永遠の聖処女、月夜
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昼休み。
学生がひしめく購買でパンを買い、僕は紅葉で鮮やかになっている外の廊下を渡っていた。二年生の教室からでは、購買戦争に勝てるわけがないので、いつも余り物か、売り切れているか。売り切れの時は、食堂で高めのランチなのだけれど、今日はパンが残っていた。
「おい!」
妃影は僕の内ポケットにいて、話し掛けてきた。
「なんで、なにもしなかったんだよ! 復讐はどうした!」
「もう、どうでもいいよ」
「ああ?」
「今は、無為な時間を過ごしたいんだ」
「くそ。キチ―がこうなったのは、あの女の所為なのか? でも分からねえ。会話に違和感はなかった。くそくそくそ。分からねえ!」
妃影にはいくら考えても、理解できないので考えるのを諦めたようだ。
パンを抱えて帰路の外の廊下を渡っていると、「デッカ」がいた。S校では、デッカというブルドッグが飼われている。このブルドッグは頭が異様に大きいので「デッカ」という名がつけられている。
デッカは、不細工に長い下を垂らしながら、僕に寄ってきた。僕は動物に好かれることは少ないので、不思議に思っていると、手に持っていたパンを奪われた。デッカはビニールで包装されているパンを口に咥え、中庭へと走っていく。
「まて! この野郎!」
僕はデッカを追った。今の僕に追いつけぬものなどいない。そう慢心していると、廻間の一言が頭にちらついた。
――こんなものか。
その言葉が、重りとなり身体がガクンと沈んでいく。空に飛ぶような勢いは減速し、デッカとの距離は開いていく。
だめだ。トラウマになってしまっている。
暗黒面から救ってくれたのは安城だった。
だけれど、こればっかりは救いようがない。
デッカは中庭に植えられている桜の木の下で止まった。秋の季節なので、桜の木は寒そうに花も葉も咲かせないで、慎ましく生えていた。地面には桜の花びらではなく、イチョウや紅葉の落ち葉で埋め尽くされていた。
しかし、一輪の華は秋にも咲いていた。
「キリエ先輩?」
中坂キリエは、桜の木を囲むように積まれてある煉瓦の段に腰掛けていた。
その佇まいは、幻想的で中坂キリエのように美しいと頭の中で比喩したが、中坂キリエ本人なのだから当然であった。完成された容姿で、人形のようだった。化粧で仮面を塗り作らなくても、彼女の肌は透明感のある白で、仄かに赤みが掛かっている。瞳は水晶のようだった。彼女の眼で見られてしまうと吸い込まれそうになってしまう。
キリエ先輩は、折れた桜の枝木を手にしていた。その枝木は、桜の花が満開に咲いていた。僕は模造品だろうと思った。この季節に桜は咲かない。
「ご苦労さまです。デッカ。あの子を連れてきてくれて」
キリエ先輩は、デッカの頭を撫でて言った。デッカは身体を捻じりながら嬉しさを表現している。
僕とキリエ先輩には面識はほとんどない。黒の道化師のことを少し教えたくらいだ。キリエ先輩は一年前、生徒会長をやっていて、その美しい容姿と相まって学校でその名を知らぬものはいないし、僕たちの入学式では壇に立ち、新入生に向けて弁を振っていた。
「ねえ、園嵜了君」
と僕の名をキリエ先輩は言った。
「最近思い通りになっているでしょ? まるで、世界の中心が自分なって、理想が現実になっている」
「そうですね。些細な幸運が重なっているって感じですかね。……って、あれ? なんでそれを?」
あまりにも的確な指摘と意表を突かれ、さらに自然な会話の流れによって、秘密にしておこうとしていたのに言ってしまった。
僕の反応を見て、キリエ先輩は僅かに微笑んだ。
「どうして分かったのかって言いたいんですか? それはね、デッカが教えてくれたからです」
デッカの頭を撫でながら、キリエ先輩は煉瓦の段から腰を上げた。デッカらから手が離れ、物静かに立った。
「これは私の創ったペットなんですよ。学校に異変があれば、随一報告に来るように躾けられている、いや、設定されているんですね。そして、今日、あなたは別人のように変わっていた。昨日今日の努力ではあり得ない向上と勝利をおさめている」
「……そ、それは」
「実はね、私もなんですよ。そして、ヒーローをやっているんです」
「ヒーロー!?」
キリエ先輩は、煉瓦の段に昇り、桜の木に手を当てた。
「いいですか? 今から私の力をあなたに見せてあげましょう。だからこれから、ヒーローだという事も、話すことも信用してほしいんです」
僕は肯いた。
キリエ先輩は髪を掻き揚げると、春の芳醇な香りが微かに漂った。
「Reborn beautiful」
――死よ、美しく生まれ変われ。
廃れきった桜が、つぼみを実らせたのだ。緑のつぼみは、吐息のような風に揺すられた瞬間、弾けるように白みのかかったピンク色の桜の花を露わにした。イチョウや紅葉が学校を鮮やかに彩る中、一本の桜が不自然に、そして儚く、花を咲かせた。本来、ピンク色の桜の花びらは秋の落ち葉にあってはならないが、秋という季節を一層美しく着飾らせていた。
これはとあるヒーローの能力だった。
――永遠の聖処女、月夜。
「これで分かってくれましたかね?」
「……はい」
僕はこの光景を前にして、事態がまるで呑み込めない。
スカートを捲るのとは次元が違う。
一枚の花ビラが僕の肩に落ちた。作り物ではない、瑞々しい花びらだった。
「それで、話ってなんなんですか?」
僕は恐る恐る訊いた。
そしてキリエ先輩の口から発せられた言葉は、僕を夢の世界に導いてくれるいわばきっかけだった。
「園嵜君。いいえ、ブラック・ジョーカー。貴方の力が必要なんです」
「僕がブラック・ジョーカーだって? 何を証拠に」
「だって、見ていたんだもの。貴方が、変身を解いたのを」
し、しまった。
誰もいないと思っていたのに、なんてことだ。
「貴方がブラック・ジョーカーだということを、ばらすつもりはないですので安心してください。人の弱みに付け込むのは美しくありませんから」
「よ、よかった」
胸を撫で下ろした。
「それにしてもすごいですね。キリエ先輩のように、こうやって手を当たるだけで、咲かない花を咲かすなんて僕には無理ですよ。僕にはスカート捲りくらいしか取り柄がありませんから」
と言って、僕は満開の桜の木に手を置いた。
僕には花も木も、枯らす事くらいしかできない。
刹那、命を刈られたように桜の花びらは活き活きとしたままもげ落ちていく。
桜の花びらだけの世界に、僕とキリエ先輩は一瞬だけ閉じ込められた。ピンク一色にきらめく世界は、朗らかな気持ちにさせてくれたが、そのあとの虚無感は計り知れない。ただ、裸になった一本の桜の木があるだけだった。
「スカート捲りだけで、これが成せるんですかね?」
頭や肩に花びらが積もったのを払い、キリエ先輩は満更でもなく言った。少しだけだが、僕に対する期待が声に表れている。
「花ってスカートに似ているじゃないですか」
「花を捲ってもパンツは拝めないですよ」
「パンツを見るのも楽しみの一つですけど、スカートを捲る行為そのものが癖になるんですよね。あんな無防備な恰好をしているんだから、捲ってくれって言っているようなもんじゃないですか」
「少なからず貴方に捲って欲しいと思ってはいないのですけど」
「あーじゃあ、捲られたいと思える人が運命の相手だったりするわけですね」
「そんな運命の人は、運命の人じゃないです。それだと、男からみた運命の人はどうなるのですか? 男はスカート穿いていませんよ」
「こいつのスカート捲りてぇーなーって女がいたら、その女が運命の人なんじゃないんですかね」
「貴方のスカート捲りに掛ける情熱は分かりましたから、もうその話はやめましょう」
桜の花びらがある中庭にいると目立ってしまうから、僕たちは移動した。誰も使っていない教室を開けて、椅子に座った。造りは全く同じはずなのに、別の教室にいるだけでも胸がそわそわするのは何故だろう。ましてや、誰も使っていなかった教室だったら、余計そうだった。
「何故、私が正体を晒してまで、貴方に協力を頼んだのかというとですね、それは、貴方がこの学校の生徒だからです」
「関係があるんですか?」
「記憶喪失が多発しているのは知っていますよね」
「ええ、まあ」
世間ではヒーロー狩りと言われている事件の事だ。
ここでこの話が出てくるとは予想していなかった。
「なら、話が早いです。被害者の多くは一般市民で、ヒーローも二人含まれていると公表されていますが、実際は十五人。――それが何を意味しているかわかりますね?」
「はい」
現在、日本で活躍しているのは一二〇人。しかし、十五名となると明らかにヒーローを狙った犯行なのだ。悪魔の仕業ではなく、まるで人為的だった。
「ですので、園嵜君。私と常に行動を共にしてほしいのです」
「え? ええええっ!」
「ヒーローの多くは単体で行動しています。仮面を被って素顔を秘密にしているため、繋がりが希薄なのです。それがヒーローの弱点でもあり、そこを突かれているようなのです。しかし、私たちは偶然にも同じ学校に通っているのです。行動を共にし易いし、狙われることもないでしょう」
「常にってどのくらいですか?」
僕としては、トイレは勿論のこと、お風呂も寝るベッドも常に共にしたい。
「事が済むまで、登下校は勿論、どちからかの家に泊まるような形になるのですが。因みに、私は一人暮らしです」
僕は生唾を呑みこんだ。絶世の美女と謳われる先輩の家で、お泊りが出来るだと!? しかも、二人屋根の下。
だめだ。妄想したい。
「僕の家って狭いんですよ。それこそ、先輩が入らないくらい」
「そんなに狭いんですか?」
キリエ先輩は哀れんだ目で僕も見た。きっと、四畳半の賃貸アパートにでも住んでいるのだと思っているのだろう。思う存分、哀れんでください。そして、慈悲を掛けてください。先輩の家にお泊りしたいのです。
「分かりました。じゃあ、私の家にしましょうか」
「ありがとうございます!! でも、その、いいんですかね。高校生が二人屋根の下っていうのは」
「一方的でしたね。先ほど述べましたけど、私は一人暮らしなので構いませんが、園嵜君には御両親がいますよね。やはり、承諾がないとだめですよね」
「いえ! 大丈夫だと思います。てか、大丈夫だって言っていました」
両親とは十六年の付き合いだ。考えている事なんか手に取るように分かるし、向こうもそうだろう。テレパシーのようなもんだ。
「そういうことなんで、キリエ先輩の家にお泊りさせていただきます!」
「お泊り? 何のことですか?」
キリエ先輩は怪訝な顔をしていた。
あっ。しまった。お泊りの時点で、それは僕が妄想でつくった会話だった。
「じゃあ、今日からご一緒に帰りましょうね」
僕にとって、それだけでご褒美みたいなものだ。
「これで、悪魔から狙われる危険性は低くなりました」
「やっぱり悪魔の仕業だったんですか」
「そうです。聞き込みで調べた結果、悪魔だという情報が手に入ったのです。どうやら、人の記憶を食らうと同時に、知識も得ているようなのです。人間並みの高い知能で、ヒーローを翻弄し、中々尻尾をつかませない。ですが、私たちは二人一組になりました。狙われる危険性が低いという事は、裏を返せば、その悪魔にとって私たちはウサギやシカではなく武器を手にした狩る側にいるのです。ですから、私たちならその悪魔を倒せると思いませんか?」
「先輩が記憶を食らう悪魔を倒したいのは分かりました。でも、少し腑に落ちないんです。僕に素顔を晒してまでして、その悪魔を倒そうとしているんですか?」
「教える必要がありそうですね。私の友人も被害に遭っているのです。一度だけ、お見舞いに行ったことがあるのです。私のことを名前ではなく、愛くるしい表情で、《お姉ちゃん》と呼んだのです。私の知っている友人ではありませんでした」
精神が小学生にまで戻ってしまったと聞いていたが、そんなに酷いとは思わなかったので、僕は気を落した。
「協力します」
「貴方なら、そう言ってくれると信じていましたよ。ありがとう」
「その悪魔の情報を教えてください。語り継がれてきた悪魔なら、習性なんかを調べれば、突き止められるはずです」
「恐らく、オリジナルの悪魔ですので伝承は皆無だと思って下さい。だから習性も分からない」
「オリジナル?」
「妖怪や童話に出てくる悪魔は、もう既に構想が終わっている悪魔だから召喚するのも容易なのです。その代り、各々に語り継がれてきた通りの意思があり、悪魔は人を襲ったりするのです。だけれど、一から創り上げた悪魔はオリジナルと言って、召喚すれば、構想者の思い描いた悪魔が出現するのです」
オリジナルの悪魔を簡単に例えるなら、僕の妄想の中で生きていた一闇妃影のことなんだろう。
「それに、目ぼしい情報もほとんどない。カメラで調べると、人の也をしていることくらいしかわからないわ」
「人間の姿をしているんですか?」
「ええ、しかも姿を変えるらしいから、手を焼いているのです」
どうやって見つけろというんだ。それに、記憶を食らう悪魔に辿り着いたとしても、記憶を喰われてしまったら元もこうもない。
しかし、それでも僕はこの悪魔を倒そうと思い定めた。
ただなんとなく。
十分すぎる理由だ。
「あら? ボタンが外れかけていますよ」
キリエ先輩は僕のブレザーのとれかかったボタンに触れた。
「直してあげますね」
裁縫でもしてくれるのだろうかと期待していたら、針も出さないで
「直りましたよ」
とキリエ先輩は言った。
「生命を操る能力なのに、どうしてボタンを直せたんですか!?」
「世間では生命を操るとか囁かれているようですけど、それは少し違うんですよ。別に私の能力はばれても、差し支えないから教えてあげましょう。私は美を操る。そのものの最も美しい状態にすること能力なのです。当然、私自身の身体を美しくすることだってできます」
キリエ先輩はスカートとブレザーを脱ぎだした。ワイシャツのボタンに手をかけて、一つ一つボタンを外した。ワイシャツも脱ぐと、醜さの欠片もない、透き通る白い肌が僕の目の先に――。
「何をやっているんですか!?」
ブラジャーとパンツを穿いているだけのキリエ先輩に僕は言った。
「血がついてしまうと、厄介なんですよ。渇くと、なかなか落ちてくれないし」
「そうじゃなくて、女性でしょ! そんな恰好していいんですか!?」
「減る物じゃないし」
先輩はブラジャーのフックにまで手を掛けたが、
「園嵜君に見せるまでもないか」
と呟いて手を戻した。
「……見せてくださいよ」
「それほどの男になったらね」
「パンツは脱がないんですか?」
「それほどの男になったらね」
キリエ先輩は、刃物で腕を切りつけた。痛々しい、背筋が凍るような光景を僕はみてしまった。あまりの奇行に、僕は判断が一瞬遅れて、自傷行為を止める事は出来なかった。十センチまで切りつけたところで、僕はキリエ先輩の手を止めた。動脈を切ったのか真っ赤な血が、どくどく流れ、止まらない。
「馬鹿なことしないで下さいよ! 痛いのは嫌なんですよ!」
「もう痛くないわよ」
キリエ先輩の切り傷は完治していた。腕と床は血だらけだが。
「すごい……」
「リボーン・ビューティフル。これが私の能力。この能力はまさに私の望んだもの。肉体の変化も表れこの容姿を手に入れた。だけれど、美と追及した私は筋力が全く向上しなかったのです。非力な私にとって、戦闘向きではないのは確か。私がヒーローをやってこれているのも、周りに強いヒーローがいるから。でも、学校ではヒーローを呼ぶことは出来ない。ということで、園嵜君には私の戦闘員になって欲しいのです」
「へ? 僕がですか?」
「園嵜君なら、ランク7のヒーローにだってなれますよ。もしかしたら、公認ヒーローだって夢じゃない」
「本当ですか?」
「ええ。私のもとについて、力の使い方さえマスターすれば、きっと強くなれます」
「やります!」
「契約成立ですね。放課後、またここで落ち合いましょう」
「はい」
と僕は声を張って返事をした。
予鈴が鳴ったので、キリエ先輩にお辞儀をしてから、使われていない教室を出た。もうすぐで授業が始まるので、廊下には誰もいない。
「あの女、いけ好かねえぜ」
妃影は不機嫌に、鬱憤を口から漏らした。
「そうかな?」
「はっきり言ってやるよ。お前はあの女に、利用されるんだぞ?」
「うーん。キリエ先輩の立場からみればそうかもしれないけど、僕からしたら、これも立派なヒーローになるための活動だよ。ヒーローっていうのは、利益を求めないんだ。あくまでも困った人を助けるための存在かな。まあ、趣味程度がベストだろうね。やりたいからやっているんだよ。それ以上になると、使命やら、責任が付いて回るし」
「あたいは、そんな、くそったれみてえなことやらねえからな。馬鹿なんじゃねーか? ああ、キチ―は馬鹿だったか」
「馬鹿も天才も紙一重って言うし」
「おめえは単なる馬鹿だよ。馬鹿で馬鹿。馬鹿以下でもなく馬鹿以上でもない。馬鹿の代名詞だな」
「生みの親に向かって、馬鹿とはなんだ!」
「あのよお。英語で馬鹿ってなんていうんだっけか?」
「えーと、分からない」
「やっぱり馬鹿なんじゃあねーか」
「で、なんなの?」
「し、知らねえよ! だから訊いたんだ! イギーとかじゃなかったか?」
「イギー? どっかの漫画で呼んだことある。ああ、人間賛歌の漫画だ。イギーって犬だよね。たしかスタンドはザ・フール。砂のスタンドだよねえ」
「馬鹿みてーな名前のスタンドだな。まあ、馬鹿同士仲良くやろうや。同じ知能を持っている奴とは気が合うからな」
……もっと勉強しよう。とりあえず、馬鹿を英語でいえるようにしないと。名前を漢字で書けないくらい恥ずかしいことだ。




