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愛と悲しみのスケルトン  作者: kawauso2017
第1部

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第1話 一本……ない

 あと一週間。


 モンスターギルドの依頼掲示板の前で、俺はもう何度目になるか分からない確認をした。


 七日後。七日後に、俺はコボルトさんに告白する。


 決めたのは昨日の夜だ。布団の中で天井を見ながら、このままではいけない、と思った。思ったら止まらなくなって、気づいたら壁の予定表に印を付けていた。七日後の欄に、小さな丸を一つ。


 丸を付けた瞬間は、ちょっと格好いい気分だった。


 朝になったら、ただただ落ち着かなかった。


「……薬草採取、薬草採取」


 掲示板には色々な依頼が貼ってある。山賊まがいの大猪の討伐。荷馬車の護衛。古い屋敷の地下の掃除。どれも報酬は悪くないが、俺が手に取るのはいつも決まって一番端の紙だ。


 薬草採取。指定の種類を籠一杯。


 地味だと言われる。実際、地味だ。でも俺はこういう仕事が好きだった。誰とも揉めないし、黙々とできるし、終わったあとに籠の重さで「今日は働いた」と分かる。


 紙を剥がしながら、頭の中では別のことを考えている。


 告白の、言葉。


 ……少しだけ、練習しておくか。


 周りに誰もいないのを確認して、俺は小さく咳払いをした。喉はないので、咳払いの真似だ。


「コ、コボルトさん。前から、その……」


 駄目だった。


 「その」の先が出てこない。出てこないどころか、言った瞬間に猛烈な恥ずかしさが頭蓋骨の内側を駆け上がってきて、俺は両手で顔を覆った。


 骨なので顔は赤くならない。


どうしても、「ふくよかな尻尾に一目惚れしました」この一言が出てこない。


 代わりに、顎がカタカタ鳴った。


 カタカタカタカタ。


「……あの、スケルトンさん? 掲示板、見ても大丈夫です?」


 後ろから遠慮がちな声がして、俺は飛び上がった。新人らしいギルド員が、困った顔で俺の背中越しに掲示板を覗こうとしている。


「あっ、ど、どうぞ。すみません。どうぞどうぞ」


 俺は横に三歩ずれた。四歩目でさらに譲った。気づけば掲示板から一番遠い柱のところまで下がっていた。そして、躓いた。倒れた……。


 昔からこうだ。人に強く言えない。言われると引く。引きすぎて、たまに自分がどこにいるのか分からなくなる。


 まあいい。依頼は手に入った。出発しよう。


◇


「スケルトンさん!」


 受付で手続きを済ませて出口へ向かったところで、声を掛けられた。


 声だけで分かった。分かった瞬間に、全身の骨が一斉に背筋を伸ばした。


 振り向くと、コボルトさんがいた。


 柔らかそうな毛並みに、ぴんと立った耳。くりっとした黒い目。ふさふさの尻尾が、今日も機嫌良さそうに揺れている。


「今日も薬草採取ですか?」


「は、はひ」


 はひ、ってなんだ。声帯を意識できなかった。


「気をつけて行ってきてくださいね!」


 コボルトさんはにっこり笑った。


 それだけで、俺の一日は幸せになった。


 初めて会った日のことを覚えている。ギルドに登録したばかりで、何をどうすればいいのか分からなくて受付の前でうろうろしていた俺に、「新しい方ですか? こっちですよ!」と声を掛けてくれたのがコボルトさんだった。


 一目惚れだった。


 それから彼女は、俺を見かけるたびに声を掛けてくれた。おはようございます。お疲れさまです。今日は良い天気ですね。気をつけて行ってきてくださいね。


 一つ一つは何でもない言葉だ。でも、何でもない言葉を何百回ももらっているうちに、好きはどんどん大きくなっていった。


「おはようございます! 今日も早いですね!」


 コボルトさんはそのまま俺の横をすり抜けて、次に入ってきたギルド員に同じくらい明るく挨拶をした。その次の誰かにも。その次の誰かにも。


 コボルトさんは、誰にでも優しい。


 分かっている。俺だけが特別なわけじゃない。


 それでも、嬉しいものは嬉しい。


「あっ、デュラハンさん! ……今日も格好いいなあ」


 ギルドの奥のほうで、コボルトさんの小さな声がした気がした。


 でも俺は「気をつけて行ってきてくださいね」を頭の中で七回くらい再生していたので、よく聞いていなかった。


 七日後。


 俺は籠を背負い直して、ギルドを出た。


◇


 落ち着かない時は、手を動かすに限る。


 町を出て街道を進み、いつもの採取場所に着いたところで、俺は黙々と薬草を摘み始めた。


 告白のことを考えると、骨の芯がそわそわする。だから考えない。薬草のことだけを考える。


 この葉はまだ若い。こっちは良い。この株は根を残して上だけ摘む。


 ……あ、あっちにも生えている。


 少し奥に入る。摘む。


 さらに奥にもある。摘む。


 まだある。


 さらに先へ。


 気がつけば、景色が見慣れないものになっていた。


「……あれ?」


 振り返ると、来た道がずいぶん遠い。いつもの採取場所は、とっくに丘の向こうに隠れている。


 籠の中身は半分ほど。帰るにはまだ少ない、と思ってしまったのが運の尽きだった。せっかくここまで来たのだから、と俺はさらに足を伸ばした。


 岩場に差し掛かったところで、足を滑らせた。


「うわっ」


 とっさに手をついた。ぱき、と軽い音がした。


 右手の人差し指を見る。細いひびが一本、斜めに走っていた。


「……まあ、これくらいならすぐ治るか」


 スケルトンの骨は、小さなひびや欠けくらいなら、放っておけば数日で元に戻る。子どもの頃から何度も転んで、何度もひびを作って、その度に勝手に治ってきた。


 大したことはない。


 俺は指を軽く振って、また薬草を探し始めた。


◇


 籠が満杯になる頃には、日がだいぶ傾いていた。


「ちょっと遠くまで来すぎたな……」


 帰り道は、行きよりずっと長く感じた。


 足が重い。籠が重い。肩の骨がきしむ。考えてみれば、朝から一度もまともに休んでいない。落ち着かない気持ちをごまかすために、ひたすら歩いて、ひたすら摘んでいたのだ。


 町の灯りは、まだ見えない。


 街道脇に、ちょうど良い草地があった。


「……少しだけ、休もう」


 籠を下ろし、腰を下ろす。背中を倒す。夕焼けの名残が、空の端に薄く残っている。


 普段なら、外でうたた寝なんてしない。誰かが近づけば足音で起きるし、身体に触られれば当然起きる。


 でも今日は、骨の芯まで疲れていた。骨しか無いのだが…


 七日後か、と思った。


 思ったところで、意識がとろりと溶けた。


◇


 その夜更け…


 街道を、誰かが歩いてきた。


 月は薄く、雲がかかっている。足音は一つ。急ぐでもなく、ゆっくりでもない。


 その足音が、草地の前で止まった。


「……ん?」


 道端に、骸骨が一体、仰向けに転がっている。傍らには薬草の詰まった籠。


「おーい」


 返事はない。


「……おーい?」


 やはり返事はない。


 影は少し近づいて、骸骨の肩のあたりに何かを掛けた。


 揺する。


 かたかた、と骨が鳴る。それだけだった。骸骨はぴくりとも動かない。


 しばらく、沈黙があった。


「……死んでる、のか?」


 この世界のスケルトンは、魂が抜けても数か月ほどは骨格が崩れず、そのままの姿で残る。道端に転がっている骸骨が生きているのか死んでいるのか、見ただけで分かる者はそういない。


 影は、骸骨を見下ろしたまま、長いこと考えていた。


 そして。


 ぽきっ。


 乾いた音が、夜の街道に小さく響いた。


 足音が遠ざかっていく。


 骸骨は、眠ったままだった。


◇


 目が覚めると、朝だった。


「……あぁ。よく寝た」


 本当によく寝た。こんなに深く眠ったのはいつ以来だろう。頭蓋骨の中がすっきりしている。


 籠はある。中の薬草も無事だ。朝露で少し濡れているが、むしろ鮮度が保たれていて良い。


 俺は立ち上がって、大きく伸びをした。


 ……スースーする。


「ん?」


 胸のあたりが、妙に軽い。風が、いつもより多く通り抜けていく気がする。


 寝冷えだろうか。骨だけど。


 ふと昨日の指のことを思い出して、右手を見た。人差し指のひびは、ほとんど塞がりかけていた。うっすらと線が残っているだけだ。


「やっぱり、これくらいなら……」


 大丈夫だ、と言いかけて、また胸がスースーした。


 気になる。


 俺は自分の胸を見下ろした。


◇


 肋骨を数える。


 一本。二本。三本。


 四本、五本、六本……。


 右側。十二本。よし。


 左側。


 一本、二本、三本、四本、五本、六本、七本、八本、九本、十本、十一本。


 ……。


 止まった。


 もう一度。


 一本、二本、三本、四本、五本、六本、七本、八本、九本、十本、十一本。


「…………」


 見間違いだ。朝だから。寝起きだから。


 もう一度。今度は指で一本ずつ触りながら数える。


 一本。二本。三本。四本。五本。六本。七本。八本。九本。十本。十一本。


 右を数え直す。十二本。


 左。十一本。


「……え?」


 左右で、合わない。


 俺は混乱した頭で、なぜか歌い始めていた。


「いっぽん、にほん、ろっこつさん……さんぼん、よんほん、ろっこつさん……」


 子どもの頃、骨の数を覚えるのに使った数え歌だ。歌えば正しく数えられる気がした。


「……じゅういっぽん、ろっこつさん……」


 十二本目は、歌の中にしかなかった。


◇


 俺は草地に這いつくばった。


 草むらをかき分ける。ない。


 道端の溝を覗く。ない。


 石をひっくり返す。


 ダンゴムシと目が合った。


「……ごめん」


 石を戻す。


 別の石をひっくり返す。また別のダンゴムシと目が合う。ダンゴムシは怒っていた。


「ごめん」


 夢中で探しながら、頭のどこかで分かっていた。だが、どうしても受け入れられない自分がいた。


 スケルトンは、自分の骨なら分かる。近くにあれば、そこから自分自身の気配のようなもの――オーラ、としか言いようのないものを感じる。遠くからでは分からない。町の反対側から「あそこにある」と分かるような便利なものではない。でも、ある程度近くにあれば、必ず分かる。


 その感覚が、どこからも来ない。


 つまり。


 この辺りには、ない。


 俺は探すのをやめて、さっきまで寝ていた場所に座り込んだ。


 朝日が昇っていく。籠の薬草がきらきら光っている。右手の指のひびは、もうほとんど見えない。


 小さなひびなら治る。ちょっとした欠けなら戻る。


 じゃあ、これは。


 俺は胸の、左側の、空いているところへ手を伸ばした。


 指が、本来そこにあるはずの一本に触れようとする。


 何もない。


 空を切る。


 朝の風が、胸の隙間を抜けていった。


「……一本……ない」


 骨は全部揃って、俺だ。


 ずっとそう思って生きてきた。一欠片だって失くしたくない。一本くらい、なんて、考えたこともない。


 その一本が、ない。


 壁の予定表に付けた、小さな丸を思い出す。


 告白予定日まで、あと六日だった。


気がつけば、道ばたに落ちていた木の枝を肋骨の代わりに差し込んでいた。


残酷描写:骨が無残にむしり取られます。ご注意ください

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― 新着の感想 ―
告白の練習すらまともにできないスケルトンさんがかわいかったです。まさか肋骨が一本なくなるとは思わず、最後に木の枝を差し込んでいるところで笑ってしまいました。告白までに元に戻るのか気になります。
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