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第6話「商売繁盛のお守り」

 上等な油揚げというものについて、俺は三日間、真剣に検討した。


 結論から言うと、隣町の豆腐屋の手揚げ、一枚三百八十円。うちの仕入れ値の四倍だ。正直ひるんだが、相手は「安いのはすぐ分かる」と書いてくる神様である。ここでケチって話がこじれたら、三百八十円どころの損失じゃ済まない。これは経費だ。交際費で落とす。


 というわけで、三日後の晩。俺は油揚げの包みを提げて、穴守稲荷の石段を登っていた。


 タエさんの言った通り、境内は寂れていた。社務所の窓は板で塞がれ、賽銭箱には枯れ葉が積もり、狛狐の片方は首が欠けたまま放置されている。けど、参道の石畳だけは、妙に綺麗だった。毎日誰かが掃いてるみたいに。


「――時間ぴったりじゃの。感心感心」


 声は、上からした。


 鳥居の笠木の上に、女の子が座っていた。見た目は十かそこら。着物姿で、頭にケモ耳、後ろに尻尾。月を背負って、偉そうに腕を組んでいる。


「おぬしがみそぎ屋の新入りか。ふん、思ったより辛気くさい面構えじゃの」


「どうも。開店一年目の御削です。えーと……葛の葉、さん?」


「くーちゃんでよいぞ。皆そう呼ぶ」


「皆って誰すか。氏子ゼロって聞きましたけど」


「……初対面で一番痛いところを突くでない!」


 鳥居からひらりと飛び降りて、くーちゃんは俺の前に立った。小さい。うちの棚の二段目に届かないくらい小さい。だが、近くに立たれた瞬間、うなじの毛が逆立った。第1話の天峰とも、氷堂の冷気とも違う。これは年季だ。桁の違う時間を生きてるものの気配だった。


「さて、新入り。単刀直入に聞くぞ」


 くーちゃんの目が、すっと細くなった。


「おぬしの店の祠――あれに結ばれておる商売繁盛の縁が、ここ一年で急に目を覚ましかけておる。何百年も眠っておった縁じゃ。それが、おぬしが来た途端にこれじゃ。……何をした?」


「何って。強いて言えば、閉店セールを」


「茶化すでない」


「茶化してないっす。売上が上がったから神力が増えた。うちはそれだけの店です」


「その『それだけ』が通らんから聞いておるのじゃ」


 くーちゃんの尻尾が、ゆらりと膨らんだ。


「大黒の縁は、銭勘定だけで目を覚ますような安い縁ではないわ。新参の弱小神が、よりにもよってあの店に座り、よりにもよって『期限』の権能ときた。……縁を乗っ取りに来たか? それとも、どこぞの差し金か?」


「あー……なるほど、そういう疑いね」


 言いたいことは分かる。分かるが、こっちも身に覚えがないのだから答えようがない。俺は自分の血筋なんて知らない。知ってるのは大叔父の店の帳簿と、七十円のプリンの原価くらいだ。


「疑いは晴らしたいんで、何でも聞いてください。ただ、先に言っときますけど――俺、自分がなんであの店の神様になったのか、マジで何も知らないんすよ。気づいたら祠の前にいて、辞令が一枚。以上です」


「……ほう。では、その手土産で誠意でも見せるつもりかの」


「あ、これ? どうぞ。隣町の手揚げ、一枚三百八十円」


「ふん。値段で油揚げを語る時点で三流じゃ……」


 言いながら包みを開けたくーちゃんの鼻が、ひくり、と動いた。耳が立った。尻尾が一回転した。


「…………ま、まあ? 悪くはない、悪くはないがの? 揚げの良し悪しは値段ではなく油の切れと豆の香りで決まるのであってじゃな、これはその、たまたま両方が及第……いや、待て。話を逸らすでないわ!」


 くーちゃんは油揚げの包みを素早く懐にしまい――しまうのかよ――改めて俺を指差した。


「誠意と疑いは別勘定じゃ! 大体おぬし、さっきから何なのじゃその態度は。神威を前にへらへらへらへら、食えぬやつめ。そういう手合いが一番信用ならんのじゃ!」


「へらへらは生まれつきなんで。あと、神威っていうなら」


 俺もつい、言い返した。


「あんたのその神威で、この境内の枯れ葉が一枚でも減るんすか。俺は少なくとも、自分の店は自分で開けてますけど」


 言った瞬間、しまった、と思った。


 くーちゃんの表情が消えた。次の瞬間、俺の足元の石畳に、青白い火がぼっ、と輪を描いて立ち上がった。狐火。熱くはない。だが、輪の内側の空気が、明らかに薄くなった。


「……言うてくれるのう、新入り」


「今のは俺が悪かった。謝ります。けど疑われっぱなしも商売柄、性に合わないんで――」


 俺は視界にラベルを呼んだ。狐火の一つに、それは浮かんでいた。


【対象:狐火】【燃焼期限:術者の任意】【操作:可能】


 任意なら、任意じゃなくしてやる。俺は一番近い狐火に、ぺたりと値引きシールを貼った。


【値引きシール:半額】


 狐火が、ろうそくの残りみたいな、しょぼい火になった。


「……なっ!? わしの狐火に値札を貼りおったか!? おぬし、神の火を見切り品にするとは、どういう了見じゃ!」


「そっちこそ人の足元を七輪にしといて――」


 売り言葉に買い言葉、狐火としょぼい狐火が入り乱れ、境内の空気が今まさに沸騰しかけた、そのときだった。


 ずん、と。


 地面が、揺れた。


 狐火の悪ふざけとは無関係の、深くて嫌な揺れ。境内の砂利が、ぱらぱらと跳ねている。鳥居が、みし、と鳴いた。


 石段の上に、作業服の男が立っていた。ヘルメットに、タブレット。胸の社名ロゴは、見なくても分かる。


「夜分にすみません。エターナル・リテール開発推進部、現場主任の地引と申します。……おや、みそぎ屋の神様もご一緒でしたか。ちょうどいい、二件まとめて説明が省けます」


「……二件?」


「本社の方針が変わりましてね。個別の店舗をちまちま潰すのは、費用対効果が悪いと。ですので今期からは、商売繁盛の系統――大黒天の縁に連なる神域そのものを、根から更地にすることになりました。ここは、その一件目です」


 地引はタブレットを操作しながら、事務的に続けた。


「穴守稲荷。氏子ゼロ、参拝者実績ほぼゼロ、社務所閉鎖。登記上も管理実態が曖昧で、収用のハードルが一番低い物件と査定されています。ま、要するに――もう誰も来ない神社なんで、壊しても誰も困らないんですよ」


 境内の空気が、変わった。


 さっきまで俺と小競り合いをしていた小さい神様が、一歩、前に出た。声が、低かった。のじゃロリの「のじゃ」が、抜け落ちていた。


「……誰も来ない、か。ええ、そうね。もうずっと、誰も来ない」


 俺は思わずくーちゃんを見た。口調が、違う。


「でも、それを決めるのは、あなたの査定表ではないわ。ここには灯を消せない理由があるの。――帰りなさい。今なら化かすだけで済ませてあげる」


「困りましたね。では、工程を前倒しします」


 地引が、タブレットではなく、地面に手をついた。


 瞬間、境内全体が波打った。石畳がうねり、鳥居が軋み、社殿の屋根瓦がずり落ちる。振動。理屈抜きの、解体工事の力だ。立っていられず、俺は膝をついた。地面が液体みたいに揺れて、足の裏が仕事をしない。


【対象:地引(下位神・現場強化型)】【操作:可能――ただし接触困難】


 権能は通る。だが、届かない。この揺れの中じゃ、三歩どころか一歩も詰められない。シールを持つ手が、それどころか視界そのものが、上下にぶれる。


「近づけないでしょう。振動というのはね、地味ですが万能なんですよ。攻めにも、拒みにも使える。あなたの手口は本社で全件共有済み――接触させなければ、ただの目のいい店主だ」


「……全件共有、ねえ」


 揺れる視界の端で、青白い火が、すっと横に流れた。


「新入り」


 くーちゃんの声がした。すぐ隣から。なのに、地引の視線は、まるで見当違いの方向の「俺たち」を追っていた。……境内のあちこちに、俺とくーちゃんが立っていた。五人、十人。全員が同じ顔でへらへらしている。壮観だが、あんまり見たくない光景だな、これ。


「化かしておる間、あやつの目にわしらは映らん。じゃがわしの足でも、あの揺れの中を走るのは骨じゃ。――おぬし、揺れておるのは地面だけと気づいておるか」


「……ああ、なるほど」


 地面が駄目なら、地面を使わなきゃいい。


「くーちゃんさん。俺を、投げられます?」


「ほう?」


 尻尾が、面白がるように揺れた。


「言うようになったではないか、新入り。舌を噛むでないぞ」


 小さい手が俺の襟首を掴んだ次の瞬間、世界がぐんと縮んだ。年季の違う膂力で、俺の体は夜空に放り出され――幻に気を取られた地引の、ちょうど頭上に落ちていく。


 振動は、地面の権能だ。空中には、揺れる床がない。


「本日、閉店時間でーす」


 ばちん。


 ヘルメットの上から、額に一枚。


【値引きシール:半額】【対象:地引の神格】


 着地は、正直かっこよくなかった。砂利に転がって、肘を擦りむいた。だが地引はそれどころじゃない。神格半減。境内の揺れが、ぴたりと止んでいた。


「ば……馬鹿な、共有資料に、投擲戦術なんて……」


「そりゃそうでしょ。俺も今日初めてやったんで」


「うちの資料は鮮度が命なんですよ、と本社に伝えとくといいっす。それと――」


 俺は、欠けた狛狐の横に立つ小さい神様を、親指で差した。


「ここ、誰も来ない神社じゃないっすよ。現に今日、客が一人来てる。手土産持って」


 地引は査定表に書けない顔で俺たちを見比べて、それから、工期延期を告げる現場監督の声で「……本日の作業は中止します」と言い、石段を降りていった。


 ---


「……及第点じゃな」


 社殿の階段に腰掛けて、くーちゃんは油揚げを炙りながら言った。どこから出したのか、七輪で。さっき俺を焼きかけた狐火が、今は油揚げをいい色にしている。平和利用だ。


「及第点って、どのへんがです」


「投げられっぷりじゃ。あと油揚げ。……疑いのほうは、まあ、保留にしといてやるわい。おぬしが縁を乗っ取る器には見えんかったからの。いい意味でも、悪い意味でもじゃぞ」


「どうも。いい意味のほうだけ受け取っときます」


 くーちゃんは炙りたてを一枚、俺に寄越した。うまかった。三百八十円は正しい経費だった。


「新入り。ひとつ教えといてやる。おぬしの店の祠、あの中に古い守り袋が納まっておるはずじゃ」


「守り袋?」


「商売繁盛の守りじゃ。ずっと昔に、あの店の者に渡ったものよ。……縁が目を覚ましかけておる以上、あれが要になる。粗末に扱うでないぞ。埃を払って、たまに拝んでやれ。それだけでよい」


「詳しいんすね、うちの祠に。なんで知ってるんです?」


「昔のことじゃ、忘れたわい」


 くーちゃんはそっぽを向いて、二枚目の油揚げを七輪に乗せた。それ以上聞くな、という背中だったので、聞かなかった。深追いしないのも商売のうちだ。


「ま、そういうわけじゃ。エターナルの連中、これからは系統ごと狙うてくるらしいからの。おぬしの店とわしの社、狙われる理由は同じ穴じゃ。――今後、ちょくちょく手を貸せ。新入り」


「それ、俺が貸すんすか。今日助けてもらったのはこっちなのに」


「わしは先輩じゃからの。後輩は労働で払うものじゃ」


「……うちの会社もそうでした」


 帰り道、石段を降りながら、俺は妙に軽い気分だった。同業の先輩。系統ごと狙ってくる本社。祠の守り袋。厄介ごとは増える一方なのに、なんでだろうな。


 ああ、そうか。取引先が増えたからか。


 店に戻って、俺は閉店後のレジで電卓を叩いた。


【本日の売上:五万八百円(前日比プラス三パーセント)】

【本日の客数:三十三名】

【本日の経費:油揚げ一枚三百八十円(交際費・効果絶大)】

【特売効果:現場主任一柱を半額化(空中にて)】

【備考:取引先一件、新規開拓。先方は同業の先輩。支払条件、労働】


 寝る前に、祠の扉をそっと開けてみた。奥に、色の褪せた小さな守り袋が、確かにあった。


 埃を払って、元の場所に戻す。……なんだろうな。初めて見るはずなのに、手に載せた重さに、覚えがある気がした。


 新装開店準備セール、六日目。本日も、無事閉店せず。

「商売繁盛のお守り」お読みいただきありがとうございました。くーちゃん、ようやく本格登場です。狐火に値札を貼る主人公、我ながらどうかしていると思います(褒めています)。


次回のタイトルは「くーちゃんにお酒を飲ませちゃいけません(戒め)」。……タイトルで全部わかるやつです。でも読んでほしい。


☆で応援いただけると、油揚げがちょっと上等になります。

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