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第5話「葵は公務員で幼馴染で、他人」

 新装開店準備セール、三日目。


 看板を替えてから、客の反応が面白い。「閉店やめたん?」と聞かれるたびに「積み立て始めました」と答えている。何の積み立てかは俺も正確には分かっていないが、嘘は言っていないので問題ない。


 日曜の昼下がり。店は暇でも忙しくもない、ちょうどいい呼吸をしていた。タエさんは漬物コーナーの補充中、翔は「バイト」に昇格して以来、妙に張り切って品出しをしている。


 そこに、葵が来た。


 スーツじゃなかった。普段着のシャツに、買い物袋。ファイルの代わりにエコバッグ。一瞬、誰か分からなかった――というのは嘘だ。俺があいつを見間違えるわけがない。ただ、役所の顔をしていない葵というのが、あまりに久しぶりだっただけで。


「……何か、表示に問題でも?」


「本日は非番です。客です」


 葵はきっぱり言って、かごを手に取った。


「先日は職務で来ましたので、買って帰れなかったんです。ここの漬物」


「ああ、はいはい。タエさんの糠漬けね。奥のコーナーです」


「知ってます。子供の頃からありますから」


 そう言って、葵は勝手知ったる足取りで店の奥へ歩いていった。当たり前だ。俺より詳しくたっておかしくない。この店は、俺たちの小学校の通学路にあったんだから。


 かごには、糠漬けと、豆腐と、それから安売りのプリンが入っていた。


「プリン、お好きなんですか」


 レジを打ちながら、つい聞いた。聞かなくてもいいことだった。


「……懐かしくて。これ、昔からこの銘柄ですよね。五十円の」


「今は七十円です。時代なんで」


「値上がりしましたね」


 葵はそう言って、ふ、と笑った。役所の顔が少しほどけた。そして、ほどけたまま、ぽつりと言った。


「昔、この店によく来てたんです。学校の帰りに。……幼馴染と、二人で」


 レジの手が、半拍だけ遅れた。


「へえ」


「男の子なんですけど。いつも二人で五十円ずつ握りしめて来て、プリンを一個だけ買うんです。二人で百円あるのに、一個だけ」


「……そりゃまた、なんで」


「残りの五十円で、次の日もう一回来るためだそうです。『一日で使い切ったら明日の売上がなくなるだろ』って。小学生ですよ? 変な子でしょう」


 変な子だった。自覚はある。だがあの理屈は今でも正しいと思っている。継続こそが商売だ。


「当時の大将……前の店主さんが、面白がってよく、おまけしてくれようとしたんです。売れ残りのお菓子とか。でもあの子、絶対に受け取らなくて。『タダでもらうと大将の売上にならないから』って、ちゃんと五十円払うんです。大将が『変な小僧じゃ』って笑ってました」


 タエさんが漬物コーナーからこっちを見ている気配がした。俺は見なかった。レジの金額表示だけを見ていた。七十円のプリンが、七十円と表示されている。正しい。何も間違っていない。


「その子とは、その後も?」


 聞いたのは俺だ。他人事の顔で。初対面の店主の顔で。なんで聞いたのかは、自分でも分からない。


「高校を出るとき、彼、東京に就職したんです。駅まで見送りに行って……そのとき、聞いたんです。『いつか帰ってくるの』って」


「なんて答えたんです、その人」


「『儲かったらな』って」


 葵は笑った。笑って、それから少しだけ黙った。


「……変な子のまま行って、変な子のまま向こうで働いて。去年、帰ってきたんです。この店を継ぐことになったからって。私、そのとき県外の研修先にいて、会えなくて。戻ったら挨拶に行こうと思ってたら――」


 その先は、言わなかった。言わなくても、この町の人間なら誰でも知っている。一年前、この店の若い後継ぎが、継いだその日に交通事故で死んだことくらい。


「……継いだ日に、って。あんまりだと思いませんか。あの子、最後に『いつか、こういう店やるのも悪くない』って言ってたんですよ。駅で。私しか聞いてないんです、あれ。誰にも言ってないのに、ちゃんと叶って、それで」


 葵の言葉が、そこで止まった。


 俺も、止まっていた。軽口を挟むべき間が、さっきから三つくらい過ぎている。分かっているのに、何も出てこなかった。駅のホームの匂いとか、あのとき葵が着ていたコートの色とか、そういう余計なものばかりが出てきて、言葉だけが出てこなかった。


 言ったよ、それ。確かに言った。半分照れ隠しで、半分本気で。お前が「帰ってくるの」なんて聞くから。


「――すみません」


 先に我に返ったのは、葵のほうだった。


「初対面の方に、何の話をしてるんでしょうね、私。……余計なこと言っちゃいましたね。忘れてください」


 葵は財布を出して、いつもの役所の顔に戻ろうとしていた。戻り方が少しぎこちないのは、たぶん本人も分かっていた。


 だから俺は、笑った。


「別に、いいっすよ。お祈りに来る人の話を聞くの、神様の役目じゃないっすか。慣れっこです。あはは」


 我ながら、乾いた笑いだった。「あはは」の三文字が、店の床にぱらぱらと落ちて転がった気がした。神様の役目、ときたか。便利な建前を持ったもんだ、俺は。聞き役の顔さえしていれば、目の前の幼馴染に「それ俺だよ」と言えないことも、役目のうちに数えてもらえる。


「……神様の役目、ですか。変な店主さんですね」


「よく言われます。あ、プリン、もう一個どうです? 本日二個目から十円引きなんで」


「そういうところが変なんです。……いただきます」


 葵はプリンをもう一個かごに入れた。合計百三十円。二人で百円だった頃から、三十円分だけ時代が進んだ。


 会計を終えて、袋を提げて、葵は出口へ向かった。それから、ドアの手前で一度だけ振り返った。


「あの。また、客として来てもいいですか。ここの漬物、本当に好きなので」


「毎度どうも。次回から漬物はポイント二倍です」


「そのポイントカード、発行の届出はされてますか」


「……検討中です」


「検討しておいてください」


 役所の顔で笑って、葵は帰っていった。


 俺はしばらくレジに立ったまま、七十円のプリンの棚を眺めていた。タエさんが何か言いたそうにこっちを見ていたが、何も聞かないでいてくれた。ああいうところが、この人が古株信者たる所以だと思う。


 ――と、しんみりしかけた、そのときだった。


 ひゅん、と風を切る音がして、店の壁に何かが突き刺さった。


「うわあっ!? な、なんですか今の!」


 翔が品出しの手を止めて飛び上がる。見れば、菓子パンの棚のすぐ上、あと二十センチで食パンに串刺しだったという位置に――破魔矢が刺さっていた。矢に、手紙が結んである。


「……うちは的屋じゃねえんだけどな」


 矢を引き抜いて、手紙を開く。達筆なんだか悪筆なんだか判断に困る筆文字で、こう書いてあった。


 > みそぎ屋の新入りどのへ

 >

 > 折り入って話がある。そなたの店の祠と、商売繁盛の守りのことじゃ。

 > 放っておくと、ちと厄介なことになるやもしれん。

 > 三日後の晩、穴守稲荷まで参られよ。

 > 手土産は油揚げでよい。よいか、上等なやつじゃぞ。安いのはすぐ分かるからの。

 >

 > 葛の葉


「……誰なんです? この、じゃぞ、とか言ってる人」


 翔が手紙を覗き込んで首を傾げる。俺にも分からん。分からんが、うちの祠のことを知っていて、破魔矢を郵便代わりにぶっ放してくる相手だ。少なくとも、人間ではないんだろう。


「タエさん、穴守稲荷って知ってます?」


「ああ、あそこの。ずいぶん昔に流行った、お稲荷さんでしょう。今はもう、社務所も閉まっとるけど」


 昔に流行った、今は閉まってる。……同業の匂いその二、だな。しかも先輩だ。


 俺は破魔矢を祠の横に立てかけて――他に置き場が思いつかなかった――レジに戻り、電卓を叩いた。


【本日の売上:四万三千八百円(前日比マイナス六パーセント・日曜昼型)】

【本日の客数:二十九名】

【本日のプリン販売数:七個(うち二個、同一のお客様)】

【備考:破魔矢一本飛来。食パンは無事。三日後、油揚げ持参の外出予定あり】


 ……上等な油揚げって、いくらからが上等なんだろうな。


 仕入れ値の相場を調べながら、俺はふと、さっきの葵の言葉を思い出していた。いつか、こういう店やるのも悪くない。……ああ、悪くないよ。死んでからだけどな。



 新装開店準備セール、三日目。本日も、無事閉店せず。

「葵は公務員で幼馴染で、他人」お読みいただきありがとうございました。プリン一個を二人で買う小学生、書いていて一番気に入っているエピソードです。


次回、破魔矢の差出人に会いに行きます。手土産の油揚げは、上等なやつを。


気に入っていただけたら☆をいただけると嬉しいです。

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