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――一闇妃影編――


**

 帰り際、誰にも見られない様に変身をといた。駅に戻るとまだ雪が積もっていた。足を滑らしている人がいて、申し訳ないと心の中で謝罪した。これは僕が原因でこうなってしまったのだ。

 家に帰ると、丁度、妹の萌がトイレから出てきて鉢合せしてしまった。

「ただいま」

「ちっ。うるさい。しね」

 萌は息をするかのように舌打ちをして、汚い言葉遣いで僕を迎い入れない。

 さっさと、僕がいなくなればいいと願っている。家族でも何を言っても許されるわけではない。家族の前に人としてこういうことを言うのはどうかと思う。教育をおろそかにしてきた僕たち家族も悪いのだけれど。

 僕のムスッとした表情で、萌は感じ取ったのか、

「なんなの? 言いたいことがあるなら言ってみろよ!」

 と挑発的な態度をとる。

「お兄ぃを馬鹿にすると、天罰が下るぞ」

「天罰? ……もしかして、あんた、遂にそっち系まで手を出しちゃったの? こわ。こわこわこわ。しかも自分でお兄ぃとか言っちゃってるし。いたい、いたいたいた」

「なんとでも言え」

 僕は靴を脱いで、家に上がろうとする。

「くんなし!」

 萌は穿いていたスリッパを手に取り、僕に投げつけた。

「馬鹿め。罪を増やしてもいい事はないというのに」

 侮辱、暴力、逃亡。さっきだけでも、三つの罪が加わり、過去と照らし合せたら途方もない罪状の数々が上げられる。まるで僕は鬱憤晴らしのサンドバックじゃないか。

 萌は、制服のままで、スカートを穿いていた。

 今こそ、スカート捲りで日頃の鬱憤を晴らすときじゃないか。

 思考と物理はかけ離れた次元にあり、けっして直結しない。だが、薄らとではあるが、今の僕の思考と現実世界は、重なりつつある。なにより、永遠の聖処女月夜から、理想が現実になると教えられているのだから、ますます現実味が増している。

 玄関の扉を開けて、風が発せしやすいようにした。

 吹き荒れろ!

 神風よ!

 ――ズワアアアアアアアアアアアアアアアア!

 風が意思を宿しているかのようだった。

 意図的な風の流れで、萌のスカートが盛大に捲れ上がった。

 小ぶりなお尻と、キャラモノの熊の刺繍が入ったパンツが、僕の目にしっかりと映り込んだ。

「きゃああああああああ。なんなのよ、これ!」

 萌はスカートを抑えるが、それくらいで神風を防げることは不可能。

「早く、扉を閉めなさいよ!」

「閉めてやろう。だが、我の神風がその程度で無効にできると思うなよ」

 一度でも神風を発せさせてしまえば、暫くはパンツ捲り放題だ。

 僕は扉を閉めた。

 神風は、廊下の床から天井へと循環していた。

 まだ生きている。

「どうにかしてよ!」

 困りきっている萌をみて僕は満足した。

 パチンと指を鳴らすと、神風は消えた。

 スカートは、衣類として機能を果たすようになった。

「パンツ見たわよね?」

「訊くまでもないだろ。まだ、クマちゃんのパンツを穿いているのか。小学生からずっと同じキャラじゃないか。もう中学生なんだから、もう少し色っぽいのにした方がいいんじゃないか?」

「うるさい!」

 萌は、手を前に出してきた。

「なんだこれ?」

「パンツ見たから、千円」

「お金出せばパンツ見せてくれるの!?」

 神風でいつでもパンツを見ることが出来るが、お金を出してパンツを見せてもらうのもいいかもしれない。そっちの方が、僕のフェチズムを刺激してくれる。

「馬鹿か! キモい!」

 脛を思いっきり蹴られた。

 黒の道化師に変身していないのでクーデターは発動せず、とても痛かった。僕は脚をあげて、脛をさすった。

 怒ってしまった萌は「ふん」と鼻を鳴らしてリビングに行ってしまった。

 僕は部屋に鞄を置いて、制服のまま、萌のいるリビングに入った。萌は食卓の椅子に座って、スマホを弄っていた。耳にはイヤホンを付けて、メロディーを口遊んでいる。

 こうしていれば、可愛い妹なのに、どうして僕だけには口が悪いのだろう。

 僕はソファーに腰掛けて、テレビを付けた。ニュース番組がやっている。陸上選手が、世界陸上選手権で男子陸上一〇〇メートル走、六秒前半のタイムを出し、大騒ぎしている。僕の五〇メートル走のタイムよりも早い。

 立派な記録だ。

 記録は保持者の功績を讃える為にある。保持者の長きにわたる人生の中で、光輝いていた瞬間を写真のように収めるものだ。

 しかし、人類にとって記録は、流れ星の朽ち果てていく輝きでしかない。記録は塗り替えられる為にあるようなものだ。それが、人類にとっての発展だ。

 しかし僕は疑問に思っていた。過去現在の人間たちが一瞬の輝きの為に生涯をかけて精進するのにも拘らず、どうして、記録は更新されてしまうのか。

 ここ数年の飛躍は異常だ。人間の構造では説明が付かない数字が出されていく。スポーツでは、顕著に表れている。

「人類の進化ではないか」と出演していた科学者は言った。

 ちがうな、と僕は首を振った。

 理想を現実に変える力が原因で、異常な人類の発展が起っているんだ。

 そして、人類の進化とは僕の事を指すのだ。

 理想の自分になるには、確固たる理想像を構想しなければならない。

 毎日のように理想の自分を妄想していたので、想像するのは簡単だった。ただ、それが現実になるのかは怪しいところだ。

 美しい肉体。精密な動作。活き活きとした顔。

 まさかな。途方もない時間を費やし、努力を積まなければ、こんな自分にはなれない。

 はあ、とため息を吐いた。安城にため息を吐くと幸せが逃げるよと教えられたので、口を押えて幸せが逃げないようにした。

 そうだ。僕は変わろうと決意したんだ。

 今更何を諦めるというんだ。

 肩に痛みが奔った。

 悪魔との闘いで怪我でもしたのかと思った。

 ――次の瞬間。

 腕、脚、腹、背中、頭。

 あらゆる箇所に激痛が奔った。

「ぐ、ぐわああああああああああああ!!」

 ソファーの上で身体を捻じり暴れた。全身を砕かれたような痛みが僕を襲った。視界が歪み、今にも意識が飛んでしまいそうな微睡みの中にいる。

 袖を噛んで舌をかまない様にした。

「ちょっと、大丈夫!?」

 萌は異変に気づいて、駆け寄ってきた。

 痛みに堪えることで全神経を使っていたので、返答することができない。

 萌は泣きそうになりながら、慌てていた。

「救急車! えーと、109だっけ、119だっけ、199だっけ」

「115じゃあなかったか」

「それ、電報!」

「117は?」

「それ、天気予報!」

「じゃあ」

「あんたふざけてんの!」

 萌が焦っている最中に大分痛みは和らいで、話せるようにはなった。

「うっ」

 しかし、その後にきたのは吐き気だった。

 胃の中の物が、逆流してきそうだ。

 口を押えて、洗面上に向かった。

 洗面台で、咳き込みながら吐き気に耐えた。口の中が苦みとも酸味ともとれない味で満たされた。ヒア汗がたらたらと流れ、再び体に激痛が奔る。胃からも胃液が湧きあがり、苦痛から逃れられないでいた。

 暫く、安静と激痛と吐き気を繰り返していると、何かの拍子に体が軽くなった。

「治ったのか?」

 胃液の混じった唾を洗面台に吐き出した。

 ふと鏡を見ると、こいつは誰だと一瞬だけ困惑し、鏡に映る自分に恐れて身を引いた。

「顔つきが全然違うじゃないか」

 自分だと認識して、顔を鏡に近づけた。目の下に合ったクマも無くなっている。ごわごわとしていた髪の毛も艶があって、サラサラさとしている。顎当たりの輪郭もくっきりしていた。

 身体もでかくなったような。気になり、体重計に乗ってみた。

「僕は今日何を食べたんだ?」

 体重が七キロも増えていた。それでも平均よりもわずかに高い数値であるが、体重が増えないのがコンプレックスだった僕にとって、喜ばしいことだった。

 今の自分を見たい衝動にかられ、全裸になった。

「ミケランジェロの彫刻のように美しい」

 筋肉など一切なかった僕の身体は、たった数分で筋肉が隆起し、男性のように逞しい。

 平たかった腹筋は六つに割れ、胸は胸筋で張りが出て、そこらの女性よりも福与かになっていた。細い腕は血管が浮き出て、力強さを感じる。

「これは夢なのか? 萌、ちょっと来てくれ!」

 僕は萌を呼んだ。

 すると、洗面所のドアが開いた。

「あんた、なにやっているの?」

 萌は、顔をしかめて裸になっている僕に言った。

「……萌。僕を殴ってくれ。僕は今どうかしているんだ……」

「言われなくても殴るわ! 変態め! なに見せてくるのよ! しねえええええええ!」

 強烈なビンタが、僕の頬を襲った。

「痛い。……これは夢じゃない。夢じゃない!」

「何喜んでんだよ!」

「痛いって素晴らしい!」

「マゾ野郎!」

 全裸の僕に馬乗りになって、萌は容赦なく殴りつけた。

 僕は別にマゾでもないので、殴られるのは好ましくない。振り下される萌の右腕を強引に掴んだ。

「はなせよ!」

 萌は右腕を引いたが、振りほどけないようだ。

 以前の僕なら貧弱な握力なのであっさりと手から逃がしてしまっていただろう。どうやら握力も向上していると実感できる。

「シスコン野郎が!」

 萌は左手で拳を作り振り下すが、僕に止められ、両腕を束縛される。観念したのか、力を抜いた。

「ねえ、お兄ぃ。この状況分かっているよね? 上にのっている萌と、裸のお兄ぃ」

 萌の可愛い口調で、僕はたじろいだ。

「うん」

「お兄って結構、いい身体しているんだね」

「ありがとう」

「いいことしてあげようか?」

「……うん?」

「手を離してくれないと出来ないからさ、ね?」

「うん!」

 純粋にして外道な笑みを浮かげて、手を開くと、萌の鉄拳が僕に下された。

「ごめんなさい」

 タオルを下半身に巻いて、いそいそと洗面所から出て行った。

 部屋に戻り、普段着に着替えながら殴られたところを労る。

「いてて。萌の野郎。本気で殴りやがって」

 しかし、元はといえば僕が悪いのだ。風呂に入ると聞いておきながら、風呂場と隣接している洗面所で裸になっていたのだから、殴られても当然だろう。

 あの肉体美はいつ形成されたのか、些か疑問もある。気付かぬうちに筋肉が発達し、見た目だけの質でもないらしい。理想の肉体にかなり酷似している。こんなにも早く、効果が表れるのか。

 肉体だけではない。

 萌のスカートを神風で捲った時に、「我」と確かに言っていた。

 これでは、ハーレム帝国の王ではないか。

 ……まさか。

 精神までもが、妄想上の自分になってしまっているのかもしれない。妄想のシリーズによってさまざまな僕が設定されている。

 性格も、能力も、才能も、体格も、性別も何もかも違ういくつもの自分。

 数は十三になる。

 多重人格ではなく、創り上げた自分なのだ。

 しかし、多重人格のように、創り上げた自分が出てくるのだとしたら、不味いことになる。

 《勇者ソノサキ》《ダブルガンマン》、正義の部類に入る自分なら抑制が効くだろうが、あれが出てきてしまうと最悪だ。

 長年の劣等感から、僕には《どうしようもない闇》が、心の底に根付いてしまっている。そこから派生したシリーズは、言葉にするのに抵抗がある。外道の限りを尽すとしかいいようがない。

 どうしようもない闇が表に出てきてしまったら、大切な物から壊しに行くだろう。何故なら、自分という存在がもっとも大事ではないのだから。

 自分が壊れてしまうまで、壊し続ける。

 その名は一闇妃影ひとやみひかげ

 ……大丈夫だ。僕の願いが叶うのなら、一闇妃影きっと現れない。


『ほう』


 と頭の中で可細い女性の声が響いた。

『あたいを拒むってーのか?』

 自分の事をあたいと呼んでいる。間違いない。あいつだ!

 一闇妃影が話しかけている。

 だが何故だ。僕が創造したもう一人の自分であるから、僕の意のままに動かなくてはならないのに、どうしてこいつは勝手に話しているんだ!

『てめーがその気なら、あたいにだって考えがある』

 左腕に激痛が奔り、異変が現われた。一つの黒い斑点が浮き出てきたと思ったら、生きているかのように次々と現れ、白い肌が黒に埋め尽くされていく。左手がドス黒く染まってしまった。

「うわあああああああああああああ!」

 腕は石化したように微塵も動かず、ただの黒い彫刻と化してしまった。

『その左手を乗っ取らせてもらった。てめーにはどうすることも出来ねえ。さあてどうするか』

 左手は動きだし、拳銃の形をして、僕のこめかみに指先を押しつけた。

「何をする気だ! 理想を現実にする力がないお前には何もできないはずだ」

『どうかな? あたいはお前の一部だぜ? 試し打ちでもしてみるか』

 ドス黒い左手は明後日の方向に向けられた。そこには食卓に置いてある花瓶があった。

「どうする気だよ?」

『こうするのさ』

 ば~ん。

 あいつがそう言うと、指先から黒い弾が放たれた。

 花瓶は火薬の仕掛けのように破裂し、米粒大まで粉々になる。

『ひゃほ~う。命中しちゃったぜ。さて、これで、お前を殺せることが分かっちゃった』

 僕は途端に、冷や汗が噴出して、生唾を飲んだ。

「僕を殺したらお前も死ぬぞ!」

『心配するなって。殺すのは、お前の心さ。それであたいはやっと――自由になれる』

「ふ、ふざけるな」

『ああ? てめえ、なんて言った?』

「ふざけるなって言ってんだ!」

 出てけ! 僕の中から出てけ! 今の僕にお前はいらない!

『なっ――』

 闇しかない空間に、一筋の光が抉じ開けられるように差し込む。光は広がり、闇を押し潰していく。僕はそんな想像をした。

『なんだってんだ? これは?』

 黒い左腕は、苦しむように震えだした。拳銃の形だった手は開き、形を失っている。

『丁度いい。この力――利用させてもらおうじゃないか。お前から出て行けばいいんだな?』

 左腕を支配していた闇は、腕の根元から引いて、指先から目視できるほどの黒い煙幕のようなエネルギーが噴出した。

 僕の腕は元に戻り意思道理に動き、もう妃影の声も聞こえなくなった。心が、晴れ晴れとしていた。あいつは僕の中からいなくなったと確信した。だけれど、この黒い靄はなんだ?

 言葉を発するわけでもなく、ただそこに漂っている黒い靄は、みるみる小さくなっていく。このまま消えてなくなってしまえばいいと願ったが、小さくなっているのは部屋中に黒い粒子が拡散しているからだった。

「なんだこれは? なにをしているんだ!?」

 ――探しているんだよ。

 そんな囁きが聞こえたような気がした。

 ――美味そうなのがいるじゃないか。

 また、囁きが頭をかすめた。

 ――美しい女だ。

 美しい女? この家には妹の萌がいる。しかし、そんなこと出来る筈が無い。

 なにより、僕が許さない!

 僕は、居ても立ってもいられず、萌を探した。鼻歌とシャワーの音が聞こえた。萌は入浴しているようだ。風呂場に向かい、戸をあげた。

「萌!」

 萌はシャワーを浴びていた。白い湯気が僕の視界を閉ざしていたが、時が経つにつれ、萌の身体が見えてきた。中学生の未熟な身体だが、小ぶりではない胸は、十分女性の魅力を醸し出している。括れのある綺麗なラインの胴体ときゅっと張り上がったお尻は、胸以上に蠱惑的だった。

「ん? 誰?」

 突然の事に、萌は胸を隠すのを忘れている。

「大丈夫か!」

「いや、大丈夫じゃないけど」

「なんだって!?」

「なに堂々とみてんだよ! 変態! 覗くなら気付かれないようにこっそり覗け!」

 よかった。いつもの萌だ。あいつではない。

「そうか。じゃあ」

「じゃあ、じゃねーよ! ちょっとまてよ!」

「ん? なんだ? 感想でも欲しいのか? 女性らしくなったじゃないか」

「あ、ありがとう……っておい!」

 やっと萌は胸を隠して、背を向けた。

 その狭間で、僕は萌の後ろにいる黒い靄をみた。

「……萌。……そこから逃げるんだ」

「はあ? 何言ってんの? 逃げるのはあんたの――」

 萌が文句を言い終える前に、石鹸で転びこけた。

 黒い靄が現われた。しかし、一瞬で黒い靄は消えてしまった。

 萌が襲われることはなかったのだ。

「危なかったな」

「危なかったな――じゃない! 石鹸で転んじゃったじゃない!」

 僕は戸を閉めて、ゆたゆたと部屋に向かった。萌が無事だったので一安心だ。あの黒い靄はあいつもろとも消えてしまったんだ。

 僕は自分の部屋に入り、ドアを閉めた。

 部屋に起こった大惨事を、眼前にして、ドアに力なく背凭れかかった。現実が受け入れがたいもので、一旦目を閉じて深呼吸してから、再び瞼を上げるが、むしろ悪化していた。

 黒い革のビキニを着た手のひらサイズの小悪魔がいた。

「いやっほーう。ファッキングだぜえ」

 小悪魔は卑猥な言葉を連発して、踊りながら暴れていた。あらゆる置物を薙ぎ倒し、クローゼットに収められていた服は、床一面に乱れ落ちている。

 ビキニで幼女のような平たい胸は隠せている。赤髪をサイドで二つに束ね、先端がスペードの形をした黒い尻尾を生やし、犬のように振っていた。

 今までの事が全て夢ではないかとさえ錯覚した。どこからが、現実でどこからが幻想なのか、境目が分からない。海辺に行って地平線を拝みに行きたい。

 僕はこの形姿を知っている。

 ――一闇妃影。

 悪魔以上に恐ろしい彼女が召喚されてしまった。

「一闇妃影が……」

 これも、不思議な力の恩恵なのか? 恩恵ではなく迷惑だ。

 最悪だ。あいつにとっては最高なのかもしれないが。

「おお、来たか。にしてもなんだ? その陰気な顔はよ。せっかく、あたいの可愛い姿を生でみれたってーのによお。ファックかますぞ。つっこまれてーのか?」

 妃影は可愛らしい声で、汚い言葉を連ねた。

「下品なんだよ」

「ファック!」

 細い声で怒鳴りながら、妃影は華奢な足で僕に回し蹴りをかました。しかし、間抜けた威力しかない。フィギュア代の大きさしかないのだから、これくらいの威力だと予想はついていたが、その悪魔の身なりから萎縮してしまった。

「口の訊き方には気をつけな!」

「や、やめてくれよ」

 僕は抵抗のつもりで反射的に妃影の尻尾をつかんだ。

「あああん、そこはだめえー」

 妃影は全身を桃色にして悶える。胸に触れてしまったかのような罪悪感を抱いた。

「ご、ごめん」

 僕はさっと手を離した。

「はあはあ。畜生。お前は畜生だ! 鬼畜のキチ―だ!」

「ホントごめん。妃影ちゃんのデリケートな部分だということをすっかり忘れていた」

「いいさ。どうせお前は殺す予定だからな。お前の身体乗っ取らせていただくぜ」

 妃影から夥しい量の黒い霧が放出し、人のような形を揺らぎながらも形成した。掌の大きさだった背丈は、人と比べても頭一つ抜けているまでに成長し、そして、徐々に霧状だった身体を、硬質化していく。蝙蝠のような黒き翼を羽ばたかせ、黒き甲冑を身にまとい、黒き剣を鞘から抜いた。黒き剣は、宇宙のように先が無い暗黒だった。

 全てを破壊する黒き女騎士。

 一つの闇は悪意を振り撒く。

「最後に言い残すことはないかよ」

 僕に光を反射しない黒き剣を突き立てた。

「遺言を言わせてくれるなんて、随分と優しいじゃないか」

「あたいを生んだ親でもあるからな。これくらいの寿命なら伸ばしてやるよ」

「へえ。でもな、僕には最後の言葉は――ない」

 僕は妃影を小馬鹿にした笑みを浮かべて、言い張った。

「寿命が縮まっちまったな。それじゃあ――死ね」

 妃影は黒き剣を極限までに振り上げる。それが、親に対する手向けのようだ。

 ――変身。

 その瞬間、僕は黒の道化師ブラック・ジョーカーに変身をした。

「真実の反逆クーデター発動!!」

 一闇妃影の恐ろしさは僕が一番理解している。

 こいつはあまりにも強すぎる。

 僕はどうしようもない闇の腕を払った。

 ダイヤモンドのように堅き鎧は、矛を砕くほどなのだが、堅すぎるが故、僕にとっては脆すぎた。真実の反逆により、妃影の腕は水面に張った薄い氷の膜を踏みつけたかのように割れた。

「てめえ! 貧弱野郎の癖に!」

 妃影は叫ぶように怒鳴ると、残った腕で僕の首を狙ってきた。

「僕は甘く見てもいいさ。だけどブラック・ジョーカーを甘く見るなよ!」

 首を可細い腕でガードした。

 妃影の打撃を腕に食らうが、不思議なくらいに痛くない。といっても、こいつの威力と比較するとの話になる。女性にビンタをされる程度の痛みなら感じていた。

「何にいいいいいい!?」

 僕は妃影の腕部分を掴んで、握りつぶした。

 ズシャァァァンという響きと共に、雪崩のようにもう一方の腕も崩れていく。

「最後の言葉はない。ないが――敢えて言うなら、死んでたまるか!」

 僕は死ぬわけにはいかない。幸せになると誓ったのだから。

「どうして、あたいが悉く負けるんだ!」

「お前の弱点は全て知っている。なんだって、創り出したのは他でもないこの僕だからな」

「……」

「お前はここで消えてもらう」

 両腕を失ったどうしようもない闇は膝をつき、観念したのか不敵に笑い出した。

「あたいは消えない。お前がいる限り、消えることはない」

「よく聴く台詞だな」

 どうしようもない闇に優しく触れると、液体のように溶けて消えた。

 これで一段落ついた。

 僕は変身を解除してから、深呼吸をした。


 すると、後ろのドアが開く音がした。

「ここにいたのね」

 萌は鬼の形相で、仁王立ちしていた。おそらく、入浴している時に僕が訪れたことお冠なのだろう。しかし、散らかった部屋の惨状をみて、真顔になったと思ったら今度は僕に哀れみの視線を送ってきた。喜怒哀楽が激しく、また鬼のような顔になる。

「あんた、なに馬鹿な事やってんのよ!」

「いやこれは」

「どうせ、変態の事だから、あたしのパンツでも探してたんでしょ!」

「違う!」

「残念でした。あたしのパンツはちょっとやそっとじゃあ、見つからないから」

「どこにあるんだよ!」

「い、言うか! まったく、なんなのよ。あんた、いつもおかしいけど、今日のあんたはヘンよ? 別人みたい。なんかあったの?」

「やっぱり分かる?」

「当たり前でしょ。――家族なんだから」

 家族という言葉を、萌の口から聞いたのは久しぶりだった。

 虫けら当然の扱いを受けてきたのだけれど、血の繋がった兄妹だと思っていてくれた。

「今日の事は全部黙っておくから、さっさと片付けてよね」

「はい」

「疲れているなら、早く寝ること」

「はい」

「貸だから、こんどケーキ買ってきて」

「はい」

 ちゃっかりしているな。

 いいように扱われるのは変わらないか。



**

 萌が出て行った後、さっそく散らかった部屋を整理した。足の踏み場もないくらい、床に物が散乱し、狭い部屋がより狭く感じた。こうして部屋にある物をまとめて見せられると、こんなに物があったのかと、驚きだ。

 さて、どこから手を付けるか。

「よっ」

 妃影は、駅前で待ち合わせしていた友達と落ち合ったかのように右手をあげて、僕に声をかけてきた。

「ななななっ! どうして!」 

 どうしてまだいるんだ!

「言っただろ。お前がいるかぎりあたいは消えない。あたいはお前で、お前はあたいなんだ」

「忌々しい自分を見るのは、あまりいい気分じゃないな」

 これが同属嫌悪なのだろう。

「同感だ。まあ、お前の闇が解消されたら、あたいはやばいかもしれねえけどな」

「どういうことだ?」

「復讐だ。ふ、く、し、ゅ、う。最高にクールな言葉だな」

「だれに?」

「お前を馬鹿にしてきた奴らにだよ!」

「復讐すれば、お前は消えるのか? だけれど、それってお前が現われ続けるたびに、復讐をしなきゃいけないってことじゃ」

「さあ、どうだろうな」

 あいつにとって不利なことでないから、だから、教えてくれているんだろう。

「このあたいに勝ったんだ。ボコボコにすることも簡単だろう? 復讐は最高で最低で最悪だからすっきりするぜえ。これで、馬鹿にしてきた奴らに、仕返しができるんだ。やったな!」

 だが、僕の答えは決まっていた。

「……無理だ。僕には出来ない」

 笑っていた妃影が、真顔になった。襟を掴んで、徐々に怒りを露わにしていく。

「しるか! やるんだよ! てめえみてえなやつは、やられてきた側だろ? 殴られてきただろ? 仕返ししてやろうとは思わねえのかよ! 復讐心はな、列記とした感情だ。それがないのなら、てめえはなんだ? 聖人君かあ? 人並みになりたいんじゃねーのかよ? あたいはな、ずっと、ムカついてきたんだ。お前がやられっぱなしで、まるで自分がコケにされている気分だったぜ」

 心にしみた。妃影の一言一言で、蓋が外れていくのが分かった。

 こいつは、僕の事をずっと見てきたからだ。

 僕の裏の存在。

 溜まりに溜まった悪意と憎悪。

 こいつには汚い感情を押し付けて悪いと思っていた。

「悔しかっただろ!」

「……うん」

「辛かっただろ!」

「辛かった」

「なんで自分がって、頭抱えて、周囲に怯えて、震えているだけでいいのかよ!」

「……いやだ」

「鬱で死にたいと思っているのなら、変わるしかねえ! 変わって、今の自分を殺せ!」

「それでも出来ないよ」

「ああ?」

「出来ない。僕には出来ない。僕は正義のヒーローになるんだ」

「ちっ。騙されねえか。おもしれえもん見れると思ったのによ。ファックだぜ」

 そう言っているが、妃影の怒りは本物だった。それでいて、本心だった。僕をずっと見てきたから、同情でもしているのだろう。

 僕は黙々と部屋の片づけと序に掃除をした。

「風呂でも入るか」

 萌が入った後のお風呂なのだけれど、シャンプーのいい匂いがする。僕が入ってもこのような魅惑的な匂いがでないのだから、女性特有の現象なんだろう。

 僕はシャワーで、身体を流して湯船に浸かった。

 

 ……妄想でもしよう。

 

 ここは風呂場なので、勇者ソノサキの妄想だ。

 もうかれこれ十年以上続けているシリーズだ。妄想に目覚めたきっかけでもある。

 勇者ソノサキは《ベール》という異世界に召喚された。

 そこでは魔術師が世界を支配していた。魔力という才能をもったものだけしか魔術を使えず、魔力を持たぬ者は剣を握り剣士と呼ばれる。剣士たちは、魔術師たちから不当な扱いを受け、反乱を起こそうとするが、魔術の前になすすべなく打ち負かされる。勇者ソノサキを召喚したのは、天才魔術師だった。魔女の称号を与えられ、地位も名誉もあったが、剣士であった父と母を殺され、魔術師を恨んでいる。そして、剣士と共に再び戦争を起こす、という物語だ。

 天才魔術師が殺されるところで、僕は湯船から出た。

 あと少しで、のぼせてしまうところだった。



「寝ている所を襲ってやるよ」

 天邪鬼の妃影がそう言ったので、今夜はゆっくり寝られそうだ。

 さて、ベッドの上にいるので日課をしよう。

 妄想だ。

 しかし、今日は理想の自分を想像することはないし、恐らくこれからも少なくなってくるだろう。何故って、理想の自分が、現実になっているのだから、わざわざ妄想するまでもない。

 それに、ハーレム帝国に一刻も早く向かいたい。

 生パンツを拝め、電車ではお姉さんのブラジャー、メインディッシュは萌の発展途上の裸。

「ぬふふ」

 今日の妄想は立体感もありそうだ。

「むふふ」


 ――ここはハーレム帝国。

 みな僕に従い、みな僕を愛し、みな僕を取り合う夢の国。


「パンツみてくださぁ~い。よければ嗅いでくださぁ~い」

 女子高生たちは、スカートを自らあげて、僕に見せびらかす。

「それよりも、お兄ぃ! 一緒にお風呂はいろ! いいことしよ!」

 萌は裸で、僕の腕を抱き、お風呂に連れ込もうとする。


「ふはははは。そう焦るな。我の身体は一つしかないが、順番に相手をしてやるからな!」


「むふふ。ぬふふ」

 僕はにやついて、奇妙な声を出していた。

「さっきから、うるせえんだよ! 鬼畜野郎が!」

 妃影は黒き靄を放出させ、黒い塊で僕の頭をぶっ叩いた。

「ぐはっ」

 僕の意識が……。

 明朝起床すると、まずカーテンを開けた。空は快晴で、小鳥のさえずりが心地よく聞こえる。

 頭が痛いが、これはおそらく萌に殴られた時の痛みだろう。

 だけれど、僕は何をして殴られたんだ?

 そこのところがあまり鮮明に思い出せない。記憶力の方は、向上していないようだ。

 だけれど、何故かとってもいいことがあったような、そんなもどかしさが僕の中で渦巻いていた。

「起きたか。キチ―」

 僕の呼び名はいつのまにか鬼畜からとってキチ―になっていた。とてもいい仇名じゃないか。少なくとも、馬鹿よりは凄味がある。

「妃影ちゃん」

 まだ夢の中にいるような気分だ。いいや、全てが夢の世界になっている。

 学校に行く準備をしていると、この妃影をどうしようか迷った。家に置いておいても、何をされるか分からない以上、置いておけない。

「ポケットに入っとけ」

「いいぜえ」

 意外と素直なところがあるのだと感心した。

 どんな裏があるのかも疑わずに、僕はポケットに妃影を入れた。

 


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