↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/26

第17話「チューリング特別顧問(出向中)」

 その日、店の前にタクシーが停まって、スーツケースを引いた金髪が降りてきた。


「法人化するとは、やるわね。……登記簿、見ました。譲渡制限付き。定款の事業目的に神域の維持管理。悔しいですが、隙のない設計です」


「どうも。……で、メアさん、その荷物は」


 メアは無言で、一枚の辞令を突き出した。


『メアリー・チューリング殿。株式会社みそぎ屋への出向を命ずる。期間:当面の間。名目:取引正常化に係る連絡調整業務。株式会社エターナル・リテール人事部』


「…………」


「…………」


「あの、これ、うち、受け入れるって言った覚えが」


「神社庁経由で、和解調停の一環として話が通っています。御社の顧問……椿木さんが、様式を作ったそうです。前例は作りました、って」


 葵さん、あんたそんなとこでも前例作ってたのか。


「言っておきますが、これは左遷ではありません!」


 メアは、スーツケースの持ち手を握りしめて、早口で言った。


「監査委員会で証言を終えた告発者の、戦略的配置です。本社には私の居場所が物理的になくなりましたが、それは席替えの問題であって、キャリアの問題では――」


「はいはい。分かりました分かりました。とりあえず、エプロンのサイズは?」


「……エプロン?」


 こうして、株式会社みそぎ屋に、特別顧問(出向中)が着任した。


 ◇


 三日で、店は騒然となった。


「非効率です!」が、メアの口癖だった。手書きの値札は非効率。棚割りは動線分析に基づいて全面変更すべき。発注は勘ではなくデータで。Kiraとは妙に馬が合って(データ仲間らしい)、二人で店の全商品の回転率を三日で洗い出した。そして四日目の朝礼(というかレジ前の立ち話)で、彼女は自信満々に、一枚のレポートを掲げた。


「結論から言います。この漬物コーナーは、廃止すべきです」


 店の空気が、凍った。


「回転率、全売場で最下位。客単価への寄与、微小。この一坪を冷凍食品に替えれば、粗利は月次で――」


「メアちゃん」


 タエさんが、漬物の樽を拭きながら、静かに言った。怒鳴るでもなく、遮るでもなく、ただ、いつもの世間話の声で。


「うちの漬物をね、毎週火曜に買いに来る、後藤のおばあちゃんがいるの。息子さんが東京でね、一人暮らし。買うのはきゅうり二本。でもね、樽の前で三十分、話していくのよ。あの三十分は、メアちゃんの表のどこに載ってるの?」


「…………」


「載ってないなら、その表は、まだ完成してないのよ。……ふふ、頑張り屋さんなのは、いいことだけどね」


 メアは、レポートを持ったまま、何も言い返さなかった。言い返さないメアというのを、俺は初めて見た。彼女はその日、閉店まで一言も「非効率」と言わず、閉店後、イートインコーナーの隅で、一人でレポートを見つめていた。


 だから――というわけでもないが、その夜は歓迎会になった。


 ◇


「かんぱーい! メアさんの歓迎会と、会社設立のお祝い、まとめてでーす!」


 Kiraの音頭で、パイプ椅子の宴が始まった。タエさんの持ち込みは今回、梅酒ではなく甘酒だった(学習した)。が、翔が差し入れの瓶を読み間違えて、くーちゃんの湯呑みに注がれたのは、甘酒ではないほうの酒で――


 ぽん。


「……あら? わたしの椅子、また低くなったかしら」


「「「早い!!」」」


 一杯で戻った。過去最速記録だった。月色の髪の大人が、上機嫌で零(俺)への包囲を開始し、タエさんが笑い、翔が目を回し、Kiraが「戒めの貼り紙、効果なし!」と実況する、いつもの地獄が始まった。


 その混乱の隅で、メアが、そっと席を立つのが見えた。


 俺は葛の葉の腕からするりと脱出して(場数を踏んで俺も上達した)、店の裏口から外に出た。メアは、搬入口の段差に、ぽつんと座っていた。


「宴会、苦手でした?」


「……いえ。ああいうの、初めてで。会社の飲み会は、序列の確認作業でしたから。誰が誰に注ぐか、決まっていて」


「うちは狐が店主に絡む儀式が主で」


「知ってます。データにあります」


 メアは、少しだけ笑って、それから、膝の上で手を組んだ。


「……あの狐神さんに、さっき、謝りました。あの夜のこと。私は止められる立場にいて、見ていただけでしたから」


「あいつ、なんて?」


「『おぬしが撃ったわけではなかろ。それに、おぬしの銃はあの日、零と葵を守った。差し引き黒字じゃ』……って。帳簿で許されたの、初めてです」


「あいつらしいや」


「……ずるいですよね、この店の人たち」


 メアの声が、少し、湿った。


「私、告発したんですよ。会社を。育ててもらった会社を、正しさで撃ったんです。後悔はしていません。計算しても、あれが最適解でした。でも、最適解を選んだのに、席がなくなって、同期は誰も連絡をくれなくて、荷物をまとめて、四国に飛ばされて。……正しさって、こんなに割に合わないものだって、誰も教えてくれなかった」


 言葉の最後のほうが、震えて、彼女は慌てて目元を拭った。


「っ、違います、これは、泣いてるんじゃなくて、目の乾燥で」


「四国、湿度高いんですけどね」


「気候の話はしていません!」


 俺は、隣の段差に腰を下ろした。慰めの言葉は、探さなかった。探しても、たぶんろくなものが出てこない。正しさが割に合わないことくらい、俺だって知ってる。割に合わない正しさを選んだ人間に、割に合うよと嘘をつくのは、うちの店の商売じゃない。


 だから、営業をかけた。


「あんまり気の利いたことは言えないけどさ。……今度、一緒に営業行こうぜ」


「……営業?」


「配達と御用聞き。うちの店の、表に出ない仕事。数字の前に、目の前の一人のお客さんを見てみたらどうだ。あんたの表、まだ完成してないんだろ? だったら、載ってない数字を取材しに行くんだよ。データ屋の基本でしょ、現場取材」


 メアは、目元を赤くしたまま、俺を睨んだ。


「……そんな、非効率的な」


「非効率です。でも明日、朝九時な」


 ◇


 翌朝九時、メアは店の前に立っていた。文句を言いながら、立っていた。


 軽トラの助手席に乗せて、配達を回った。後藤のおばあちゃんの家では、きゅうり二本と一緒に、切れた廊下の電球を替えた。足の悪い佐々木さんの家では、牛乳の賞味期限を、こっそり三日、延ばしておいた(一人だと、飲みきるのに時間がかかるから)。坂の上の学生アパートでは、見切り品の詰め合わせが「今月の命綱っす」と拝まれた。


「……今の、売上に計上されません。電球も、期限の延長も、原価割れの詰め合わせも」


「されないね。でも、明日の売上になる」


「根拠は」


「後藤のおばあちゃんは、火曜にきゅうりを買いに来る。三十分喋って、帰りにあれこれ買い足して、うちの噂を町内に流してくれる。……売上ってのは、結果なんだよ。原因は全部、こういう『表に載らないほう』にある。あんたが本社で解析してた数字は、この町の暮らしの、決算書のほうだったんだ」


 メアは、助手席で長いこと黙っていた。それから、手帳(いつの間にか紙の手帳を持っていた)に、何かを書きつけて、ぽつりと言った。


「……観察項目が、増えました」


 その帰り道だった。


 商店街の八百屋の前に、人だかりができていた。スーツの男が三人、店主に書類を突きつけている。聞こえてくる単語――再開発、立ち退き、査定。胸のバッジは、エターナル・リテール。残党だ。支社長が消えても、現場の地上げ屋はまだ動いてる。


 俺が軽トラを停めるより早く、助手席のドアが開いた。


「――その査定書、社の正規様式ではありませんね」


 メアが、つかつかと歩いていく。男たちが振り返って、彼女の顔を見て、露骨に固まった。


「チューリング特別顧問!? な、なんでここに」


「出向中です。そして貴方がたの行為は、監査委員会係属中の事案に関連する利益供与の強要。証拠として、今の一部始終を記録しました。……逃げますか? 逃げるなら、走って追いかけて記録を追加します。私、こう見えて、最近フィールドワークを覚えたので」


 男たちは、書類を抱えて逃げた。文字通り、走って。


 ――で、話はこれで終わるはずだったんだが。


 そのうちの一人が、往生際悪く、夕方にみそぎ屋へ怒鳴り込んできたのだ。「本社に報告するぞ」だの「顧問の権限は停止中のはずだ」だの。そして応対したメアは、実にスムーズな動作で、店の冷蔵ケースの陰からライフルを取り出し、青い魔法陣を展開した。


「約款、読み上げますか? それとも、お引き取りになりますか?」


 男は、悲鳴を上げて逃げた。今度こそ、終わった。


 終わったが――レジの横で、その一部始終を見ていた葵が、ゆっくりと振り返った。


「……メアさん。今、店内で、銃器を」


「せ、正当な手続きです! 読み上げ前でしたし、発射もしていません!」


「お客様のいる売場で、銃身を、展開しましたよね」


「威嚇です! 抑止力です! むしろコンプライアンスの実践で――」


 翌朝、レジ横の貼り紙が、三枚になった。


『くーちゃんにお酒を飲ませちゃいけません(戒め)』

『Kiraを勝手に外に出さない』

『店内では銃器の使用禁止(NEW)』


「……ところで、これを書いていて思ったんですけど」


 貼り紙を貼り終えた葵が、ふと、真顔になった。


「対神用約款ライフルって、銃刀法とは……? 所持許可は? あれは『銃砲』の定義に入るんでしょうか。実弾ではなく約款を発射する装置は、法的に何……?」


「葵さん、それ考え出すと戻ってこれなくなるやつです」


「様式が、様式がない……銃なのに、銃じゃない……また前例を作らないと……」


【本日の売上:六万四千八百円(前日比プラス四パーセント)】

【本日の客数:四十三名】

【本日の配達:三件(電球交換一件、期限延長一件、命綱一式)】

【特売効果:地上げ残党、顧問の顔と脚力により二連続で自主退散】

【新規貼り紙:一枚(通算三枚目)】

【備考:漬物コーナーは、存続。提案者本人の修正レポートによる】


【承認:株式会社みそぎ屋 代表取締役 御削零】


 新装開店準備セール、四十日目。本日も、無事閉店せず。

「チューリング特別顧問(出向中)」お読みいただきありがとうございました。店内規則、三枚目です。「銃刀法とは……?」は葵に言ってもらうしかありませんでした。約款を発射する装置、法的に何なんでしょうね。


次回は幕間、メアの業務日報。出向四日目と五日目、たった一日で変わるものの記録です。


☆で応援いただけると、樽の前の椅子がもう一脚増えます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。