ろにいる――と推測して、僕が後ろを振り向くと、廻間に首を掴まれた。片腕だけで、僕の足が宙に浮いている。
「これで分かったろ? お前は俺に勝てない。いくら馬鹿なお前でも、そろそろ分かって欲しいんだ。それとも、もっと痛い目に遇いたいのか?」
「かはっ」
首を締められて息が出来ない。
「さあ、早く言うんだ」
廻間は手を開き、首の拘束が解けて、やっとまともに息ができるようになった。
「どうして……。能力があるなら君もヒーローなんじゃないのか? だったら、なんでこんなことするんだ!」
「ヒーロー? 能力があったらヒーローになれとでも言うのか? 生憎、俺はヒーローに興味はないよ。あんなの自己満足でやっているようなもんだろ。ただ、暴れて馬鹿なんじゃないかって思うよ」
悔しさが込み上げてきた、夢を馬鹿にされることがこんなにも悔しいことだったのか。
「屈しない。僕は変わったんだ!」
僕は廻間の腕を強く掴んだ。
「そうだな。お前は変わった。羨ましいくらいに、いい目をしているよ。だから、殺す」
目もとじていない。
明かりも消していない。
しかし、僕の世界は暗くなった。
「また暗くなった!? だけれど、離さないぞ! 廻間。お前の腕は絶対離さない!」
僕は力を込めて廻間の腕を握りしめた。
「しっかり握ってろ。無駄な努力だけどな」
次の瞬間、廻間の腕を掴んでいる感触なくなった。空虚になり、僕は空気を掴んでいた。
「消えた? どこ行った?」
視界が真っ暗なので、探しようにも探せない。
「ここだよ」
視界が戻り、辺りを見渡すと、廻間は真横にいた。
「他人が何を考えているか分からない様に、他人の能力もよく分からないものだよな。お前も能力があるんだろう? お前の能力はなんだ?」
「それは……お前に関係ないだろ!」
「……まあ、いい。今日はもうやめだ。頭が酷く痛いんだ。早く、別の世界にいる俺と入れ替わらなければならない」
「僕は今ここで決着をつけたい」
「……やめておけよ。お前の力量は何となくわかった。お前じゃあ俺には勝てない。いつでも好きな時に殺せる。それに、お前らに構っている暇はないんだ」
廻間はスライドドアに手をかけて、言った。
「やってみなきゃわからないだろ!」
「じゃあ、早くかかってこいよ。こないのか?」
「う、うああああああああああああああああ!!」
見っとも無い叫びをあげながら、僕は廻間に殴り掛かった。僕の拳が届く前に、廻間の拳が僕の顔面をとらえていた。後方に吹き飛ばされ、乱れ散らかった机にぶつかった。脳が揺れ、視界がチカチカと点滅している。幻影でもみているかのようだった。
「園嵜。お前だけには俺の本性を知っていてほしい」
「待てよ」
「じゃあ、俺にはやることがあるから」
廻間は教室から出て行った。
「行くなよ! まだ終わっていないぞ!」
廻間を追いかけようとしたが、足が覚束ない。
「動け! 動けよ! このままじゃあ、負けっぱなしじゃないか!」
脳と身体のリンクが切られてしまった。いくら、強く思ったところで僕の身体は動かなかった。 僕は、また何もできなかった。能力を発動していてもそれは変わらなかっただろう。
「そ、そのさきくん……」
折れた首を自力で元に戻し、血まみれのキリエ先輩は僕に言った。
「キリエ先輩、意識が戻ったんですか」
死に値する重傷を負いながら、生きていた。不死身と言われるのも頷ける。
「ええ。数分で全ての傷は治りますけど、散々な部屋はもっと時間がかかりそうです。それにしても、一体誰にやられたのでしょう」
「覚えていないんですか!?」
「視界が奪われていたのです。それで、一方的にやられてしまいました」
僕がのんびりと小説を読んでいる時に、戦闘が繰り広げられていたとは。
「私の闘いはいつも泥試合ですから、今の教室のように地獄絵図になるのですけど、醜いですよね」
「いえ、そんなことは……」
キリエ先輩は、床に手を当てた。
「――転生美」
美しい状態にするのが、キリエ先輩の能力だと聞いていたが、まさかこれほどの力を有しているとは思っていなかった。想像を絶する力で、この教室が修復されていく。
壁や床に飛び散ってできてしまった血の跡はなくなり、壊れた机や椅子は、新品のようになっていた。不可逆の時が遡っているかのようだった。
だけれど、机は入り乱れたままだ。これを並び揃えなければならないとなると気が遠くなる。
「教室はこれで大丈夫ですね。かなり光を消費したからまた悪魔を狩らなきゃならないですけど」
「僕が召喚させましょうか? どうも、悪魔を召喚させる才能はあるようですから」
「私の怪我が治ったら、そうしてくれますか」
僕は肯いた。
「それにしても、一体誰が私を襲ったのでしょう?」
「――廻間桂吾って知っていますか?」
「現生徒会長ですよね。ああ、なるほど。彼でしたか」
「あいつって能力者だったんですね。あいつって何者なんですか? それにあの能力は……」
「私にもわかりません。彼が能力を発動する瞬間、必ず私の視界が奪われていましたから、暴こうにも暴けないです。だけれど、瞬間移動のような能力だと推測しています」
「瞬間移動か」
確かに、瞬間移動の能力者はいる。
しかし、腕を掴まれている状態で瞬間移動するのは、能力者本人にとって危険な行為だ。賭けのようなものに近い。束縛されているストレスで冷静にいられなくなるだろうし、膨大な演算処理により、瞬間移動する位置を決めているので、僅かでも誤ったら地面に埋もれてしまうことだってある。
廻間の能力は瞬間移動よりも厄介な能力なんじゃないかと僕は思った。




