第16話「非公開株は買付できません」
看板の「み」の字が直った翌日、葵が分厚い資料の束を抱えて店に来た。
「店主さん。ご提案があります」
「うちに提案に来る人、だいたいろくなことにならないんですけど。買収とか、収用とか、接収とか」
「法人化です」
「……ほう?」
イートインコーナーの長机に、葵は資料を広げた。定款のひな形、登記の書式、株式会社設立の流れ。役所の人の資料は、こういうとき恐ろしく整っている。
「今回の一件で、はっきりしました。エターナル・リテールの手口は、個人商店の法的な弱さを突いてきます。収用、買付け、地上げ。個人事業のままでは、あなたがお店を守るために、毎回、体を張って戦うしかない。ですから、器を変えます」
「株式会社みそぎ屋、ですか」
「はい。ただし、ただの株式会社ではありません。――ここが本題です」
葵は、定款のひな形の一行を、指でとん、と叩いた。
『当会社の株式を譲渡により取得するには、株主総会の承認を受けなければならない』
「全株式に譲渡制限を付した、非公開会社にします。株を誰かに売るには、株主総会……つまり、私たちの承認が要る。承認しなければ、株は一株も、外に出ません。TOB――公開買付けというのは、市場に公開された株があって初めて成立します。非公開株は、そもそも買付けの対象にできない」
「……つまり、この前の野分がやろうとした『敵対的買収』が」
「構造的に、不可能になります。嵐で脅すことはできても、法的にこの店を『買う』方法が、この世から消えるんです」
思わず、資料に見入った。
すごい発想だと思った。俺の権能は、格上を弱らせることはできる。でも「そもそも攻撃が成立しない構造を作る」なんて芸当は、権能じゃできない。これは葵の権能だ。条文と手続きで、店の周りに、目に見えない堀を掘る。
「乗ります。乗りますけど……株主って、誰が」
「タエさんと翔くんには、もう内諾を。それで、その」
葵の説明が、そこで初めて、つっかえた。
「発起人と株主構成の安定のために、その、私も、一株、持たせていただければと。あと、外部顧問として、法務面を――いえ、違うんです。これは職務では、なくて」
「葵さんが、うちの株主に?」
「問題は、あるんです」
葵は、手帳を開いた。開いたページには、彼女自身の字で、条文が書き写してあった。
「地方公務員法第三十八条。職員は、任命権者の許可を受けなければ、営利企業の役員等を兼ね、自ら営利企業を営んではならない。……私、公務員なんです。取り締まる側の人間が、監督対象の神域の会社の顧問になる。利益相反と言われたら、一言もありません」
「じゃあ、無理じゃないですか」
「無理では、ありません。抜け道ではなく、正面から通す道が一応あります。顧問は無報酬とし、営利性を排除する。株式は資産保有の範囲として認められる可能性が高い。任命権者に兼業の届出を出して、許可を待つ。神域課の所掌との利益相反については、みそぎ屋案件の担当から外れる申請を、自分で出す」
「担当から、外れる?」
「はい。……もう、報告書は書けなくなります。定期観察も、巡回も、口実にできなくなる。それでも株主になるかどうかを、この一週間、ずっと考えていました」
俺は、少しの間、黙った。
この人は、ずるをしない。ずるをしないまま、俺の側に来る方法を、条文の中から一週間かけて探して、見つけて、それでもまだ、最後の一歩の手前で立ち止まっている。手続きの人が、手続きを全部踏んだ上で、感情の踏ん切りだけが、つかずにいる。
だから俺は、深く考えずに、口に出た言葉をそのまま言った。
「一株で、いいんですよ」
「……え?」
「全部背負わなくていい。報告書が書けなくなるとか、口実がなくなるとか、そんな大袈裟な話じゃなくて。――五十円だけ、出しときゃいいんです。そしたら残りの五十円で、明日もまた来られるでしょ。うちの店、そういう買い方を歓迎する店なんで」
葵の顔から、表情が、落ちた。
手帳を持つ手が、止まっていた。まただ。また俺は、何か言ったらしい。何を言った? 今の、どこに固まる要素があった?
「……葵さん?」
「――買います」
葵は、手帳をぱたんと閉じて、俯いたまま言った。声が、ちょっとだけ、揺れていた。
「一株、買います。五十円じゃ買えませんけど。……ずるい人。ずるい言い方。そういうところ、本当に」
「え、俺なんかずるかったです?」
「自覚がないなら、いいです。もう、いいです」
よく分からないが、交渉は成立した。営業ってのは、成立すればいいんだ。
◇
設立手続きは、思ったより早く進んだ。というのも、うちには専門家がいたからだ。
「はい、次! 定款の事業目的! 『食料品小売業』だけじゃダメ、『神域の維持管理に関する事業』も入れとくの! あとで困るから!」
レジの上で、Kiraが仕切っていた。発起人一同(人間三名+神一柱+付喪神一柱)は、長机で書類の山と格闘していた。
「……お前、なんでそんなに詳しいの、会社設立」
「本棚にあった会社四季報、読んでたから!」
「四季報って、設立の手引きじゃなくて上場企業のデータブックだろ」
「四十年あれば裏表紙の広告まで読むの! あと大将が昔、法人成りを考えて挫折した時の本も棚の奥にあるから! ボクはこの店の、生きた書庫!」
「零さんって、そういえば戸籍あるんですか? 代表取締役って、実在の人間じゃないと」と翔。
「神社庁発行の神格証明で代替できます」と葵。「神格の法人参加に、前例は――作りました。先週」
「先週!?」
「野分支社長の案件処理のついでに、様式を通しておきました。手続きは、勝ってる側が使う道具なので」
こわ。敵の捨て台詞を一週間で回収して、自分の武器にしてる。
そして、株主名簿が埋まっていった。御削零。山田タエ。星野翔。椿木葵。それを横から覗き込んだくーちゃんが、当然のように言った。
「わしの分の株は、どこじゃ」
「……あー。くーちゃんさん、それなんですけど」
葵が、言いにくそうに、しかし正確に言った。
「株主になれるのは、権利能力のある者……人間か、法人だけなんです。神様は、その、法律上『存在しない』ので、株式を保有できません」
「な………………なんじゃと?」
「Kiraも同じです。付喪神は備品……固定資産の側なので」
「ボクは別にいいよ! 固定資産ってことは、ボクは会社の一部! むしろ株主より内側! 勝ち組!」
「わしは!? わしは商工会の会長じゃぞ!? 組合はよくて会社は駄目とは、どういう了見じゃ!」
「商工会は任意団体なんで……」と俺。「まあまあ。くーちゃんには、ちゃんと役職を用意しました。ほら、ここ」
俺は、組織図(Kira作)の一番上を指した。株主総会よりさらに上、欄外に、手書きの四角がひとつ。
『鎮守(非常勤) 穴守葛の葉』
「ちんじゅ……」
「会社が拝む側の神様です。株主は会社の持ち主ですけど、鎮守は会社の守り神なんで。格でいったら、こっちが上かと」
くーちゃんは組織図をしばらく睨んで、それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「……ま、まあ? わしを株ごときで縛れると思うたら大間違いじゃからの。よかろう、その職、引き受けてやるわい。初仕事として、この会社の商売繁盛を祈念してやる。ありがたく思え」
尻尾が揺れてるんだよなあ、さっきから。
◇
登記が完了した日の夜、Kiraが、いつもより改まった声で言った。
「それでは、株式会社みそぎ屋、記念すべき第一期・初日の会計報告でーす!」
【本日の売上:六万二千三百円(前日比プラス四パーセント)】
【本日の客数:四十一名】
【資本金:三百万円(内訳:現金一部、店舗・在庫の現物出資)】
【株主:四名。鎮守:一柱。固定資産(自称・勝ち組):一台】
【備考:本日より、当店を買収する方法はこの世に存在しません】
【承認:株式会社みそぎ屋 代表取締役 御削零】
……署名欄の肩書きが、変わっていた。
店長でも、神様でもなく、代表取締役。一年前、判子ひとつで継いだ店が、みんなの名前が並ぶ会社になった。大将、あんたが挫折した法人成り、四十年越しに、やっときましたよ。
新装開店準備セール、三十六日目。本日も、無事閉店せず。――そして本日より、閉店「させられる」ことも、なくなりました。
「非公開株は買付できません」お読みいただきありがとうございました。譲渡制限株式で神様の店を守る小説、たぶんジャンル初だと思います。なお鎮守(非常勤)は株主総会より上の役職です。
次回、みそぎ屋に新しい従業員がやってきます。金髪で、ツンデレで、ライフルを持っています。
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