第19話「どの浴衣姿が好き? 誰と花火を見に行くの?」
立華町の夏祭りは、年に一度、商店街の全部が浮かれる日だ。
みそぎ屋も今日は夕方で早じまい。で、その閉店間際に、事件は三連続で起きた。
まず、葵が来た。制服でも私服でもなく、浴衣で。青地に、白い花の柄。うちわを持つ手が、心なしか、ぎこちなかった。
「あの、店主さん。今夜、お祭り、ですが。防犯上、店を空けるのも心配でしょうから、その、よければ一緒に見回りを――」
「あ、いいっすね祭り。行きましょ行きましょ」
「っ……はい」
次に、くーちゃんが来た。というか、レジ横の定位置から降りてきた。いつの間にか着替えていた。緋色の、帯を前で結んだ、やたら豪奢なやつ。どこの花魁だ。
「零。祭りじゃ。神社の祭りに神が顔を出さんでどうする。供をせい」
「あ、はい。ちょうど葵さんとも行くことになったんで、みんなで」
「…………みんな?」
最後に、メアが来た。二階の自室(住み込みになった)から降りてきた。浴衣だった。ただし、どこかのハイブランドのロゴが帯留めに輝いている、雑誌でしか見ないタイプのやつ。
「た、たまたまです! 出向の荷物に、たまたま入っていたので! 着ないと、その、荷物の圧縮効率が悪いので! それで、今夜は市場調査に――」
「あ、じゃあメアさんも一緒に。今、みんなで行こうって話してて」
「「「…………」」」
三人が、なぜか同時に黙った。それから三人とも、俺じゃない方向を見て、それぞれ小さく息を吐いた。なんだろう。俺、なんかやっちゃいましたか。
ちなみにKiraは、俺の胸ポケットの中にいる。「勝手に」出さなければ規則違反じゃない、と本猫(本レジ?)が主張し、正式な稟議(俺の承認)を通したからだ。四十年ぶりの外出に、ポケットの中がさっきから、そわそわとうるさい。
◇
【焼きそば】
「大盛り六百円……麺の原価が約六十円、キャベツと豚こまで……粗利八割超えか。祭り価格、強気だなあ」
「店主さん。お祭りの屋台で原価計算を口に出すの、やめましょう」
「職業病なんですよ。あ、葵さん、ソース跳ねてる」
「え、どこ――」
「取れました。はい」
「……自分で、取れます」
葵は、うちわで口元を隠して、それきり焼きそばに戻った。耳が赤いのは、屋台の鉄板のせいだと思う。夏だし。
【金魚すくい】
「ほほう。獲物を、掬う……」
「くーちゃんさん、目が狩人になってます。あれは遊びです。ポイは紙です。優しく」
「わしを誰と心得る。千年の狐ぞ。水面の獲物なぞ――ほれ、一匹。ほれ、二匹。ほれ」
「嘘だろ、ポイが濡れてない……」
屋台のおっちゃんが、途中から涙目で「もう勘弁してください」と袋を差し出した。三匹で手を打った。商売人として、あれ以上は同業いじめだと思ったからだ。金魚は葛の……くーちゃんが「店の水槽で飼う。名は、赤いから『特売』『目玉』『廃棄』じゃ」と命名した。三匹目の名前には全員が抗議した。
【射的】
「へえ、射的ですか。メアさん、ああいうのは重心が――」
ぱん。ぱん。ぱん。ぱん。ぱん。
五発、五枚。棚の景品が、五つ、綺麗に落ちた。
「……あの、メアさん?」
「サイトのズレは一発目で補正済みです。トリガーの遊びも計算に入れました。この銃、素直ですね。約款ライフルより、ずっと」
「お嬢ちゃん、何者!?」と、屋台のおっちゃん。
「特別顧問です」
意味の分からない答えに、おっちゃんはそれ以上聞かなかった。賢明だと思う。景品のチョコと文具の山は、後で店の子供客への「粗品」在庫になった。彼女の帳簿では、これも業務らしい。
◇
祭りの人波は、夜が深くなるほど、濃くなった。
はぐれないように歩くうち、俺はふと、隣のくーちゃんが今日、一度も俺をからかっていないことに気づいた。財布を狙う冗談も、油揚げの強請りもない。ただ機嫌よく、綿菓子を食べて、屋台の品揃えを論評して、笑っている。
「くーちゃん、今日、なんか行儀よくないです?」
「む? 祭りじゃからの。神は祭りでは、上機嫌と決まっておるのじゃ」
そう言って笑った顔が、いつも通りで、いつも通りより、ほんの少しだけ丁寧だった。畳んだばかりの浴衣みたいな笑い方だった。……なんだろうな。うまく言えないけど。
「――零さんは」
反対側から、葵の声がした。
「零さんは、その。最近、何か、変わったことはありませんか。体調とか、その……忘れ物、とか」
「忘れ物? いや、特には。あ、この前、油揚げの商談の中身をど忘れしたくらいで。歳ですかね。神様、歳取るのかな」
「……そう、ですか。いえ、なんでも、ないです」
葵は、それきり口をつぐんで、提灯の並ぶ夜空を見上げた。
――彼女が何を飲み込んだのか、俺には分からなかった。分からないまま、祭りの雑踏が、その沈黙を上書きしていった。俺の知らないところで、誰かが俺の知らない俺を抱えている。そういうことに、俺はまだ、気づいてもいなかった。
◇
花火は、川原で見た。
一発目が上がった瞬間、人波から歓声が湧いて、四人分の顔が、同じ色に照らされた。
「……ほう。今年のは、良い花火じゃ」
くーちゃんが、目を細めた。
「花火はよいの。散り際まで、明るい。……湿っぽい散り方をせんのが、よい」
「非効率の極みです」
メアが、りんご飴を持ったまま言った。
「数ヶ月かけて作って、数秒で消える。費用対効果で言えば最悪。……ですけど、まあ。効果の単位が『円』じゃないなら、話は別です。……きれい」
最後のひとことだけ、素直だった。本人は気づいてないみたいだった。
「来年の雑踏警備は、もう少し動線を――いえ」
葵が、言いかけて、首を振った。
「やめました。今日は非番なので。……きれいですね、ほんとうに」
三人三様の感想を聞きながら、俺は、なんとなく、思ったままを口にした。
「来年も、こうして一緒に見られたらいいな」
一瞬、三人が同時にこっちを見た。花火より、そっちの方が音がした気がする。
「……き、気が早いです」と、葵がうちわで顔を隠した。
「わしの許可なく来年の予定を決めるでない」と、くーちゃんが言った。尻尾が、帯の後ろで揺れていた。
「来年!? わ、私の出向は『当面の間』であって、来年の所属は未定で……べ、別に、いても、いいですけど! いてあげてもいいですけど!」と、メアが早口で言った。
それから三人は、なぜか互いに顔を見合わせて、火花みたいな沈黙が、ぱちぱちと散った。花火の音で、かき消されたけど。
「? ……なんです? 焼きそば、もう一個いきます?」
「「「(この人は……)」」」
胸ポケットの中で、Kiraが、ぼそりと言った。
「ご主人、ボクの経営分析によるとね」
「なんだよ」
「この商工会、この先、大丈夫じゃないね!」
大きな花火が、立て続けに三発上がって、川面が昼みたいに明るくなった。大丈夫じゃない、か。まあ、いいさ。大丈夫じゃないくらいが、うちの店には、ちょうどいい。
【本日の売上:三万八千円(早じまいのため)】
【本日の支出:焼きそば四つ、りんご飴二本、綿菓子一つ、金魚すくい一回(三匹)、射的一回(景品五点)、ラムネ四本】
【新規在庫:金魚三匹(特売・目玉・三匹目は「小鉢」に改名)、粗品用チョコと文具一式】
【備考:花火、大玉連発。来年の約束、一件(未承認・三者保留中)】
【承認:株式会社みそぎ屋 代表取締役 御削零】
新装開店準備セール、四十七日目。本日も、無事閉店せず。……来年の今日も、こう書けてますように。
浴衣回、お読みいただきありがとうございました。金魚の名前が「特売」「目玉」「小鉢」になった経緯を見届けてくださった皆様に感謝を。三匹目の当初案は本編の通りです。ひどい。
次回、第一部最終回「新装開店」。五十一日続いた「準備」に、ようやく決着がつきます。
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